神曲 code:0

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1:エルミリア:2023/08/28(月) 15:44

ぼくは逆さまに堕ちていく 堕ちていくように昇っていく
天と地の分かたれた蒼穹の中へ···
沈むように浮かんでは この翼を羽ばたかせ
「此処」ではない"何処か"へと "何処"にもない『彼方』へと···


『神曲 code:0』


リンゴォーン、、リンゴォーン、、、


響き渡る鐘の音とともに虹色に開かれた門の奥、
壮麗荘厳な大いなる玉座が据えられており、その玉座の周りには額に「偉大な神」と印章を
押された二十四人の長老の座が据えられ、天使たちとともに神を讃える祝詞や詩を絶え間なく
謳っていた。

「神の御名は代々とこしえに。アーメン、アーメン。」

···しかし『神』のお姿は、その玉座にはなかった。

天使が近づいて来て、わたしに言った。
「あなたは"玉座におられるから"その方を神と信じるのか?」

天使は「付いて来なさい」と言ったので、わたしは彼に従った。

···そこは壁も床も白く染まった「お城」のような場所であった。

その天井は見晴るかすほどに天高く、そこから光が降り注いでいた。
天使たちは衣を纏っている者もいない者も、素肌が透けて見えないように光を纏って、
煌めきを残しながら飛び交っていた。
···そこで隣りで一緒に歩みを進めていた天使が立ち止まった。

「あなたは"沈黙する神"をどう思うか?」

わたしは、さきほど見た玉座を思い出した。

「そうすると、「神はいない」と思うだろうか?それとも、「ただの傍観者」としか思えない
だろうか?」

そう訊ねた天使の顔には少し悲しみの色が浮かんでいた。

「正直を言えば、われわれ「天使」と言えど、本物の神という御者をその目で見た者は少ない。
しかし、われわれは神という存在を常に「感じる」ことができる···
それは何故だと思うかね?」

わたしは正直に「わからない」と答えた。

「われわれが『神の名』を口にするとき、そしてまた、その御名を讚美するとき「言い知れぬ
喜び」に包まれる···なんとも言えない高揚感とともに幸せそのものですらある。そういうとき
御父である神は、片時も離れず···いや、むしろ「われわれの中に現存なさる方」であることを
知る。"神を見つけた"ときほど幸せなときはないのだ。」

そう話した天使の顔は、さきほどと売って変わって少し頬が紅く紅潮しているように見えた。
天使の純粋さに、また輝きが添えられたかのように···
天使はさらに続けた。

「御父である神は、われわれの全てを知っていてくださる。われわれがどこから来て、
どこへ向かうのかも全て···われわれが『神』という御方を知らないだけなのだ。」

天使は、その彼方にある天井を見上げた···

2:エルミリア:2023/08/28(月) 16:46

❮地獄編❯

「さあ、掛けたまえ。」

わたしは、天使に促されるまま、応接室のふんわりとした心地の良いソファに腰掛けた。
天使はまるで、人間がそうしているかのように、お湯の入ったポットに茶葉の入ったティーパックを沈めて運んできた。
お供に香ばしく焼き上がったクッキーまで添えられている。

「客人をもてなすことも忘れてはならない神の教えだ。」

そう言って、
「主よ、ここに用意されたものを感謝とともに···わたしたちの主の御名によって。アーメン。」と祈りを唱えた。


天使は、紅茶を注いだカップとクッキーをわたしの前に並べると、「どうぞ」とわたしに勧めて話を始めた。

「さきほどの玉座は、いかがでしたか?」

え?

「"神がいない"というのが、あなたの感想でしたが?」

ああ、、

天使はにっこりとして

「ふふっ。"いない"のではなく、神の業が深淵なため、あなたに"見えなかった"のです。」

天使はおもしろ可笑しそうに笑っている···
どういうことなのだろう?

「神のお姿は「神聖そのもの」で、罪人がその姿を目にするなら「死ななければならない」のです。
それで、神は"隠れられた"···あなたが死ぬことのないように。」

天使はひとくちお茶を含むと、話を続けた。

「神は至高の守護者なのです。
ところで、「神のいない玉座」をあなたは見た。❮地獄❯と呼ばれる場所も、実はあのような場所なのです。
神を神として認めず、悪徳を積んで生きた者の辿る道です。彼らは「神はいない」、「神など観ているだけ(で何もしない)」、
「神に何ができる?」とたかをくくり、自ら破滅の穴に陥ったのです。
彼らは自分たちの富や権力を頼りにし、至高の守護者である方を侮り、その御手に陥ったのです。
···しかし、神は被造物を憎んではおられない。
むしろ全き愛を以て見守っていてくださる。人が一人でも滅ぶことは御心ではない、むしろ悲しみそのものなのだ。
人がその愛に気付き、神の愛を行うことこそが、神が人間をお造りになった理由なのだ。」

では、ルシファーがアダムとイヴに知恵の実を食べるさせることは?

