高校生です。
私の祖父は闘病中で、もう長くはないらしいです。
それに対しての私の気持ちは、もちろん不安や心配はありますが、「忌引で授業ついていけなくなるんじゃないか」「ノート誰にみせてもらおう」「気持ちの整理はつくんだろうか」という、自分のことばっかりです。
3つ目はまだ良いとして、前2つは自分でもこんなことしか考えられない自分が信じられなくて大嫌いで嫌になって泣きそうになります。
父も母もお金関係などのことばかりで、祖父の心配は(ただ見せてないだけで本当はしているのかもしれませんが)しているのかどうか分かりません。
もう嫌になって、いっそ私が先に死んでしまえばこんなこと考えなくて済むのにと馬鹿なことを考えてしまいます(もちろん天寿を全うするまでは生きるつもりではいますが)。
きっとこれから先、祖父だけでなく祖母、父、母、きょうだいやペットを看取ることもあるんだと思うと更に憂鬱になって、苦しくなって、泣きたくなります。
どうしたらいいかもう分かりません……
スレ主さん。
お辛い経験をされましたね…。
人の死を前にすると、色々な事を考えますが
自分も周囲の人達を看取る事を考えると
憂鬱になります…。
ただ、人が亡くなるというのは、
避けられません。
祈って、願って
人が死ななくなるなら、
匿名さんのご両親もずっとそうした事でしょう。
ただもう避けられないと分かっているから
祈ってばかりいる暇は無いと
大人に出来ること、金銭関連の整理や事務処理をひたすらしているのだと思います。
だから匿名さんはその分、
精一杯祈ってあげることが
おじいさんにとって
ご両親にとって
1番ありがたいことだと思います。
それにご両親だって
多分、パニックになってるんだと思います。
人の死を毎日真剣に考えている人はあまりいません。
だからいざ直面すると
驚き、慌てふためいて
自分の身の回りの心配ばかりしてしまう。
これは仕方のないことです。
だからですね。
今、そういったこと
両親や周りの「死」について意識ことができたのはとても大切な「勉強」だとは思いますが
今は、まだ。悩まない方がいいですよ。
悩んでも避けられませんし
みんな、普段は忘れていることなんです。
もし、今、何か。
出来ることがあるのだとすれば、それは
おじいちゃんに胸を張れる1日を過ごすことなのかな。
と自分は思います。
祖父母の葬儀の経験がある社会人です。
授業の心配できるのも真面目だと思うけどなぁ。
世の中には「休む口実できてラッキー」と思う人もいるかもしれない。
自分も祖父母は入院してて長くないとわかった後亡くなったけど、なかなか実感できず火葬場へ運ぶ前の最後のお別れになってから涙が出たな。
通夜葬儀の待機中は親戚が集まってて小さい子もいたから賑やかで笑い声もしてたし、享年100近かったから親たちも暗いよりかはこんだけ生きたらすごいねって感じだった。
親はふとしたときに寂しそうにはしてたけど、次の日には残りの忌引休みにお出かけしたりアマプラの映画見たりして過ごしてたな。
あまり表に出さないけど本当は見た目より寂しかったのかも。
私も仕事休むときに同僚にお願いして心苦しかったり、仕事の大事な締切が近かったからタイミング悪いなぁって思ってたし。
でも私達は寂しくないわけではないし、喜んでるわけでもないし、故人には安らかでいて欲しいと願ってる。
生きてるうちにしっかり愛情を伝えておいてね。