初めまして、ミルトです。現代ファンタジーを書いてみたいと思ってます!
よろしくお願いします。
0、異能マンション
木枯らしの吹き始めた10月、秋――—
若葉 糸乃(わかば しの)は下校中にその肌寒さに身震いした。
16歳の高校一年生女子だ。日本人らしいショートカットの黒髪に黒い瞳を持つ。
血のつながった家族は無し、養子として引き取ってくれた父がいる。が、家に帰ってくることはほとんどなく、現在糸乃は二十階建てマンションの十階に一人で暮らしている。
性格は・・・本好きで少しドジ。学校の友達や親友は複数いる。運動神経が抜群なことで有名だが、普通の学校生活を過ごしていた。
そんな糸乃は大きな秘密を持っていた。一つだけではない。
自分の住んでいるマンションに着いた糸乃は重いドアを開いてエントランスに入った。
【お帰りなさいませ、糸乃様。お疲れさまでした。】
機械的だが穏やかな男の声がエントランスに響くと同時に、閉じていた自動ドアが開く。
AI、いわゆる人工知能によってこのマンションは管理されている。
「ただいま、サージュ。何か連絡とかある?」
糸乃はエレベーターに乗り込んで十階のボタンを押しながら尋ねた。
【特に糸乃様宛てのものは届いておりませんが、糸乃様の部屋に訪問者がいます。スライミー様です。】
「そっか。ありがと。」
【どういたしまして。】
その機械音声を背中に聞きながら、糸乃は自分の部屋へ向かった。
糸乃の住んでいるマンション―――それは世間的にはシュア―ヴの名で知られている。まあ、マンション名を気にする人はあまりいないが。気にするのはせいぜい年賀状を書くときくらいだ。というのは置いておいて、シュア―ヴの住民たちはシュア―ヴを異能マンションと呼んでいる。
なぜならば、その住民は異能を持っているか、この世界の者ではないから。
糸乃は自分の部屋のドアの鍵開けて部屋に入った。
その瞬間に、プルプルと震えながら床からこちらを見つめる手のひらサイズの透明なスライムと目が合った。
スライミーだ。
「しの〜!」
小さな声で叫び、ぷよぷよぴょんぴょんと跳ねて喜びを表すスライミー。
うん、かわいい。可愛いんだけど・・・
(床に水たまりが・・・しょうがないけど。)
喜んでぷよぷよぴょんぴょんしているスライムと、それを見て固まっている女子高生。
なんともシュールな光景だ。
糸乃はそう思って苦笑いしながらスライミーに呼びかけた。
「また蛇っ子に追っかけられたの?」
「そうなの―。おっきい赤ちゃんヘビ。で、怖くて逃げてたらぼくは水漏れしちゃった。」
スライム族は元々水分から出来ている体を持ち、体内で水を生産し、周りの水分を操る種族なのだ。ただ、恐怖などを感じると水分を上手く制御できなくなる。自分の命にかかわらない程度に。
そのことの正式名称はないし、それを水漏れとこのマンションの住民の一人がつぶやき、言葉を習っている途中のスライミーは水漏れと覚えた。
どうしても水漏れ修理の広告が頭に浮かんでしまうのだが。仕方ない。
スライミーから話を聞いて大体の事情が見えてきた糸乃はいつまでも玄関に突っ立っているわけにはいかず、スライミーを通り越してリビングに向かった。
スライミーもぷよぷよぴょんぴょんとついてくる。
「あ、スライミー玄関の水を蒸発させといてくれない?」
肩にかけていた学生カバンを床に下ろしながら糸乃はスライミーに頼んだ。
「わかった〜!」
そして、音もなく水は水蒸気へと変わる。
つくづく思う。スライムは不思議な種族だ。脳みそもないようなのに言葉を話し(しかも学習能力と言い、暗記能力といい、色々すごいのだ)、水分を制御する。のどもないのに声を出す。考え出すときりがないから深くは考えないが。
「スライミー、おいで。」
「しの、これから何するの?」
糸乃がスライミーに手を出して呼ぶと、スライミーはためらいもなく糸乃の手に乗って尋ねた。まるでゼリーを乗せているみたいだ。喋るたびにブルブルと振動する、ゼリー。
・・・よく考えれば不気味すぎる。正面から見ればかわいいつぶらな瞳も、横から見てしまうと・・・・・・・うん、言わないでおこう。
「とりあえず十五階に行こうか。」
そう言いながらスライミーとエレベーターに乗り込んだ。十五階に部屋は無い。ソファーやイス、テーブルやテレビ、自販機の置いてある階だ。
この異能マンションの住民たちは暇な奴が多いのでそこにたむろっている。大抵は楽しく遊んだり、談話をしている。たまにパーティーを開く場所だが・・・・・
エレベーターを降りた糸乃とスライミーが見たのはイスやテーブル、もしくはその残骸が飛び交い、その中を複数の住民たちが争っている場面だった。
糸乃とスライミーは固まった。さっぱり何が起こっているのか把握できない。争っている面子をよく見ると、悪魔、大蛇、ゴブリン、魔女、騎士に加えて糸乃の親友である人間、林 樹(はやし いつき)までもが参戦している。
(いやいや、これはないでしょ!ってか何してんねん!)
