「誰にも干渉されたくはない,だけど触れたい.
誰にも見られたくない,だけど献身的でありたい.
起源としての君は明らかに自分勝手で,矛盾している.だから,これからも傷つく未来しかない」
両親が連れてきた医者は,まるで俺の姿を見えているかのように断言した.
天井に設置された古ぼけて赤茶色の明かりを放つ白熱電球は,彼女に魔性の雰囲気をまとわせる.
それに圧倒された俺は,『透明化』が自身にかかっていることを確認した.
軍事に用いられる光学迷彩より完璧な存在の消失.
光を透過し,熱は周りから伝導されて調和される.
ただ両親と両手で繫がる触覚だけが,俺の存在を確かに示している.
妖術とも呪いともいえる,この透明化をあっさりと受け入れたこの医者は何者だろうか.
俺は恐怖と一抹の期待をこの医者に抱いた.
一方で父親は痛いほどに,自分の手を握った.
「その未来を,変える術はあるのでしょうか」
医者は,その肉感豊かな足を組み替えて,白衣の胸ポケット煙草を取り出した.
「未来を変える術なら,いくらでもあるさ.それでも,人の性質というのは変わらない.君の幾千幾万の未来は,いずれも深い痛みを伴うものだ.あるいは,そう感じるもの.他人から見ればいささか神経質で,人を気にしすぎるくらいだろう」
母親は,意を決したように言った.
「...それでも,その痛みを軽減してあげたい.それはこの子の母親としての意思です」
その願いを聞いて,医者はたっぷりと一服してから,鷹の眼光で俺を見据えた.
「わたくしとしては,いい加減,君自身のの意見を聞きたいものだ.それとも君の口は,愛想笑いを浮かべるためのものか」
「ミエテル,ノ?」驚きのあまり実に一週間ぶりに,両親以外と会話した.案外,苦痛ではなかった.
「ああ,君が血だらけになっても笑って見せる未来が見えているよ」
彼女が大真面目に言うものだから,自分を揶揄しているのだと気づくのに遅れた.
「バカにスルなっ」
「バカにしてないさ.そういう不器用な生き方をしていたやつなら,幾人も知っている」
「このっ...」
言葉を発しようと空気を吸い込むが,歯の隙間からすーすーと漏れ出るばかりで何も出てこなかった.
医者は白い煙を,ゆっくりと吐いた.
「今はもう全員,焼かれてしまったがね.君を見ていると,彼らを思い出すんだ」
「今の俺は誰にもミエテないっ!もう二度と見せないっ!」
「そうして,心に秘めたものを信じ疑わない姿勢は,まさしく起源を発症させたもののソレだ.だから,自分の肉体と精神に過剰な負荷をかけてしまう」
医者は,胸ポケットから,一枚の名刺を取り出した.
そこには,聞いたこともない施設の名前と連絡先が記されていた.
「ここなら,君の未来をすこしは延長させられる.君が壊れる前にさっさと来るがいい」
医者は立ち上がって,ハイヒールをコツコツ鳴らして玄関へ向かった.
母親は慌てて立ち上がり叫んだ.それに引きずられて,俺も飛び上がる.
「待ってください!この子の摂食障害はいったいどうすれば...」
医者は煙草を捨て,それを踏みつぶす.
「大方,食べることが貴方たちの負担になるとでも感じたのでしょう.
それなら,とりわけ裕福でもない貴方たちが私に払った代金を教えてやればいい.それが,食べなかったことへの代償だ」
医者は最後に,酷薄そうな笑みを浮かべた.
「君のような親不孝は,初めて見た」
俺は,足元が崩れていくような錯覚に陥った.
幕間
医者が去ったあと,献身とは自意識の消失を意味するのではない.自分の役立てる最高の部分を,相手に捧げることだと,お父さんは俺を諭した.
