【あらすじ】
電気が普及し始めた頃の日本。
未だに電気の設備が通らない小さな農村があった。
村の人々は薪を燃料とし、森の木をたくさん伐採して生活していた。
そんな人間に怒りを示した鬼の双六は、村に雷を落とす。
双六の怒りを沈めようと、村長は村で変人発明家として名高く結婚相手のいない照を生贄として双六の元に送り込む。
追い返す双六だが、発明家の照は雷を落とす能力で村に発電所を作ると言い出し……(´∵`)
>>02
【双六(すごろく) ♂??歳】
森の奥深くに棲む青鬼。
顔立ちの整った青年の姿をしているが軽く100年は生きており、年齢は不詳。
雷を自在に落とすなど強大な力を持つため、村の人間からは恐れられている。
【江暦 照 (えれき てる)♀15歳】
小さな農村で発明に没頭する少女。
嫁として貰い手がない"売れ残り"だったため、双六の怒りを抑える生贄として双六の元へ連れていかれた。
双六の雷を落とす能力が電力発電に使えると考え、双六の森に居座るようになる。
【村長 ♂99歳】
村の長として自治している老人。
双六の怒りを鎮めるために、照を生贄として双六の元に送り込む。
『悪さこいてると、森に置ゐてってしまうからね。こわ〜い青鬼に喰われるだぁよ』
悪ガキを窘める言の葉というのは、なまはげがやって来るだの悪魔が連れていくだのと地域によっても違う。
電気が普及しつつある戦後の日本の中で、未だに電気の通らない王井村では、"森に棲む青鬼"が使われているらしい。
実際、村では古くから森の青鬼の存在は信じられており、森を無碍にすると祟が襲うだの呪いがかかるだのてんやわんや騒がれてきた。
最も迷信を危惧するのは余程の高齢者か幼子、宗教に心酔する者くらいで、近頃の若者は鬼の存在など信じていない。
そのため森の木の伐採は進み、森に聳える立派な杉の木は人々の建築材料やら薪やらとなって消えていく。
「森を無碍にするでない。森を荒らした末には、森に棲む青鬼の怒りに触れるであろう……」
「うるせぇ! 長だか村長だかか知んねぇがぁよぉ、そんなもん迷信だってぇの。家を建てるにゃ立派な檜、杉の木、楠ってもんよ」
王井村を囲うようにして聳え立つ森の奥深く、斧を振り上げる大工と老人が口論していた。
早朝の霞がかった中で互いの顔も明確には見えないが、大工の不機嫌そうな声色から苛立ちが伺える。
木が覆い茂る森の中、この一帯だけ不自然に木がない。
大工と老人がいる場所を中心とした半径30メートル内の杉は、全て切り株と化している。
無精髭が特徴的な中年の大工は、筋肉質な太い腕で次から次へと手際よく太い杉の木を伐採していく。
太く伸びた杉の木は、ぎぃっと悲鳴にも似た音を立てながらあっけなく横たわった。
それを眺める村長の顔は、いつもに増して皺が多い。
特に眉間。
「そんなに大きな杉の木を、何本倒す気だ? もう、十分であろうに……」
──バサリ。
数秒言葉を交わす間にも、また一本と木が死んでいく。
大工は斧に付着したおがくずを手で払いながら怒鳴る。
「さっきからうるせぇぞ、じいさんよぉ。森にゃこんな腐るほどあんだぁ、一、二本切ったって変わりゃしねーよ」
「だが森の青鬼の呪いが……」
かすれた細い声に反して図太く食い下がる老爺に、中年の男は怒りを含んだため息を零した。
「そんな迷信あてにして……これだからじじいは! 邪魔すんなよじいさん。ほら帰った帰った」
「くっ……」
これ以上の制止は無駄だと諦めたのか、村長は古びた黒い木杖をつきながら背を向けた。
大工はもう一度斧を持ち直し、おおきく振りかぶったその刹那に──。
一瞬、霧を劈くような閃光が瞬いたかと思うと、鼓膜を破るような轟音が、吠えた。
大工も、吠えた。
「う、ゔぅうわあぁああ゛ー! 俺のぉ、俺の斧がぁあ……!」
雷が降り立った地は大工のすぐ横の──斧であった。
斧は雷撃を直に受け、黒く煤けた煙を上げながら山の斜面を下っていく。