「···ご承知のことであったに決まっている。ルシファーがアダムとイヴに知恵の実を食べるよう唆そうと唆すまいと、神のご算段
に狂いはなかったのだよ。知恵の天使と呼ばれたルシファーでも神の純真な御旨を凌ぐことは敵わなかった。
···神を出し抜こうなど愚かなことを考えるものではない。
しかし、ルシファーにも、神を畏れる心があったなら、神の御手に陥ることはなかったであろうに。」

天使はクッキーを食べる手を止め、ため息を吐いた。

「だから、われわれ天使にとって、「人間」というのは「友」なのだ。道を行くとき倒れても助け起こすために付き従っている「共」
なのだよ。ルシファーは、「ただの人殺し」だが、彼も神の指す「駒」の一つに過ぎない。
神を畏れて生活していれば、何も悲しい目に遭うことはない。神を信じなさい。そうすれば救われる。
悪徳からも善を引き出される至高の賢者である神の御旨に従っていれば、どんな出来事も恐れることはないのです。
恐るべきは神おひとりで十分なのです。」

わたしは紅茶を啜った。
紅茶は地上のそれと同じに見えるが、砂糖を加えなくても、ほどよく甘味を含んでおり芳醇な香りが楽しめ、とても美味しかった。

「人の"欲望"というものは、いつのときも争いの火種となる。人は、その欲望のままに神を求めたとしても、そこに神はおられない。
···そして、そこで人はその罪のために死ぬことになる。
あなたは"神"という方は、どのような方であると思いますか?」

えーと、、、

「いつも怒っている厳しい御方か、はたまた何でも願いを叶えてくれる優しくて気前の良いおじいちゃんか。」

うーん、、分かりません。

3:エルミリア:2023/08/28(月) 17:29

「ははは!···どちらも、です。」

え?!

「われわれが悪い道に迷い出ることのないように、戒めたり、悪いことをしているなら、そのまま滅ぶことのないように厳しく叱責
なさる。また、困難のとき、乗り越えられるように鍛練してもくださる。われわれが必要なものは何でもご存知で、求めるなら、
われわれにとって最善を考慮されて、気前よくお与えになる。···それは神は「無私無償の愛」の方であり、「慈悲慈愛深き方」なの
です。」

天使は満面の笑みを浮かべた。

「ですから、地獄という場所は、神に「呪われたから」行く場所ではない。神の教えに聞き従わず、悪いことをして身上を削っている
と、「あなた自身が不幸になってしまうのですよ」という戒めなのです。···ですから、神は正しいのです。真理に基づいて神は裁き
を行っているまでなのです。しかし、その裁きに於いても、神は慈悲を優先されます。
反省の色があるなら、神がそれを蔑ろにすることはないのです。
ほんとうに慈悲深く慈愛に満ちた偉大な神なのです。」

つまり、人を苦しめたり、悪いことをしていると、「自分自身まで不幸にすることだから止めなさい」という、、、

「そうです。イエスの教えられたことにもあります。「互いに愛し合いなさい。」と···
人にしてもらいたいことは何でも、あなたがたも人にしなさい。また、「自分が他人からされたくはない」と思うことは他人にも
しないことです。これが、律法であり預言者です。人は幸せであるべきです。そうであるなら、他者の幸せを願って生きるべきです。
誰かを不幸にしていて、自分の幸せは許されるという傲慢な心は、それは幸せではなく、むしろ不幸なことです。
···神の厳しさを侮ってはなりません。神は確かに慈悲深い方であるが、神を試みる者に対しては、その怒りを顕わにされる···。
正義·慈悲·誠実に基づいて、日々の苦しみを捧げる忠実な者にはとても御優しくあられるが、神に信心を捧げる小さな者を悪し様に
あしらったり、躓かせるような者には特別厳しくあられる方なのだ。
···憐れみ深き神が、その憐れみを棄てられたなら、どのような恐ろしい無慈悲な神として顕現なさるか···
"沈黙"がせめてもの救いです。···しかし、その御怒りから逃れ得る者はいない。
神を「神」と認め、悔い改めて、より良く生きることです。
そうすれば、幸せにも成り、悲しみに遭うこともない。」

