主役は公孫讃です。
劉虞との争いから滅亡(主役なのに滅亡させます^^)
まで描くつもりですがもしかしたら統一したり死んで終わりかもしれませんよ。
三国志正史の流れを組んだり演義の流れを組んだりしますが基本的に創作です。
事実は書いてません。飽くまでも公孫讃主役ですから。
では始まり始まり。
やっぱり劉虞との争いの前からにしますね。
3:すずぬーと様万歳◆8s:2017/07/13(木) 21:49 「良し」
澄んだ大きな声で砦の無事を確認しているこの男。名を公孫讃という。
豪族の公孫氏の子であるが母親が賤しい身分であるため厚遇されていないのである。
だが孝簾に推されて朗となり遼東属国長史になったのである。
この日は数十騎の兵をつれて各砦の巡察をしていた。
最近、辺境の地では異民族が暴れているので巡察に来ていたわけだ。
次の砦に近づいたときその砦の近くに異民族らしき軍を見つけた。
よく目を凝らすとそれは鮮卑族であった。
最近国境で暴れているやつらだ。恐らく今も暴れに来たのだろう。許すわけにはいかない。
だが数百騎はいるようだった。だが向こうは安心している。スキを付けば勝てるかも知るない
「あの族どもを討てっ!!」
付いている部下にそう命じると砦の近くにたむろしている異民族に突撃した
異民族達は混乱し反撃するものもいたが突然だったため散り散りになり殆どは逃げていった。
反撃してきた者を倒すと逃げたものも追撃し倒した。
幾人かの部下を失うも異民族は全滅だった。大勝利である。
「勝ったぞぉ!!!」
皆そう叫んだ。油断しているように見えるがスキが見えない。それが彼らだった。
このお陰で異民族の活動は収束し公孫讃は琢部の令となった。
このとき、公孫讃が群雄として他勢力としのぎを削ることなど誰も予想していなかったのである。
作者の補則
鮮卑族討伐ですがこれは史実のようです。
実際に公孫讃の生母の身分はとても低く冷遇されてました。
しかし公孫讃の武勇により彼の位はどんどん上がっていきます。
第一話のタイトル忘れてた。
5:すずぬーと様万歳◆8s:2017/07/13(木) 22:26第一話タイトル 「族との争い」
6:すずぬーと様万歳◆8s:2017/07/14(金) 16:10感想まってます←は?
7:すずぬーと様万歳◆8s:2017/07/14(金) 17:21 第二話 韓遂、辺章の乱
鮮卑族討伐から幾星霜
時の凉州では朝廷をも揺るがす事件が起こっていた。
韓遂、辺章の反乱である。
朝廷は乱を沈めるため勇猛で知られる張温を車騎将軍とし江東の虎、孫堅と徐州牧の陶謙を参謀につけ中朗将の董卓とともに鎮圧に向かわせた。
幽州からの援軍が募集されていたのでこれに中山太守の張純が目をつけた。
「私が引き受けましょう」
彼は使者を通じて呼び掛けるが張温はパッとしない張純より武勇で名の知れている公孫讃に頼みたかった。
そのため張温は反応すらしていなかった公孫讃を抜擢し熱心だった張純を退けたのであった。
しかしこれが原因で新たな争いが起こるのであった。
さてこれといった反応をしていなかった公孫讃もこれには喜んだ
「まさか家柄も低く生母も賤しい私がそんな大役を引き受けられるとは……まことにうれしきことじゃ。我ら公孫讃軍は3000の騎兵を用いて鎮圧に向かいましょう」
公孫讃にとっては国の役に立てるのは嬉しいことだった反応しなかったのは家柄を気にしてのことだけであり情熱は誰よりもあった。
こんな時にゆったりしておられんと急いで準備をし3000の突騎を出した。
張温は喜び公孫讃に都督の割符を与えた。
これにより公孫讃は突騎部隊3000を指揮することになった。