そしてあれよという間に下の小川にぼちゃんと落ち、柄の部分は滑るように流れた。
多くの木の命を奪った凶器は、一瞬でただの鉄くずと化していた。
「周りの木を切ったのがいけなかったなァ。少しでも残しておけば、雷は杉の木に落ちたろうに……」
村長は転がり落ちる斧を、射抜くような目で視た。
雷は高い場所に落ちやすい。
高い杉の木が多く生きるこの森なら杉の木に落ちる可能性が高かったが、一帯の木はほとんど大工が切り落としてしまった。
罰が当たったのだ、と村長は鼻で笑う。
しかしそう悠長にもしていられなかった。
村長はピンポイントで斧が直撃を受けたことに、気が付き、はっと双眸を見開いた。
「まずいぞ……! こりゃあ、まずいかもしれん……」
「な、なんだよじいさん……!」
雷の恐怖で震える大工が、ぶれた声で訊ねる。
村長は額に脂汗を浮かべながら、低い声で言い放った。
「青鬼の……憤慨」
雷が斧に落ちたのが偶然ではないとしたら。
多くの木を殺した斧が意図的に雷撃を受けたとしたら。
「森の青鬼が、憤っておる!」
雲ひとつない快晴にも関わらず、ごろごろと轟音が響いていた。
最初こそ偶然だと甘く笑っていた大工だったが、快晴なのに──雲ひとつないのに二日間も雷が落ちるという現象を目の当たりにし、青く震え上がった。
村長の言葉通り、呪いや祟の類でなければ説明がつかない。
大工と村長を含めた村の役員が集い、事態対処のため寄合を開くこととなった。
大工、村長、副村長、図書館の司書、その他にも4、5人の老婆や老爺が囲炉裏の周りを囲み、話は進んでいく。
「青鬼についての伝説などが記された資料を村の図書館から集めやした」
最初に進み出たのは、村のはずれにある小さな図書館の女性司書だった。
司書は民話や言い伝えなどを書庫から急遽かき集め、資料にまとめたという。
彼女は黄ばんで表紙が外れかけている薄い冊子を取り出し、正座している太ももの上に広げた。
「森に棲む青鬼は自然を愛し、森を汚す者には雷を落とすと言い伝えられています。普段は──碧鬼山の頂上にいるようですね。現在は立ち入り禁止区域ですが」
「確かになぁ、オラもガキん頃は『悪さしたら碧鬼山の青鬼の餌にされるでぇ』ってお袋に脅されたもんよ」
副村長は胡座をかきながらそう言い、孫の手で背中をかいた。
司書は続ける。
「昔の人は、村で一番美しい娘を嫁に出すことで青鬼の怒りを鎮めたようです。これは江戸時代の記述ですね」
「村で一番美しい娘と言ったら……副村長さんとこの桜子さんとちゃうかね?」
司書の話を聞き終えると、一人の老婆がぽつりと零した。
全員の眼球が一斉に村長の方へ向く。
ぱちり、と囲炉裏の火が跳ねる。
「と、とんでもない! うちのはもう伴侶がおる。それにワシに似て目が細い。魚屋の娘はどうだ」
全員の眼球が真反対の魚屋の男へ向けられる。
「なっ、うちのも夫がいる! それに魚に似て唇出っ張ってる上に分厚いんじゃ、青鬼もお怒りになるだろう。そもそも元凶の大工んとこも娘がおったろう」
全員の眼球が隣の大工へ向けられる。
「ふざけんなよぉう、確かにうちのは村一番の別嬪だが、明日には村の医者と式挙げるんでぃ。もし結婚を取り止めたら医師はもう診察しなくなるやろ。この村に医師は1人だ、それは困るだろ」
全員の眼球が、囲炉裏の火へ向けられる。
「綺麗で」
「結婚してない」
「そんな娘おったら、鬼なんかにやらんでうちの息子と見合いさせたいわぁ」
がんっと重くなった空気に潰れそうになる。
と、その時、あっと大工が短い声をあげた。
「確かうちの近くにいませんでしたかねぇ。美しいが変人で、嫁の貰い手がない売れ残りの女が」
「はて、誰だったかな」
首を傾げる村長に答えるように、噂好きの反物屋の老婆が横から申し出た。
「もしかしてそれ、五丁目の豆腐屋の江歴さんとこの照ちゃんちゃう? 確かに美人やけど変人で、見合いした男も話ついてけん言うとったで」
