ダーリンドール・サーカスの招待状をお受け取りの皆様、こんばんは。
この度は裏演目のお披露目会へようこそ!
裏演目では好きな奴隷に金を賭け、勝ち負けに応じて配当を得ることが出来る競人も行っております。
虎と同じ檻に閉じ込めたり、ピラニアの餌食にしたり、殺し合いに発展することも。
いやぁ、人間の本性は面白いですね。
少々グロテスクな場面もございますが──Are you ready?
YES→>>02
No→出口へどうぞ
「ただいま〜」
ダークグレーのスーツジャケットを脱いでハンガーにかけると、一気に肩の力が抜ける。
匂いに釣られてリビングへ向かうと、エプロンを纏った彼氏が忙しそうに配膳していた。
ゴロゴロと大ぶりに切られた野菜が浮かぶ豚汁に、骨まで柔らかくなる程くたくたに煮込まれた鰯の甘露煮。
まだ柔らかな湯気が微かに立ち上っていて、温かい。
取引先や上司のセクハラ、後輩の嫌味、しつこいクレーマーの攻撃で参っていた私を癒してくれる──。
「お仕事お疲れ様!ビール買っておいたよ〜」
「いつもありがとう、大我《たいが》君」
パチンコ・スロットの経営をする会社に務めて早5年。
自分で言うのもなんだが、三十路前に課長のポストにまで上り詰めたやり手のキャリアウーマン。
しかし勉強や仕事以外の事はからっきしで生活能力が低く、見かねた大我君が同棲を申し出てくれたのがきっかけで、生活を共にしている。
「俺が誕生日にあげた簪(かんざし)、使ってくれてるんだね」
ふいに、大我君がご飯を咀嚼しながら優しい声で言った。
「えぇ。シンプルだから使いやすいし、夏場は助かるわ」
大我君から貰った、小さな桜のガラス細工が揺れる簪。
去年の誕生日プレゼントで、髪が結べるほど伸びたし、夏場が近づいたのでまとめた髪に刺している。
「そういえば明日は大我君の誕生日だったわよね。明日も仕事早めに切り上げるから」
「ありがとう、楽しみ!」
大我君の無邪気な笑顔を、ずっと隣で見られればいいと思っていた。
〜♪
設定しておいたスマホのアラームがぼんやりと、覚醒しきれていない耳に入る。
気だるさを残しつつスマホを操作して起床すると、ふと大きな虚無感に包まれた。
「大我君……?」
いつもなら私より遅く出勤するためギリギリまで隣で寝ているはずの大我君がいなかった。
パジャマと布団はは綺麗に畳まれ、シワの寄ったシーツはもう冷たい。
「こんな朝早くに用事……? 言ってくれればよかったのに」
少し寂しさを抱くものの、私もゆっくりとしていられなかったので着替ようとクローゼットに手をかけた時だった。
「志賀葉さん、いらっしゃいますか?」
「は、はい!」
インターホンが鳴ったかと思うと、聞き覚えのない男性の声がドア越しに響く。
少なくとも大我君が戻った訳ではなさそうだ。
まだ午前6時、配達の類やセールスマンの線も薄い。
すっぴんで部屋着(『君の瞳に聴牌《テンパイ》!』と筆字でプリントされたTシャツにハーフパンツ)なのが憚られるが、あまり相手を待たせる訳にもいかず、せめてTシャツの文字だけでも隠そうと薄手の青いカーディガンを羽織ってドアを開けた。
「えっと……?」
勝手に1人だと思い込んでいた私は、玄関を取り囲む黒いスーツを纏った5人の男にたじろいだ。
アニメやドラマに出てくる、いわゆる黒服。
金持ちがSPとして雇っているような、厳ついおじさん達(年齢不詳)。
「志賀葉様でいらっしゃいますよね?」
「えぇ……そうですけ、ど……?」
威圧感に抗えず、失礼だと思いつつも後ずさりしてしまう。
黒服の一人がそれを詰めるようにして、やおら歩み寄る。
「兵王院《ひょうおういん》金融の者です。宮内大我様の借金5000万の担保として、あなたの回収に参りました」
「……ヱ?」