公孫讃軍の士気は点をつき電光石火のごとく攻め寄せた
だが事件は彼らが薊(けい)まで来たときに起こった。
補足
どんな事件がだいたいわかりますね。
これも実話です。反乱も起きましたし抜擢されたのは公孫讃です。
しかし公孫讃を抜擢した理由や公孫讃の反応は不明で全て私の想像です。
これは公孫讃主人公なので公孫讃をいいやつにしていますが正史の野心家公孫讃なら
「俺の力をのばすチャンス!」
と思って引き受けたのかもしれませんね。
あげ
9:すずぬーと様万歳◆8s:2017/07/14(金) 23:06三話ごとに用語解説をしていきますね。
10:すずぬーと様万歳◆8s:2017/07/15(土) 00:08 第三話 怒れる張純
「おのれっ、張温め!公孫讃め!断じて許せぬ。殺してやる殺してやる。熱心な家柄もそこそこの私を差し置いて公孫讃などの田舎者の下朗を抜擢するなんて許せぬぞ!」
張純は幽州からの援軍に抜擢されなかったことを深く恨んでいた。
「こうなったら……。あのバカ野郎に目にもの見せてやる。……張挙と丘力居(きゅうりききょ)と烏桓族(うがんぞく)に密書を送れ。反乱を起こしてやる。張温を殺してやる。公孫讃もな!」
張挙は張純と同郷で友人である。
丘力居は烏桓族で丘力居を引き入れることで烏桓族も引き入れようとしたのだ。
反乱軍は朝廷に不満を持つ漢民族も味方し10万にまで膨れ上がった。その勢いで遼西や北平付近を荒らし回っていた。
そうすることで公孫讃や張温に圧力をかけたのである。
そのうちに陶謙の守る徐州や公孫讃や他の群雄の守る幽州、これといった勢力のない冀州なども襲うようになった。
もう放っておけなくなったため公孫讃は乱の平定に向かった。
しかし張温に呼び出されたので仕方なく張温たちのいる陣へ向かった。
そこには張温はじめ孫堅などの雄(ゆう)がいたが董卓の姿はなかった
(裏切ったのか?)そんな考えが膨れ上がった。我慢しきれなかった公孫讃はつい
「なぜ董卓将軍は不在なのです?」
と聞いてしまった。場の空気は壊れかけたがすぐさま孫堅が答えた。
「董卓殿は途中で賊に襲われて到着が遅れるらしい。心配はいらん。董卓将軍は勇将だ」
その答えを聞いてほっとした。三つ目の反乱でも起きたら大変だからである。
暫く静寂が陣を襲った
すると震えた声で張温が語りはじめた
「張純めが乱を起こした総勢10万という。すぐに征伐したいがこちらの乱を放っておくわけにもいかん。どうすればよいのだ。天は我らを見捨てたのか……」
言い終わると張温は悔しそうに天を仰いだ。
「それならご心配なく」
自信ありげに孫堅が言う
孫堅は黄巾の乱のときも窮地を何度も何度も脱し少数の兵で大くの賊を破った男で部下も知将、猛将に恵まれており江東の虎の異名を持つ有力な群雄だ。
孫堅は驚く諸将をよそに続けた
「我が軍には知将の程普、猛将の黄蓋と祖茂と韓当がおる。それに我が兵も精鋭揃いだ。命を懸けて戦っていない奴等より我らのほうが上でしょう。ですからわしに……」
「しかし……」
孫堅の言葉を遮るように張温が呟いた。
張温は呟くように続ける
「陶謙殿の徐州が襲われておる。そちらも救わねばならぬ。それなら孫堅殿だけだと厳しいではないか?軍をわけるのは下策ではないのか?」
「そ、それは……」
孫堅も流石に「いきます!」とは言えなかった。
公孫讃は悩んだ。自分はどちらを先に救うべきか。
一人で苦難するうちに一つの答えが見えた
「張温殿、張純は私にお任せください。」
「しかし公孫讃殿そなたの軍は3000敵は10万、数が違いすぎます。ここまで違うと……」
張温がなよなよっとした声で答えた。
陣中には暗雲がかかっていた。