スライミーはとっくに恐怖で水漏れして、糸乃の手に水が溜まっていた。あっけにとられながらも耳を傾けると、物が次々に破壊される音に続いて声が聞き取れる。
「この意気地なし!ヘタレ野郎!」「うぁぁぁ〜!待て待てタンマ!ってちょっとシルヴィア!?」
時の魔女、シルヴィアが涙目で叫びながら悪魔のイルラに向かってイスを投げ飛ばしイルラはイスを魔法でぶち壊す。それを見たシルヴィアは自動販売機を持ち上げて投げ飛ばす。
「グガァ――!」「何っ!?魔法を使えるゴブリンだと!?」
イルラの隣のゴブリンは魔法、特に水魔法を駆使して剣を持つ騎士と戦っている。
「俺はどう考えても悪くないだろ、大蛇!」
そして樹は巨大な大蛇に追いかけられて逃げ回っていた。
・・・・わー、混乱してるね、場が。
糸乃は頭を抱えたくなった。
(修理代かかりそうだし・・・これを養父が知ったら・・・誰かが消滅するわ。)
糸乃の養父も異能持ちなのだ。この中にいる誰にも負けたことがない。
そこまで考えていた時、糸乃は木の破片が物凄いスピードで飛んできたので避けた。が、部屋の壁に穴が開く。
「っていい加減にせい!」
部屋の修理代を考えて一気に頭に血が上った糸乃はついに怒鳴る。
が、その声は自販機が破壊された音に紛れて届かなかった。
だが逆にその大きすぎる破壊音に、その場に居たみんなが動きを止めた。
先程までの騒音が嘘のように静まり返る。その中を、糸乃は進んでいった。
「何をしているのかな?」
にこやかな笑顔で問う。
騒ぎの元凶達は気まずそうに顔を見合わせた。
1、住民たちのトラブル
「それで?なぜこんなことになったのか話してもらうわよ。」
糸乃は部屋で暴れていた連中を見回しながら言った。もちろん座るものは木の残骸になってしまったので立ったままである。
「あ〜・・・それが・・・」
言いにくそうに悪魔のイルラは口ごもった。不機嫌そうに腕組みをしてそっぽを向いている自分の恋人である魔女、シルヴィアをチラチラと見て様子をうかがっている。
「始まりはイルラとシルヴィアの二人だ。」
樹が服に着いた木くずや埃を払いながら話し出した。
「その割にはあんたも暴れてようだけど。」
「俺は被害者だ!暴れてたんじゃなくて逃げ回ってたんだよ、大蛇から!」
糸乃がボソッと呟くと、樹が自分の隣でとぐろを巻いている3メートル以上はありそうな大蛇を指さしながら猛烈に言い返してきた。
「うん、まあ何があったかとりあえず教えてくれ。」
糸乃はため息をつきながら樹の話を聞いた。
「この手紙が原因だ。」
そう言いながら樹が漆黒の手紙を渡してきた。糸乃はスライミーを肩に乗せ、それを開いた。スライミーも一緒になって覗き込む。
「って何なのこの文字・・・読めないし。なんで私に渡したの?」
糸乃が呆れて樹に手紙を突っ返す。見てみれば、樹は見てにやにやとしている。それを見た糸乃は片眉をあげた。
「わざとってことね!」
ツンケンしながら言うと、樹は糸乃の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「お前の顔は見ていて飽きないからな。」
「どういう意味よ!」
樹は背の高さが糸乃より高いので、問い詰めていても糸乃が樹を見上げるようになる。糸乃が樹にいじられ、からかわれている光景はほかの者にとって、とても微笑ましく映った。
シルヴィアとイルラは先程の争いも忘れてささやき合った。
「早くくっつけばいいのに。」
「ああ、見ていてもどかしくなるな。」
イルラの言葉に賛同するかのように、大蛇がシュ〜ッと音を立てた。
「いつになったらくっつくか賭けてみる?」
【面白そうですね。私も参加してみたいです。】
シルヴィアの提案に突然乗って来たサージュの声に、シルヴィアとイルラが驚いて固まった。
「サージュはホント内緒話に不向きだね。部屋にいたら誰にでも聞こえちゃうじゃない。」
ため息をついてシルヴィアは天井を見上げた。
