形あるものは、いつか壊れ、失ってしまうのだ。
「待っておばあちゃん!おばあちゃんがいなくなったら私……」
「大丈夫。これはきっと、貴方の助けになるわ」
それがたとえ、硬い硬い石だったとしても。
祖母が私に残したものは、蒼いブレスレットだった――……
『形あるものはいつか壊れるんだよ。それがたとえ、硬い硬い石でもね』
祖母の言ったこの言葉は、覆せない絶対的な理論だった。
元素が集まって個体が存在する限り壊れるものは壊れるのだ。
なら、逆手にとって、形のないものなら永遠に存在させることができるのだろうか?
「いってきます」
私は昨日、全然眠れなかった。悩んでいたのだ。
まただ。
あぁ、また模試の成績が下がってしまった。
勉強をサボったことなんて一度もないし、正直言うと。
周りの子の誰よりも勉強していると思っている、けれど……
このままじゃ第一志望の高校に行けないや。
私は祖母から受け継いだ蒼いブレスレットを握り締めた。
サファイア、ラピスラズリ、カイヤナイトやソーダライト、タンザナイト……
色々な石が連なった、蒼いブレスレット。
唯一の祖母の形見だった。
「はぁ……どうしよう、おばあちゃん……」
ため息混じりにつぶやいていると、
「清石さん!おはよう」
背後から私の苗字を呼ぶ声がした。
「三上さん……」
三上修二さん。
私と同じ高校を志望していて、私と同じ塾に通っている。
副生徒会長を務め、成績優秀、スポーツ万能。
……天は二物を与えたわけだ。
「……おはよう三上さん」
「昨日出た模試の結果どうだった?受かりそう?」
何も知らない三上さんは、それが地雷だと知らずに率直に訊いてきた。
多分三上さんはA判定で、内申点も効いて、面接も完璧なんだろうな。
「うーん、まぁ普通っていうか……いつも通りB判定だよ」
嘘だ、私何言ってるんだ、本当はC判定なくせに!
「そっか、A判定まであと一歩だね!お互い頑張ろう」
「うん」
「あ、卒業式の合唱曲だけど、『旅立ちの日に』になったらしいよ」
「うん」
三上さんとそんなことを話していると、いつの間にか学校の正門前だった。
「あ、僕生徒会の集まりがあるんだった。じゃあここで」
「うん」
って私、さっきから『うん』しか言ってない!
何か言わなきゃとか思ったけれど時既に遅し。
彼は生徒会室へ消えていってしまった。
昼休み、私はいつも通り独りで勉強していた。
「また一人で勉強してるよ、清石さん……」
「入学当時からずっとじゃん」
「友達いないんじゃない?」
私を蔑むような目で見る女子生徒がいるけれど、気にしない。
いいんだ、私は勉強していい成績をとっていれば。
私は人一倍勉強してやっと人並みなのだから。
――10分くらい経過しただろうか。
思うように問題が解けず、イライラしてきた。
さっきから色々線引いたりしてるのに何で求められない……?この長さ。
はぁ……気分転換に図書室でも行こう。
図書室は毎日開放されているが、ほとんど誰にも使われない。
利用者はもちろんのこと、司書係もいないのでカードに記入して勝手に本を持ち出して良いという、いい加減な管理の下運営辛うじて運営されている。
貸出者カードには私の名前しか書かれていなかった。
「はぁ、おばあちゃん……私、やっぱり無理みたい。青岬学院」
肌身離さず付けているブレスレットに語りかけながら、ため息をこぼす。
きっと私の助けになるって、おばあちゃんは言ったけれど……
「もう、私には無理なんだよ……いくら努力したって……!」
単語帳作って電車の中で復習して、朝早くから夜遅くまで勉強して、休み時間も独りぼっちで机に向かって。
それでも苦手な単元は潰しきれなくって。
いつも自分が高得点を取っても周囲も高得点で実は大したことなかったり。
勉強を教えあっている人達を見て『自分も相談相手が欲しい』なんて羨ましく思ったり。
「苦しい……苦しいよ」
視界が水彩画のようにぼやけ、目頭がじわっと熱を帯びてくる。
膝にポタポタと生暖かい感触が降ってくる。
私の涙がブレスレットを間断なく濡らしていった。
「苦しい……誰か……助けてよ……誰でもいいから……」
涙で濡れるブレスレットのことなんか、気に留める余裕もなかった。
ただ、この苦しみを泣いて泣いて、涙で洗い流してしまいたかった――……
「おい、そんなに泣くんじゃねーよ。みっともない」
「…………は?」
低い男の声が降りかかり、上を見上げると、知らない男が私を見下していた。
多分私と同じ高校生くらい、制服は着ていない……深い青のパーカー……
髪色も、紺色や濃い青で、黒髪とは少し違った色をしている。
背が高くスラッとしていて、首には青い宝石をあしらったネックレスをつけていた。
そしてその瞳はまるで青い宝石のような――
って、そうじゃない。
「……だっ、誰あんた!?」
「誰って……お前が呼んだんじゃねーか」
彼は訝しげな表情で私を睨む。
申し訳ないが、私はこんな人を呼んだ覚えは微塵もない。
「呼んでませんけれど!?」
「助けてって呼んだだろ」
彼は私の左手首にあるブレスレットを一瞥すると、ため息をもらした。
「確かに助けてって言ったけれど、何で貴方がくるわけ!?というか誰なの」
私はつい動揺し、矢継ぎ早に質問してしまった。
「俺の名はサファイア。知性を司る石、サファイアを守護に持つ神だ。覚えておけ」
ひゅううぅっと寒そうな風が吹き、カタカタと窓を揺らした。
は?何言ってんだこいつ、自分のことを神とか言いやがった。
今すぐ精神科に問い合わせて厨二病の治療を受けてもらったほうが……
「お前のそのブレスレットのサファイアに宿っていた、いわゆる付喪神みたいなもんだ。信じられないならその目で確かめればいい」
彼は私が信じていないと察したのか、口角を釣り上げて不敵な笑みを浮かべた。
「今すぐ消えてやるよ」
「え、何。一体どういう……」
私が言い終わらないうちに、男の周囲が発光しはじめ、青白い光を放った。
その光は人魂のような形になると、私の左手首にゆっくりと吸い込まれていく。
その吸い込まれた先は――
ブレスレットの、青いサファイアの石だった。