が、それを照らすように公孫讃が澄んだ声で答えた
「漢民族達は朝廷に文句があるだけで張純を守る気は毛頭ないでしょう。丘力居も何かの思惑があって手を貸しているだけです。本気で向かってくるのは張純と張挙だけです。精鋭揃いの我らなら打ち破れます」
「そうか……そなたの言葉信じるぞ。では公孫讃殿、張純は頼みました。」
張温は息をスウッと吸うと続けた
「皆、我々も陶謙殿の徐州を助け反乱を沈めるのだ!」
「オーーーーー」
陣は光に包まれた。
だが公孫讃の読みは完全に当たってはいなかったのである。
補足
呼び寄せたというのは創作です。
しかし各々の不安を表すために作りました。
董卓のやつこれは黄巾族に負けたことのある董卓というのを強調するためにそうしました。
つまり創作です。
孫堅は江東の虎と言われていました。
孫策の江東の小覇王の影に隠れがちですがこちらも凄いことです。
孫堅と董卓は話の中でどんどん重要になってきます。
では次回は用語解説をしていきたいと思います。
ちなみに程普は武芸にも秀でていますが頭もよく軍師に近かったときもあったので知将としました
孫堅の知将は張昭や魯粛です。呂蒙や周瑜はそれより後になります。
見せ場が
13:燕人@猿人ではない◆8s:2017/07/15(土) 23:41 第四話 石門合戦
「では行って参ります」
公孫讃は軽く礼をすると踵を返し陣を出ようとした
「またれよ」
だがすぐに諸侯が引き留めたのだ
「しかし今は窮地、すぐにでも出陣せねばなりませんぞ」
公孫讃は早く出陣しようとはねのけるが陶謙に引き留められた
「しかし公伯圭(はくけい)殿、そなたの兵は長旅で疲れておろう。士気も低いはずじゃ。士気が低ければいかに相手が烏合の衆であろうとも負けてしまいますぞ。今日は食事をし兵たちをゆっくり眠らせてくだされ。さすれば疲れもとれ士気も上がり賊を討てるでょう。」
伯圭とは公孫讃の字(あざな)である。日本で言う諱と同じだ。本名と別にある名前みたいなものだ。
公孫讃はたしかに、と思った。
「確かにそうでした。この公孫讃反乱が起きたと聞き早っておりました。陶謙殿のお言葉有り難く存じます」
公孫讃は全軍に休むことを命じた。
宴会が開かれ皆心置きなくくつろいだ。
決戦のために。
翌日、ついに出陣の時が来た。
「公伯圭殿、御武運願っております」
陶謙が熱を込めて言った
「公孫讃殿、何かあればすぐに我々が駆けつけますぞ」
と孫堅が自信ありげに言ったが
「孫堅殿、下策と昨日言ったでしょ!覚えといて下さいよ!」
「あ、すまぬ」
すぐに張温が突っ込み陣は笑いで包まれた。
「わが公孫讃軍は逆賊、張純を討ち取って参ります!進めぇー」
公孫讃は陣を出ると全軍を進ませた。
張温たちはそれを笑顔で見送った。
「公孫越が来たぞー」
「こっちは厳綱だぁーー助けてくれぇー」
公孫讃の読みの通り賊軍は烏合の衆でしかなかった。
すぐさま公孫越が槍で3人の兵を吹き飛ばし厳綱が一人の敵兵の喉を貫くとその兵から刀を奪いもう一人の兵の顎に投げ突き刺した。
賊軍の武将も公孫越にあっさり討ち取られた。これはいかんと思った賊軍は公孫讃を討ち取りにいったのだ。
「公孫讃ーわしと勝負せい」賊軍の将軍が懸けてきた。
「この公孫讃、受けてたとう」
すると相手は槍を大きく振りかぶった。「やぁっ」
だが振りかぶりすぎたため時間がかかり避けられてしまった
すぐにその隙を公孫讃はついた「せやっ!」
がら空きの脇を刀をで切ったのだ「うわぁぁ」
相手は士気を失い逃げ出した。「殺さないで、助けてくれ」
「お前から勝負を挑んだのだろう逃げるな。恥だぞ良いのか?」
「うるさい」