【私にもそれは分かっているのですが・・・言われると傷つきますね。】
「ロボットなのに?」
【さっきからひどいこと言ってくれますね、シルヴィア様。で、何を賭けます?】
「こら、私達で賭けをするな!」
糸乃はついに口を挟んだ。その衝動でスライミーが肩でプルプルと揺れ、落ちそうになっていることに気づいていない。
「大体、本題はなぜこんな騒動になったのかなのに!」
糸乃は嘆いた。
「まあまあ、いいじゃない。」
「良くない!修理代はどうするのさ!」
糸乃がのほほんとしたシルヴィアの肩をつかんで揺する。シルヴィアの綺麗な銀髪が一緒になってサラサラと揺れた。
「いざとなったら魔法でちゃちゃっと―――」
「いや、お前は魔法の使用禁止されているだろ。」
樹が冷静に口を挟む。
「あ、そうだった。」
「うん、なら俺が人間をだましてお金を―――」
「それもだめだから!絶対だめ!」
今にも外に出かけようとするイルラを、糸乃が慌てて止めた。
【糸乃様、スライミー様が肩から墜落しました。】
サージュの知らせに慌ててスライミーを拾い上げる。
「糸乃は昔から相変わらず苦労人だよな・・・」
糸乃の幼馴染みである樹は苦笑してそれを見ていた。
しばらくして――――
一同は赤いカーペットの敷かれた床に、円になって座っていた。(ただし、大蛇は別だ。円に入りきらないし、樹を追いかけまわし疲れ、寝ていた。)糸乃、シルヴィア、イラル、ゴブリン、騎士、樹。その中心には漆黒の手紙が置いてある。
「で、結局その手紙には何が書いてあるの?」
糸乃は置いてある漆黒の手紙を指さしながらイルラに尋ねた。イルラは気まずそうな顔をし、なかなか答えようとしない。それにしびれを切らしたシルヴィアが苛立たしそうに口を開いた。
「漆黒の手紙なんてそうそうお目にかかれないわ。魔界から届いたものよ。」
「ふーん?じゃあシルヴィアは何に対して怒ってたの?その手紙が原因なんでしょ?」
その言葉を聞いて、シルヴィアの目が燃え上がった。隣に座っていた糸乃が驚いて身を引くくらいに。
「だって!」
と、叫んだシルヴィアの次の言葉を、糸乃達は身構えて待ち―――
「まな板でじゃじゃ馬、欠陥だらけの時の魔女よりも、美しくて女らしい上等な女悪魔の方がいいだろうってかいてあったんだもの!」
脱力した。糸乃は軽くショックを受け、呟いた。
「ま、まな板・・・・・」
どんよりとした糸乃を見て、樹は真面目な顔をして糸乃の頭を撫でた。
「お前は大丈夫だ。まだ救いようがある。」
「どこ見て言ってんのよ!」
糸乃が言い返し、チラッとシルヴィアの胸を見る。
・・・・・・・・・・・・
失礼ながら、ちょっと立ち直れたかもしれない。
「何よ!」
糸乃と樹から憐みの目を向けられたシルヴィアが顔を赤く染めて睨みつける。
「ですが、私は貴女のような美しい女性にお目にかかったことはない。貴女は十分美しい。」
突然、それまで黙って話を聞いていた騎士が口を開いた。その表情は銀色の甲冑に阻まれて見えない。この騎士は謎なのだ。甲冑を外したところを見た者はいなく、名前すら不明。何か事情があるのかもしれないが、謎の騎士だ。
その騎士がシルヴィアをほめたのは、糸乃にとって予想外であった。
「ただの脳筋かと思ってたら案外タラシだった・・・」
樹が糸乃の隣で呟く。でも確かに、騎士の言う事はもっともでもある。シルヴィアの容姿は美しい。銀髪に緑の瞳。小柄で、細い。美女とまではいかないが、誰もが美少女だとは言うだろう。
【皆様、本部から連絡です。若葉 満(わかば みつる)様が三十分後きっかりにお見えになるそうです。付き添いに白石 賢一 (しらいし けんいち)様もいらっしゃるとのこと。訪問目的は機密。】
サージュの知らせに、一同は驚いた。若葉 満とは糸乃の養父のことだ。異能マンションの管理人の一人。そして、異能マンションに住む住人を管理、監視するための組織があるのだが、その幹部でもある。白石というのが、その組織のトップだ。厳格な性格だが、そんなに悪い男ではない。