カーディガンを抑えていた手を思わず下ろしてしまい、『君の瞳に聴牌《テンパイ》!』がご開帳したが、黒服のおじさん(お兄さん?)はそれでも顔色一つ変えずに淡々と続けた。
「兵王院金融に5000万円を昨日までに返済とのことで契約致しておりました。支払い期限が過ぎたため、担保として志賀葉様、貴方の身柄の拘束を頂きます」
目の高さにに掲げられた借用書には、確かにゼロが7つ。
宮内大我という滲んだ走り書きのサインもある。
「ごっ、ごせんま……んっ!? ちょっと待って、そんな……そんな、ありえない! 大我君がそんな……っ」
黒服の男から借用書をひったくるように奪って目を通すと、赤字で書かれた一文の下に身に覚えのない拇印が押されていた。
──志賀葉 美渦は借金が期日までに返済できない場合、担保として兵王院金融に身柄を引き渡すことを承諾する。
見覚えのある筆跡──。
少し右上がりで丸みを帯びている特徴的な筆跡に、目頭が熱くなった。
信じたくない、でもこのタイミングで消えた彼を信じられるど、私は馬鹿じゃなかった。
寝ている隙にでも拇印を押したのだろう。
同棲していれば、チャンスはいくらでもある──。
「身柄を引き渡すって一体どういう……」
「ちょっとした労働です。少し手荒な真似にはなりますが──」
「な、えっ、なによ……!?」
両脇が動かなくなったかと思うと黒服の男達に拘束されていて、すっと口にハンカチが当てられる。
ツンと鼻を刺すような臭いがして、吸い込まないよう息を止めるも限界は早かった。
どっと瞼が重くなり、私はそのまま意識を手放した。
「んっ……」
重い瞼をこじ開ける。
朧げな意識のまましばらくぼーっとしていたが、見慣れない天井に驚いて飛び起きた。
冷たく硬い床の感触、鼻腔を刺激する生ゴミの臭い、どこからか聞こえる『クソ野郎!』と汚い罵倒。
そして目の前には、自分の腕ほどの太さがある鉄棒が縦横に組まれた鉄格子。
もう少し鉄格子の向こう側を見ようと立ち上がった時初めて、自分の両手に噛み付く手錠に気がついた。
ところどころ赤錆に侵食され、血を彷彿させるような鉄の臭い。
「なによここ……刑務所!?」
ダメ元で鉄格子を揺すったり叩いたりしてみたが、案の定手が錆臭くなるだけだった。
ジャラジャラと手錠の鎖が金属音をたてて揺れる。
なんで私がこんな目に、と俯いていると。
──靴音が響いて、止まった。
「くくっ……君の瞳に聴牌《テンパイ》、か。変なTシャツだな。麻雀《マージャン》打つのか? 志賀葉美渦さん」
「そりゃ〜もう、昔は"雀荘荒らしのみうちゃん"なんて呼ばれて──えっ?」
思わずTシャツの柄を庇うように両手で隠す。
見上げてみると、鞭のようなものを持った看守が笑いをこらえていた。
帽子を深く被っていてその目は見えないが、声などからして私より少し若い青年のようだ。
「かれこれ3年ここに居るけど……お前さんみたいな服装でここに連れてこられた奴は初めてだ」
「ねっ、寝起きのところを拉致されたのよ……! それより、あなた誰?」
彼の顔を見ようと覗き込むも、帽子をさらに深くかぶられてしまった。
どうやら顔を見られるのが嫌らしい。
「俺はダーリンドール・サーカスの裏演目奴隷管理者だ。平たく言えば看守ってとこだな」
「ダーリンドール・サーカス……?」
当たりを見回せば、すぐ目の前にも女性が捕えられて収容されているのが鉄格子越しに目に入る。
遠くから聞こえる『出せこの野郎!』という罵倒から、収容はもっと奥の方にまで及んでいるようだった。
「お前さんは売られたんだよ。このダーリンドール・サーカスの裏演目を盛り上げる奴隷としてね」
「どういうこと……裏演目の奴隷ってなにするの……?」
「まぁ簡単に言えば……」
──その時だ。
「おい、21番!」
看守が言いかけたところで、タイミング悪く数人の黒服がぞろぞろと私の檻の前へやって来た。