勝負を挑んだのに背を向けるなんてあり得ないと思った公孫讃は躊躇なく背に向けて槍をついた。 ドスッ
槍は敵将の体を貫いた。敵将は短い断末魔をあげて斃れた(たおれた)「打ち取ったぞ!」
敵将の首をあげると賊軍の士気はなくなり滅茶苦茶に逃げ出した。公孫讃はこれを好機とみて一気に追撃した。
だがこれが仇となる。
どれくらい追いかけただろうか。途中で敵の援軍がくるもそれも破った。逃げる敵もわずかだ。だが公孫讃は大変なことに気付いた。
『囲まれている』 ということに。
遼東を解放し沢山の捕虜を手にいれ幾度も張純を打ち破り
長城を落としたものの、深入りしすぎたため囲まれた。敵には烏桓族もいる。思惑があるだけだから士気は低いとみていたがそんなことはなかった。どの軍よりも高い。
突撃しても全滅するかもしれない。ここは耐えるしかない。
どれ程たっただろうか。囲まれてから。
兵は疲れている。もう駄目かもしれない。
そこに公孫讃へとどめをさす知らせが入る。
陣中へいきなり兵が駆け込んできたのだ。
「なんだ、無礼者め」
公孫讃の武将が怒るが公孫讃はそれを諫めた(いさめた)
「何があったのだ?遠慮はいらぬ申してみよ。」
「はっ、公孫讃様、我が軍の兵糧が尽きました!もうもう……戦えませぬ……」
「うっ……そうか。し、仕方あるまい。撤退だ」
公孫讃は部下にやむなく撤退を命じた。
『兵糧が尽きました』
この一言が効いたのだ。
「全軍ーてったぁーい、繰り返す、全軍てったぁーい」
賊軍は状況を読んだのか包囲をときはじめた。
公孫讃軍はそこを通り遼東へ逃げた。
「私の不注意のせいだ」
公孫讃は深入りしたことを深く恥じた。
補足 深入りしてしまったことは事実です。
深入りで失敗する例はこの後も沢山あります。
調子にのってるといけませんね。
今回は撤退ですみましたが
曹操の赤壁の戦い のように
沢山の兵を失うこともあります。
落として→越して
でした。
鮮卑族……モンゴル高原にあった民族。
黄巾の乱……太平道の教祖、張角が起こした大規模の反乱。漢室滅亡の原因を作る。
程普、韓当、黄蓋、祖茂……孫堅四天王
公孫越……公孫讃の弟
顔綱……公孫讃の部下
長城……万里の長城のこと
車騎将軍……衛将軍の上の位
都督……軍事などを管轄
越後さん。見てくれたよね←きも
17:燕人@猿人ではない◆8s:2017/07/17(月) 10:35 第五話 怠け者董卓
「面倒くさいのぅ」
そう呟くこと大柄な男は中郎将そう董卓である。
この漢で彼ほどの怠け者はいない
実は異民族に襲われたというのは嘘で怠けていたから遅くなっただけなのだ。
「バカな皇帝で助かったわ」
軽く笑いながら隣にいる弟、董旻に語りかけた
「将軍も節穴で助かりましたな、兄上」
董卓はもっともだという顔で大きく笑った
「ハハハそうじゃな。そうだ、やつらと我らどちらが優れてると思うか?」
董旻にわざとらしく訪ねた
「奴等の勇将には公孫越、祖茂、甘寧、黄蓋、韓当などがいます。人数では奴等の方が上です」
「弟よ、数ではないんだよ。我らの華雄にかかれば相手ではないわ。」
大きく笑いながら董卓が言い返した
「兄上、でも知謀の士は奴等の方が上では?」
「何を言うか弟。こちらにはあのバカ霊帝から奪った李儒がおるし董旻、そなたも知謀に溢れておるだろう。」
また董卓が言い返した。
「ありがたいです兄上」
董卓は議論を終えるとまためんどくさそうに馬を歩かせた
李儒と李粛を間違えた。ヤヴァイ
19:燕人@猿人ではない◆8s:2017/07/19(水) 00:41 第六話 怠ける産廃、怒れる英雄
「張温殿っ!張温殿、公孫讃伯圭です。」
満身創痍でボロボロになった公孫讃を見た張温は驚いた
「公孫讃殿何があったのです!」