「サージュ、その二人が誰に会うか、知らせは?」
【ありません。ですが、緊急のようです。】
糸乃は周りを見渡しながらこれからのために役割分担を考えた。
「やっぱり二人が来るとしたら十五階だよね・・・。よし、樹と騎士、イルラは十五階の破壊の証拠隠滅!シルヴィアは私と接客準備。ゴブリンと大蛇は・・・座るものとテーブルを調達。」
「じゃあぼくは、しののかたの上でじっとしてるね!」
実は忘れられていたスライミーが無邪気に糸乃にささやく。スライミーは空気が読める、いい子なのだ。樹がそれを見て笑いをこらえてるのを横目で睨みながら、誰からも役割分担について異論がなさそうなのを見て、糸乃は頷いた。
「それじゃ、色々後で聞きたいことが多いけど・・・とりあえず、行動開始!」
糸乃とシルヴィアがそれぞれの部屋でお茶やお菓子の準備を始めている間、樹、騎士、イルラの三人は壊れたテーブルやイスをエレベーターに乗せていた。
「これも、十六階行きだな。」
「そのうち十六階も埋まるんじゃないのか?」
樹が息を切らして大きなテーブルを運びながら呟き、それに、イスであった残骸(ざんがい)を複数持ったイルラが答える。
十六階は床の白いタイルがむき出しであり、高級そうな赤いカーペットが敷いてある十五階とは大違いだ。その上なぜか窓が一つもなく、物置としか使われていない。
今までにも、壊された家具たちはここに隠蔽(いんぺい)されている。
汗水垂らして仕事を進める三人の傍らで、大蛇が口の中からどんどんテーブルやイス、ソファーに座布団、テレビまでも吐き出していく。そしてそれをゴブリンがきれいに配置する。
大蛇の腹の中には胃へ繋がる食道のほかに、亜空間へと繋がる道があり、そこに様々な物をため込んでいる、らしい。
なぜ、一体どこから持ってきた物をため込んでいるのかは謎だ。
そして、何度も経験しているためにやたらと手際の良い証拠の隠滅も終わりに近づき、仕上げに大蛇がなぜかゲーム機を吐き出した時、機械音の呼び鈴が鳴った。
その場に居た全員が固まる。
到着はきっかり三十分後だったはずだ。あの騒動の中でも無事だった時計を見てみれば、まだ十五分しか経っていない。
【これは予想外です。大方、若葉 満 様の能力でも使ったのでしょう。お二方が到着されたようですね。ただいまこちらにご案内しております。準備はよろしいでしょうか?】
サージュの音声に、ハッと我に返った男どもはお互いに身なりを確認した。
「何とかお茶とお菓子が間に合ったわね〜。」
いつの間に居たのか、シルヴィアが明るく言いながら新しく配置された机の上に用意してきたお茶とお菓子を並べていた。その後ろには制服から私服に着替えた糸乃が立っている。
「こんなに慌てて来たってことからして、嫌な予感しかしないんだけどね。」
「その通り!さすがは我が娘だ。勘が鋭いな。」
ぼそりと糸乃が呟いた言葉の直後に、音もなく突然現れたのは三十代の二人の男だった。黒いスーツを着込んだ男はこちらを見てニコニコと笑っているが、もう片方の白いスーツを着ている男は口元を抑えて気分が悪そうにしている。
「こんにちは・・・?」
糸乃は疑問に思い、首を傾げながら挨拶をした。
2、悪魔A&B、脱走。捕獲セヨ。
「もしかして空間移動?」
糸乃は呟いた。その言葉にサージュが答える。
【その通りです。せっかくエレベーターを迎えに下ろしたのですが。途中で満様が白石様を連れて空間操作をし、直接こちらにいらしたようで。】
「ハハハッ!驚かせちゃったみたいだね。ごめんごめん。」
朗らかに笑って謝る黒いスーツの男が、糸乃の養父、若葉 満だ。あなたどこの国のハーフですか?と言いたくなるような白い肌に、整った顔と背の高さ。空間操作の異能を持っている。怒ることは滅多に無く、いつも笑っているが、キレると恐ろしい。
