世界最大のベストセラーである聖書、その聖書に収められた深い知恵に基づいて、人生相談に乗ります。
2:依紗◆ac:2019/01/24(木) 22:27 伝道者さん、こんにちは。
私は自分が生きていることが空虚でたまりません。
よく、母親が生んでくれたんだからとか、
神様がよくしてくれているからとか、
そういう話を聞きますが、
正直、そんなことを自分に言い聞かせても、
数分後にはむなしくなります。
(たしかに周囲に助けられているのは確かですが、
どうしてもそれだけでは生きていく気力が沸かないんです)
余談ですが、前に誰かに相談した際に、
「愛を知ればむなしくない」なんて答えをもらいましたが、
たしかに私は愛がよく分かりません。
当然な話ですが、人間は他人と完全に分かり合うことはできません。
お互いの心の中は全く不明で、作り話や作り笑顔をできるのに、
なぜ平然と「信じあっている」「愛し合っている」と考えられるのか、
困ったことに、私は全く分からないんです。
話が逸れましたが、
生きることに意味は無いとしても意義はあるのでしょうか。
それは愛を知れば自ずと見えてくるのでしょうか。
教えて下さい。
一部欠落してました。
「愛を知ればむなしくない」なんて答えをもらったのですが、
です。
>>2-3
心からのメッセージをありがとうございます。生きる意味や意義、愛が分からないままに生き続けるのは、とても辛いことですよね。話して下さり、ありがとうございます。
聖書は66の小さな書で成っていますが、その中に伝道の書という箇所があります。深い知恵で知られているソロモン王が記録した書で、虚しさがテーマとなっています。
この様に始まっています。
伝道の書1:1-2
エルサレムの王ダビデの子,召集者の言葉。「何とむなしいことか!」と召集者は言った,「何とむなしいことか! すべてはむなしい」。
様々なことが語られた後、この様に結論付けられています。
伝道の書12:13-14
すべてのことが聞かれたいま,事の結論はこうである。まことの神を恐れ,そのおきてを守れ。それが人の務めのすべてだからである。まことの神はあらゆる業をすべての隠された事柄に関連して,それが善いか悪いかを裁かれるからである。
神を信仰し、その掟に従うことが全てである、と結論されています。
神は存在するのか、それはどの様な方か、どの様な意図で世界や人間を、そして依紗さんを造ったのか、神は何を求められているのか、なぜ今の世界は良い状態にないのか、なぜ信じ合えない様な人達が多いのか、どの様に生きるべきか、今後の世界はどうなるのか、どの様な希望があるのか、その為には何をすべきか等々、聖書の体系的な「正確な知識」を取り入れ、じっくりと個人的に黙想する事で、確信や実感、つまり信仰が得られます。そして自発的に神に従いたいという想いが湧いてきます。そうすると虚しさは無くなります。
ところで、或る家電の正しい使い方は、メーカーの説明書に書かれています。正しい使い方はメーカーが最もよく知っているからですよね。間違った使い方をすれば、家電は異常を起こしたり、壊れたりします。人間も同じです。メーカーである神、その神が準備して下さった人生のトリセツである聖書の教えを当てはめる時、全てが上手くいきます。それを確信、実感出来る様になる時、神の掟、つまり聖書の教えに従いたくなります。
それがソロモン王の結論に込められた意味です。
或るクリスチャンから、この様な言葉を聞いたことがあります。
「創造物にとっての最大の悲劇は創造者を知らないことである」
全くその通りだと私も感じています。神が私達を愛をもって造られたこと、それを知らないことは迷子のままで生きる様なものだからです。
長文となり、すみません。参考になれば嬉しいです。
この世界には、無数の人が紡いだ人の道、道徳の道がある、と。
己が最も救われる道が、生きやすい人生があり、
それを神が指し示している。
それを知れば、おのずと生きる意味が分かる。
そういうことですね。
勉強になりました。
ありがとうございます。
こんばんは。相談させて頂きたい事があります。
お恥ずかしい話なのですが、小学校中学年くらいの男児に邪な思いを抱いてしまいます。しかも、私は女であるにも関わらず、男の身となって関係を持ちたい、という欲求があるのです。
勿論実行には移しません。犯罪を犯してしまいそうだから、というのではなく、こんな叶わない欲を持っていても苦しいだけなので、無くしてしまいたいのです。
解決策はあるのでしょうか?それとも耐えていくしかありませんか?
打ち明けて下さり、ありがとうございます。
聖書の教えによると、人は皆、罪深い傾向を受け継いで生まれており、不完全です。加えて現在の世界は邪悪な者に支配されており、悪い影響に満ちています。その中で正しい生き方を選ぶことは本当に大変です。
我慢するのは辛いですね。しかし欲望に負けてしまうならば、より大変な結果になってしまいます。
欲望は大きくなると打ち勝つことが難しくなります。欲望が小さい内に対処する、欲望を育てないことが有効ですが、それに際し、目を制御することが大切です。
以下、聖書の教えを見ていきましょう。
創世記3:6
そこで女は見て,その木が食物として良く,目に慕わしいものであるのを知った。たしかに,その木は眺めて好ましいものであった。それで彼女はその実を取って食べはじめた。その後,共にいたときに夫にも与え,彼もそれを食べはじめた。
エバは禁じられた木の実を「見て」、負けてしまいました。
マタイ4:8
また,悪魔は彼をとりわけ高い山に連れて行き,世のすべての王国とその栄光とを見せて,こう言った。「もしあなたがひれ伏してわたしに崇拝の行為をするならば,わたしはこれらのすべてをあなたに上げましょう」。
サタンはイエスを誘惑しようとして、「見せました」。見せることで欲望を刺激することは、サタンの常套手段だと分かります。
ヨブ31:1
「契約をわたしは自分の目と結んだ。それゆえ,どうしてわたしは自分が処女に対して注意深いことを示すことができようか。
義人ヨブは目を制御することで、罪から身を守ろうとしました。
詩篇119:37
無価値なものを見ないよう,わたしの目を過ぎ行かせてください。
見続けないこと、考え続けないことが大切です。
マタイ18:9
もしあなたの目があなたをつまずかせているなら,それをえぐり出して捨て去りなさい。
イエスは固い決意を持って罪と闘うことを教えました。
悪い欲と闘うのは簡単ではありません。先ずは見続けないこと、考え続けないことが大切です。欲望を育てず、それが小さい内に打ち勝つことが大切です。
もし信仰をお持ちであれば、祈りにより神に頼ることも有効です。
ご参考になれば幸いです。