「そ、それは……」
とても言いづらい深追いのせいで負けたなんて
「もしや……張純めに負けたというのか!」
「は、はい。自ら出ていったのに負けた。これは取り返せない失態です、死んでお詫びつかまつる!」
そう言うと刀を喉に向けた……
「まて、待つんだ、たった3000でここまで痛め付けたことは素晴らしい。やつらもしばらくは出てこれんはずじゃ、死ぬ必要はないそなたは必要なのじゃ、そんなことより……」
「この私めをお許しいただきありがたくぞんじます、して何があったのです?」
張温は呆れたように言った
「遅れた董卓がやって来たのだが出兵もせず遊び呆けておる、この前無理矢理出兵させたのだが負けて帰ってきたのだ」
「しかし負けるくらいはあるでしょう、相手は精鋭です」
自分の負けは許すのに董卓の負けは許さないというのが妙だった。
「違うのだ公孫讃殿、やつめの兵はほとんど減っておらぬ、噂によると戦ったふりをしただけでほとんどなにもやってなかったそうじゃ!」
普段は温厚な張温が怒鳴った。公孫讃はそんなに酷いのかと思い董卓に怒りを通り越して呆れを覚えた
「そうですか……どうしましょう?」
「それが……孫堅殿が策があると今日の夜にこっそり集まろうと」
「わかりました、それでは。」
公孫讃は陣を出るとまっさきに董卓の方を見た、
外を見てボーッとしていた、この男ふざけているのだろうか?
夜
「董卓を殺しましょう、さすれば……」
孫堅が董卓殺害の案をせつめいする途中で
「ならぬ!」
と言葉を遮るように張温が退けた
「なぜです?」
「董卓などいかしておいても問題ない、それに失敗したら我々はどうなる?それに殺せるかすらも心配だ」
年を取って臆病になっている張温は董卓を殺害することを躊躇った
「張温殿、ここで躊躇ってはいけません。董卓を殺さねばならぬ理由を言いましょうか?1つ、やつが我々の邪魔になっている。二つ、奴が負けたせいで敵が勢いづいている。三つ、やつはいずれ漢室を脅かすようになる。ですからころしましょう、こんな好機二度とありませぬ」
「孫堅殿、一つ目と二つ目はわかる、だが三つ目は?証拠はあるのか?」
「それは……わしの勘です」
「孫文台(文台は孫堅のあざな)殿そなたの勘で殺すというのか?董卓が無能でバカなだけだったとしたらそなたは取らなくてよい命を取ったことになりますぞ」
陶謙も反対した。そりゃ徐州の好ゝ爺だ、殺すなんてしたくないんだろう。
「む、ならば公孫讃殿の意見は?」
孫堅が賛成してくれと言わんばかりに見てきた
だが……どうも決断できなかった。
「中立……」
「そうか、もうよい。わしが一人でやつを殺す。もし失敗したとしてもやつがのさばり漢室が乱れるのを後悔しながら見届けるがよいでしょうな。もう、失礼する」
「孫文台殿……」
孫堅は起こって出ていってしまった。
どうしたらよいのか、自分が中立したばかりに……でも董卓なんて小物ではないのか?そんな気持ちもあったし、仕方なかった。
このときには孫堅くらいしか董卓が後にのさばることを察知していなかったのである。
補足
孫堅は暗殺を計画するも
実こうしなかったまたは失敗した
だそうです。
もしこのとき、董卓を殺していたら群雄割拠はおろか三国時代もこなかったでしょう。
起こって→怒って
またミスです
批評コメントが一つもないとw
さみし
第七話 野心家劉虞
反乱がいっこうに収まらず張純らの反乱も盛り返してきている。これを解決するために朝廷は劉虞を幽州牧に命じた。
劉虞は烏桓族に贈り物をし懐柔しようとした。
懐柔は殆ど成功し丘力居らは張純を殺害し、行き場のなくなった張挙は自害した。
これにより反乱は沈静化し韓遂らの反乱もようやく鎮圧した。