糸乃は満の養子ではあるが、満とは仲がいい訳ではない。どちらかと言うと、満は相手に自分を掴ませないようにしているので、苦手としている。自分の年齢は30代だとは言っているが、それにしては外見がいやに若すぎるのもその原因だった。満は時には10代と間違えられるほど若い。糸乃にとっては、外見が若すぎて父親という感覚がない。本心が見えないせいもあって、糸乃は満に警戒心を抱いていた。
「何の用?」
糸乃が素っ気なく尋ねると、満が苦笑して答えた。
「相変わらず素っ気ないなぁ。糸乃に会いに来たんだよ。」
こんなことを言っているが、満も満で、糸乃と慣れ合う訳でもなく互いに距離を置いている。薄々気付いているのだ。お互いに、秘密を持っていること。隠し事をしていることを。
「不必要な演技はやめたら?そこまで暇じゃないでしょ。」
満の言葉を跳ね返す糸乃。他の面々は少し冷や汗をかいていた。
「大事な話があるからなんだけどね。ほら、立てよ賢一。ホント酔いやすい体質だなぁ。」
「まったく。大人しくサージュのエレベーターに乗っていればよかったものを・・・。」
青ざめた顔を上げた賢一はそばにあったイスを引き寄せて座り込んだ。
満の空間操作は様々なことができる。瞬間移動もそのうちの一つだ。今自分がいる空間を移動したい場所の空間と入れ替えるらしい。が、その時に道連れにされると、酷く酔うのだ。これは慣れるまで時間がかかる。
「それじゃあ、具合が悪そうな賢一は放っておいて。」
「勝手に話を進めるな、満。ここは私が話す。」
賢一は咳ばらいをしてから近くのイスに掛け、話を始めた。
「先程、魔界から連絡があった。悪魔A&Bが魔界刑務所から脱走したらしい。」
「刑務所!?そんなの魔界にあるのか・・・」
「うん。この世界に研修しに来た悪魔が是非って魔王にお願いしたらしいね。」
樹の驚きに満が答えた。
「それより。A&Bって・・・随分適当な名前ね。」
「うん、ただの呼び名であって、本名じゃないよ。」
「それ、どういうこと?」
賢一の言葉に、シルヴィアが訝し気に尋ねる。糸乃も気になって眉をひそめた。
「それについてはそこの悪魔くんの方が詳しいんじゃないかな?」
満は肩をすくめてイルラに視線を流した。心なしか、イルラの顔色が悪い。上級悪魔であるイルラはどんな姿にでもなれるが、今はシルヴィアに合わせて人間の姿をとっている。悪魔も顔色が悪くなるものだなと、妙な所に感心をしながら糸乃はイルラを見た。
「イルラ、大丈夫か?」
樹が不思議そうに尋ねたが、イルラは答えずに頭を抱えた。
「そんなに厄介な相手なの?」
糸乃が続けて問う。イルラは悪魔としてはトップレベルの魔力を持つらしい。そのイルラが頭を抱えるという事は、厄介なのだろう。案の定、イルラは呻きながら頷いた。
「双子の男女の悪魔だ。二人とも上級悪魔で、A&Bは幼い姿を好んでいる。思考も幼い子供のようで、物事が思い通りにいかないとかんしゃくを起こす。それだけならまだいいが、双子は調合の知識が多くて。かんしゃくを起こすと、決まって危険な薬だったり、爆弾だったりを仕掛けて破壊しまくる。A&Bの本名を誰も知らないのは・・・本名を知るほど近くにいた者はその爆発に巻き込まれて命を落としたか、記憶を失う薬を飲まされたかのどちらかだからだ。」
その説明を聞いた一同は押し黙った。シルヴィアは沈痛な面持ちで、騎士もゴブリンも、その雰囲気から重い空気をかもし出しているのが分かった。みんな、元々居た世界では死は常に生活に隣接していたようだ。糸乃や樹は特に親しい身内も無く、平和な国で過ごしてきた。今一つ、命を失うという事の重みが実感できていない二人は顔を見合わせて居たたまれない表情をしていた。
「あのさぁ・・・僕は暗い空気は好きじゃないんだよね。賢一、本題を伝えろよ。」
満がその場の空気を最初に破った。賢一は小さくため息をつく。
「本題?まだ何かあるの?」
シルヴィアの言葉に満は苦笑した。
「ただ警告するためだけにわざわざ急いで来ないよ。賢一が中々話さないから言うけど。君たちにはA&Bを捕獲してもらう。」