「なんか、"あんぺあ"だの"オウムの法則"だの毎日言うてた、発明家目指してるっちゅう……」
「オウムの法則? 鳴き方に法則でもあるんか?」
横文字に明るくない高齢者と畑違いの司書、理系に縁のない大工達に言葉の意味を理解出来るはずもなく、見当違いのことを言い始める。
大工に至っては鳥のオウムと勘違いする始末。
「あんな変な子、貰い手一生ないと思うで。もう照ちゃんにしましょ」
豆腐屋の老婆はため息をついて、囲炉裏を囲む者達をぐるりと一周見た。
しかし目線は合わない。
みなが俯いていた。
非道だとは思いつつも、下手に反論して自分の娘を出せと言われるのが怖かった。
「それじゃ、江暦さんには悪いけど……」
「これも村のためじゃ」
村長は杖をひとつ突いて、やおら立ち上がる。
囲炉裏の火は、ぱちぱちと激しく火の粉を散らす。
村長の耳には、くべられた薪の木が悲鳴を上げているようにも聞こえた。
それから話は早かった。
豆腐屋で手伝いとして働いている老婆は村長を案内し、五丁目の豆腐屋江暦に連れていった。
村長は事の顛末を豆腐屋の店主、江暦採(えれき とる)に口頭で説明した。
「どうか、村を救うため青鬼の嫁として碧鬼山に赴いて欲しい。もちろん褒美は取らす。この豆腐屋を大きく建て替え、広い土地もやる! だからどうか……!」
鳴り止まない雷が、またどこかに落ちる音がした。
どこかの子が泣く声も……。
腰を海老のように曲げて頭を下げる村長だが、返ってきたのは──。
「話にならん。自分の娘を鬼のとこに嫁に出せって言われて頷くのかお前さんはよぉ。そんな褒美でうちの娘を鬼んとこ出すほど俺は白痴じゃねぇよ!」
激しい剣幕を帯びた怒声だった。
空を切り裂く雷の轟音を、殺してしまうほどに。
ガタイこそ大工より一回り小さいものの、貫禄は岩のように重い。
腕を組み、足を肩幅に開き、どっしりと構える姿はどこかの戦国武将の銅像を思わせる。
「しかしこのままではまた雷が……!」
「うちは無関係だ。森の木を伐採したのは大工だろ」
「けどあんたも毎日森の木からできた薪を使っとるやないか、無関係とちゃうでぇ」
同じく豆腐屋で働く老婆は村長を庇うようにして立ちはだかり、軽く採を睨みつけた。
しかし彩は固く腕を組んだまま、首を縦に振らない。
随分と険悪な空気の中──
「お父ちゃん」
灰色だった空気を瞬く間に彩るような、明るい声が響いた。
「うち、お嫁に行くわ。碧鬼山の青鬼さんの」
「また森の木を荒らし始めたな、人間ども」
碧鬼山の頂上、こじんまりとした古い小屋。
歩く度に床は軋み、冬は隙間風が通る。
物は必要以上に置かない主義か、古い机と椅子のみで殺風景だった。
ランタンや蝋燭といった灯りはなく、窓もなく、扉を閉めれば昼間でも夜のように暗い。
そこだけ、別世界みたいに。
そこには何百年もの間を生き抜いた、青鬼が一人。
千年前に地獄の門で番をしていた、正真正銘の青鬼である。
「200年前も雷を落としたことがあったか。やはり人間は、同じ過ちを繰り返していく」
200年前に雷を落とした際は、何を勘違いしたのか村の娘を嫁にやるとして連れてきた阿呆な村長がいたな、と青鬼は静かに思い出す。
森の木を伐採に対して憤っているのに、村の娘を寄越すとは、見当違いも甚だしい。
鬼は娘を追い返し、下山させた。
呆れて雷を落とす気にもなれず、それからしばらくは言い伝えが尾を引いて伐採も静まっていた。
しかし時が経つにつれて鬼の伝説を信じなくなった若者が増え、また森の木が急速に減っていった。
そんな人間に天誅を下すのが自身の使命だと信じ、地獄の番をしていた頃の感覚が抜けきれていない青鬼だった。
「今回ばかりはやめないぞ。切った木の数だけ、雷を落としてやる」
執拗にも、青鬼は人間が切った木の数を数え続けていたのだった。
鬼が初めてこの地に堕とされた、600年前から──。
「青鬼さん、いますかー!?」
「ゑ」
"もう"200年も人の肉声など耳にしていないが、分かる。