公孫讃は幽州牧となった劉虞と会うことになった。
「武力でどうにでもならなかったら心を攻めたらいいんですよ。ああいう豪の者に暴れられると漢室が余計に廃れます。ただ、武力を使わねば張純が烏桓のところまで逃げることはなかったでしょう。あなたのお陰です感謝しています。」
劉虞は公孫讃に深く一礼した
その後しばらく話し込んだが劉虞は極めて冷静な感じで心が綺麗な人間のように公孫讃には写っていた。
だが弟、公孫越にはそう写っていなかった。
「兄上、彼は一見礼儀正しく清廉潔白のようですが野心家の目をしています。朝廷に反抗するかもしれません。」
「考えすぎだろ。」
公孫讃はまともに聞き入れなかったがその後この事を後悔することになる。
補足
短いですね。
実際の劉虞は清廉潔白な人間で野心家などではありません。
むしろ公孫讃こそ野心家です。
張挙については自害としていますがこれは一説で
いまのところ不明です。もしかしたら長生きしているかも……しれません。
烏桓族ですが烏桓山に勢力を作ったから烏桓族のようです。
匈奴が分裂してできたやつなんですが……
次回はやっとTHE産廃・董卓が暴虐の限りをつくします。
あ、生きてます。 劉虞についてですが彼は公孫[王賛]の上司みたいなもので演技での劉備に匹敵するくらいの徳の人ですが、公孫[王賛]を善人にするために悪人になってもらってます。
24:燕人@猿人ではない◆8s:2017/10/26(木) 17:15番外で武将列伝とかも書きますね!
25:名前は控えさせて頂きます:2017/11/16(木) 21:50公孫サンって実際は極悪人なんです。あと名前変わりました
26:白い綿棒◆9s:2017/11/24(金) 19:09ここで董卓を出すかそれまでのゴタゴタをかくかまよう。
27:白い綿棒◆9s:2017/11/25(土) 10:28 第八話 反董卓連合(上)
河北では領土問題、荊州では区星(オウセイ)の反乱や張羨(チョウセン)と劉表(リュウヒョウ)の対立、青州辺りでは黄巾賊残党の反乱など漢帝の権威の失墜と共に漢の荒廃が進んでいた。その元凶は宦官(カンガン)と外戚の対立であった。宦官は高い位とは言えないが帝の側に仕えているので、政治的な力はかなり強かった。賄賂によって位を決めたりもした。そのためか賄賂を拒否した皇甫嵩(コウホスウ)将軍や朱儁(シュシュン)将軍が位を取り上げられたり盧植(ロショク)将軍が罪人扱いされたりした。宦官には特に力をもつ十常侍というのがいて彼等は外戚で特に反宦官の何進(カシン)を邪魔に思っていた。そして暗殺計画を立てるもあっさり露見し首謀者の蹇碩(ケンセキ)は殺された。そして邪魔になっていた董太后も殺された。常侍が何進を陥れるためそれを国中に流布させようとしたがあっさり露見し逆に何進に攻めこまれるも十常侍の策略により何進は暗殺された。だがこれは十常侍の誤算であった。彼等は何進など何もできない男と思っていたが、配下には慕われており、怒り狂った袁紹や袁術に宦官は皆殺しにされてしまった。そのとき張譲が少帝と陳留王を連れていくも力尽き帝と陳留王は董卓のものとなってしまった。董卓は少帝を陳留王に禅譲させた上で少帝と何后、二人を慕うものを参謀の李儒らに殺させた。横暴はそれに留まらずなってはいけない位である相国に就いたばかりか邪魔なものや反対するものを殺し始めた。
コメント
説明文かよ。こ、こっからおもしろくするんだからねっ///
誤字多すぎて笑う
29:白い綿棒◆9s:2018/01/11(木) 20:50張センより張津のほうが先だったわスマヌ
画像|お絵かき|長文/一行モード|自動更新