天使は一転、にこやかな顔になって言った。

「ですから、われわれはそのような偉大な神に見守られているということです。
そうですね、少し場所を変えましょう。」

天使とわたしは応接室を出た。

4:エルミリア:2023/08/28(月) 18:07

❮天使の庭❯

「ですから、人間ひとりひとりの魂···つまり、「人生」とは、互いに影響し合っているものであり、誰が取るに足りない者だから
必要ないとかではなく、互いに「生かし合っている存在」···尊い存在なのです。
そうして、互いを尊んで、互いに至らぬ点があるとしてもよく忍耐し、また反省を怠らず精進して生きて、神の御許に還るのです。
成功して巨万の富を得るか何の実りもない人生を送るかは重要なことではありません。「どれだけ愛に生きたか?」を問われます。
例え成功者として巨万の富を築き上げ、称賛された人生を送ったとしても、愛に生きることがなかったなら、神の御許で
「マイナス(不合格)」の評価を受けるのです。「神の子」として互いに愛し合って生き、神に仕えて生きることを愛していれば、
それこそ幸いなことです。神は、そういう人を喜ばれます。」

天使は、目の前に飛んできた蝶々を、片手で握り潰してしまった。

「見なさい。」

天使は微笑むと、手を開いて見せた。
手の中の蝶々は何事もなかったかのように、またひらひらと飛んで行った。

「神のお許しがなければ、どんな虫や鳥も落ちることを許されないのです。
神の憐れみがそれほどなら、人間に対してはいかなるほどでしょう。
···ですから、"愛"には、つまり「神の視点」から観て、「身分」などでの差別があってはならないのです。
貧しい者はとか裕福な者はとかで偏って見ることは神の御目にはなく「全てが平等」なのです。
全ての者は尊ばれている生命であり、その「大事な役目」を担って人生を生きているのです。
「大事な役目」を遂行しているときは苦しいものです。それはそれだけ大切な役目を、ちゃんと果たしているからです。
役目を放り出して楽な方に逃げているとき人は、神を侮ったり、「神に見守られている」とは思えず、
「監視されている」と感じて嫌な気分でいるものです。」

天使は澄み渡る空を見上げた。

「しかし、人は皆、罪人です。どんなに偉大な人物であっても···われわれ「天使」も、神の御目からすれば、清いものではないの
です。ですから、苦しみ、辛さを経験することは嫌なことでもありますが、罪による穢れを浄化することにもなるのです。
浄化されなければ、神の御許に宿るには相応しくないからです。神とは"焼き尽くす火"です。
相応しくない者は、その火で焼き尽くされて滅びるだけです。
われわれ天使といえど、穢れが酷ければ堕天使となり、地獄で永劫の罰を受けます。
本当に"善い"とされる方は神おひとりなのです。」

5:エルミリア:2023/08/28(月) 18:29

「どうぞ」と天使に促され、わたしはベンチに座った。彼も隣りに座って、「見事な庭でしょう」と微笑んだ。

「神の愛というものは不安や恐れを締め出すのです。神を信じるとは、神の御心を行うことです。
しかし、地上では、この世の煩いに悩まされて、不安や恐れを抱えて生きている人が殆どですね。
···そういった人は、祈りの習慣によって、神と親しい交わりを持ち、不安や恐れよりも勇気や忍耐強さを持って生活すると善いで
しょう。神の愛を知るということが第一です。神との親しい交わりが、悪魔や悪霊を退けるのです。
全ては慈しみ深い神の御恵みによるのです。···あのバラが綺麗に咲き誇っているのも、あの鈴蘭が可憐に咲いているのも全て、
神がただ「あれ」と一言仰ったからです。人はパンのみで生きるものではない。神の口から出るひとつひとつの言葉によって生きる
···そうイエスは言われた。
神は憐れみ深い方である、人の罪に応じてあしらわれる方でも、人の悪に従って報いられる方でもない。
その憐れみは主を畏れる人を超えて大きなものなのです。ですから、常に主を覚えて畏れなさい。
恐るべき方を畏れない人は、その罪を赦してもらうこともできず、自分のした悪に従って裁かれます。
神の慈しみに生きることが幸いへの道なのです。」


リンゴォーン、、リンゴォーン、、、

「···ああ、
あの鐘の音は地上でも鳴っているのだろうか?」


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