だって"たった"200年前に聞いたことがあるから。
これは、女の声だと。
あの日もこうやって、女が来てそれで──。
「……っ、まさか」
青鬼は勢いよく立ち上がり、勢いよく扉を開けた。
床がギィギィッと激しく軋む。
「青鬼さんの元へ嫁にやられました、江暦照と申します」
「……やはり、か」
嫁にやられましたって、訪ねてきたんだ、あの日も。
あゝ、人間って、愚かだ。
江暦照と名乗った少女は、身長差のある青鬼を見上げる。
青鬼は自身の奇っ怪な姿を見て彼女も怯えるだろうとふんでいた。
しかし予想に反して、照は紅のひかれた唇で弧を描いただけだった。
「うわぁ! 本当に鬼なんだ! 人間の姿と変わりないけど青いツノが生えてる……! 牙も鋭い! 人間と違う遺伝子配列なのかな? 染色体は? 生殖機能は?」
「うるさい……!」
小柄な体に不釣り合いなほど大きな風呂敷を背負ったまま、小さく飛び跳ねる。
200年前に自分の元へやられた女は終始泣いてばかりでいたため、青鬼はかなり面喰らった。
目を見開き輝かせ、聞き慣れない単語をぶつける少女に青鬼はたじろぐ。
これなら泣き落としでもされた方がマシだった。
「そんじゃ、今日からお世話になります!」
「俺は受け入れるなんて一言も言ってない。嫁なんかいれない。帰れ」
好奇に満ちた瞳が青鬼を映す。
厄介な女を寄越された、と毒づき、青鬼は少女を快く受け入れなかった。
しかし少女もせっかくの興味対象を失うのが癪なのか、なかなか引き下がろうとしない。
青鬼は玄関の扉を閉めようとするが、それを見越した少女が扉を閉めようとする青鬼の腕を強く掴んだ。
「でもでもでも、もう暗くなるし……! こんな暗い中下山したら、猪に食べられちゃいます!」
必死に懇願する照を青鬼は怜悧な目で見下した。
蔑むような視線に、照は初めて恐怖の色を出した。
「いいんじゃねーのか。この森の猪は人間のせいで減ってるんだ、お前が餌になってくれたら俺は嬉しい」
「ひどい! お、鬼〜!」
「そうだ、俺は鬼だ」
「確かに〜! えへへ〜」
照が締まりのない顔でゆるゆると微笑んでいる隙に、青鬼は素早く小屋の扉を閉じる。
ぴしゃり、と短い音を立てて戸が閉まり、照は大荷物を抱えながら締め出される形となった。
「ヴェッ!? そんなぁ、ちょっと待ってくださいよ! 鬼さん鬼さぁあぁーん!」
照は扉を再度開けようと奮闘するも、青鬼が扉の裏から全体重をかけて抑えたために微動だにしなかった。
どんどん、と忙しなく扉を叩く振動が、青鬼の背中越しに伝わる。
「開けてくれるまでここ出ませんからぁーっ!」
「しつこい女だ……」
力づくで黙らせることもできたが、鬼とはいえど地獄で罪人の処刑していた身である。
自身の機嫌や利害だけで人命を奪うことは憚られた。
「家事でもなんでもやらせて頂きます!」
「うるさい! 人間なんか、信用できるか!」
今までなんたか抑えていたが、つい声を荒らげてしまった。
背中越しに伝わった振動が止み、声もしなくなった。
本格的に暗くなれば怖気付いて帰るだろうと青鬼は思い、しばらく放置することにした。
「はぁ〜……寒くなってきたー」
追い出された照はというと、扉を背もたれにしながら青鬼が開けてくれるのを辛抱強く待つことにした。
いくら青鬼でも、ずっと部屋にこもっていては生活はできない。
いずれ扉が開くであろうその時を、粘り強く待つことにしたのだった。
青鬼が扉を開けるのが先か、照が帰るのが先か。
勝敗は忍耐力で決まる。
「寒い……」
とはいえ、冬が去ったばかりの3月初旬。
日が落ちれば気温もぐっと下がり、着物一枚では心もとなかった。
墨汁を零したように真っ暗な空と、犬の遠吠えが照の心を細くさせる。
もし狼だったらどうしよう、と遠吠えに怯えた。
「あーやっぱ寒い……その辺で焚き火でもするかぁ……」
背負ってきた巨大な風呂敷を広げてマッチと蝋燭を探している時だった。
──カサリ。
葉と葉の擦れる音が背後からした。