でも,俺の中に両親のためになるようなものは,ない.今までも勉強ができるわけでも,運動ができるわけでもなかった.思いつくものすべてが並み以下で,
最低のものがほとんどだった.それでも何かしら期待してくれた両親の優しさが胸の奥に刺さった.
今両親は,俺をあの施設へ送る話をしている.
ついに捨てられたのだという悲しみが溢れる一方で,どこか安堵している自分を疎ましく思った.
両親の話に吐き気を催した俺は,自分の部屋の扉に掛けられた木片を『不在』を表にしたまま,扉を閉めた.
窓もなく,寝るためだけの部屋.小学校にはじめて入学した際に特別に与えられたそれは,身体が大きくなるたびに窮屈になった.
今となっては俺一人がいるだけで,空間の大半を満たしてしまう.
だけど,ここは俺にとっての聖地だった.
かつて透明化は.ここに一人でいるときは解けていた.だけど,あるとき母親がノックをせず,覗いていることに気づいたとき,透明化は解けなくなった.
そのときの母親は,俺の姿を見たかったらしい.それを責める気は微塵もなくて,むしろそんなことをさせてしまった自分がいやになる.
想いとは裏腹に,透明化はどんどん強まっている.
透明化になっている期間は今日で一週間を超えた.
透明化の範囲にしても,最初は自分の頭,次に身体全体と着々と広げ,今では着ている服,靴にも作用するようになった.
透明化が強力になるたびに自分の存在が,希薄になっていくのを感じる.どんどん忘れられていく.
学校には当然行っていないし,外出するのも親は良い顔はしない.
透明化の弊害として,どんな危険が待っているか分からないからだと言う.
でも,今考えるとそれは違うかもしれない.
息子が透明人間という化け物になった.例え現実離れしていようと,悪い噂が立つ可能性のある火種を両親は揉みつぶそうとしたのではないか.
不安と疑惑の螺旋は,永遠に続くようだった.俺は,それを打ち払うように髪をかきむしった.
「親は悪くない.悪いのは俺.なにかと理由をつけて,今の状況を親のせいにしている俺だ」
復唱し,慟哭し,あるはずの腕で床を殴りつける.
床にじんわりと血が浮かんできた.とても自分から出たものだとは思えなかった.
消したい.
消したい.
けがらわしい,生きた証のすべてを消したい.
そのとき,俺は天啓を得た.
家を出よう.そして,誰にも見つからず,ひっそりと暮らして,それとなく他人を助けて,無関係に死ぬ.それが,自分なのだ.あの医者は起源だの,未来だの賜っていたがそんなのくそくらえだ.
俺は,何枚かの上着と下着を生徒鞄に詰め込むと部屋を出た.
両親には一筆したためようと思ったが,感謝の言葉を今更つらつら並べたところで,意味のないように思われた.だから,率直な気持ちを伝えた..
『生まれてきて,ごめんなさい』
我ながら自分勝手だと思った.だけど,本心からだった.『でも,お父さんとお母さんのおかげで,楽しかったです.お父さんと,お母さんは楽しかったですか?
自分は,そうは思えませんでした.せっかくお金を貯めて学校に入れてくれたのに,俺は途中退学しました.それまでの,二人のあらゆる期待を裏切りました.
それなのに,楽しいと答えてくれることを期待している自分を消し去りたいのです.
さようなら.どうか,俺のことは忘れて下さい.そして,今まで不幸だった分を取り戻してください』
なんて,女々しい.だけど,これが曝け出した自分なのだと,自信が持てた.
くしゃくしゃの手紙を,部屋に放り込んだ.
木片を不在にしておけば,いくらか時間稼ぎになるだろう.
予想される未来に反して,久しぶりに清々とした晴れやかな気分になった.
これは自暴自棄というやつだと理性的な部分が囁いたが,やれ悲しいかな.俺は絶望などしていなかった.
つづく
8:◆QY:2017/10/15(日) 09:17 つづき
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