看守はため息をついてポケットから鍵を取り出すと、慣れた手つきで錠前に差し込む。
「21番って……私のこと?」
「そう。あの黒いおじさん達の言うことは従った方がいい。大丈夫、殺しはしないさ。手出して」
大人しく繋がれた手を差し出すと、看守のおじさんは小さい鍵で私の手錠を解除した。
「"殺しは"って……」
「ボサッとしてるな21番! 着いてこい」
痛いことはされるかもしれないじゃない。
しかし刃向かって力で叶う相手じゃないので、警戒しつつも渋々従った。
「これに着替えてこい」
そう言って渡されたのは、雑巾よろしく麻布のボロきれのような服だった。
ところどころ赤いシミ(血?)はあるし穴はあるし、ほつれは酷い。
「なんで私が……っ」
「早くしろ!」
半ば強引に狭い部屋へ通され、気は進まないが麻布の服に着替えた。
肌触りは悪くて着心地は良くないし、なぜか灯油のような、なんとも言えない臭いがする。
それから黒服にされるがまま部屋に連れられ、今度は椅子に座らせたかと思うと、また手足を拘束された。
せっかく手錠を外してもらったのに、今度は足まで自由が利かない。
「外しなさいよ! 一体何するつもりよ!」
とにかく暴れて抵抗するも、椅子すらびくともしなかった。
ただジャラジャラと虚しい金属音が鳴るだけ。
しばらくすると、黒服の内の一人がなにかを手に持って私の前へ立った。
その手に握られたものに戦慄する。
パッと見自撮り棒のような棒だが、おっかない黒服のおじさんがそんな物を持っているはずがなかった。
棒の先っぽは印鑑のようになっており、そこからジューッとかパチパチとか、もんじゃ焼きの鉄板みたいな音がする。
つまりは──焼印。
「今からナンバーを付ける。暴れると他のところも火傷するから大人しくしとけ」
「ナンバーってまさか……!」
その先を告げる前に、複数人の男が私の腕をがっちりと掴み、棒を持った男の方へ差し出す。
大して腕力のない細い腕では、とうてい振り切ることなんかできなかった。
印は刻々と近づいて、二の腕あたりに熱気が刺さる。
ヤカンを少し触っただけでも激痛がするのに、ヤカンより遥かに熱い鉄を数秒間押し付けるなんて正気の沙汰じゃない。
想像もできない痛みに怯えながら、強く双眸を閉じた。
「ぃああ゛あぁあ゛ぁあゝっ──!」
溶ける、腕が溶ける。
時間にして僅か数秒くらいだが、私には落ちたばかりの葉が化石になるほどの年月みたいに長く感じられた。
熱は皮膚を通り越し、奥まで蝕み、数万の細胞を無慈悲に殺していく。
「ゐっ、や……ぃあ゛ぁっ!」
ようやく腕から焼印が離れた時、冷気との温度差も手伝って、さらに酷い激痛が走った。
一体なんの印を付けられたのか恐る恐る二の腕に目を向ける。
皮膚の色が変わったそれは、小さく書かれた番号と──。
「っはぁ……はぁ……なに、これ……バーコード……?」
細い縦線が並び、長方形を作っている。
そしてその下には『2019080821』──今日の日付と、恐らく私のナンバーである21が小さく刻まれている。
「なんでこんなことするのよ……っ!」
「商品にバーコードを付けるのは当然だろう」
「……え?」
ちょうどその時、ギィッと扉の軋む音がしたかと思うと、一人の男が立っていた。
黒服とは違って派手な赤色のスーツを纏っており、髪はオールバックにしている中年男性。
肌は少し小麦色に焼けており、どことなく若々しさがある。
「ひょっ、兵王院様!」
黒服達は驚いたようにそう叫ぶと、素早く敬礼をして跪いた。
おっかない黒服を一瞬で従事させたこの男こそ──。
「兵王院金融の……」
「そう、私が兵王院金融の社長兼ダーリンドール・サーカスの団長……兵王院飛直さ」
ダーリンドール・サーカス。
看守の人が言っていた、奴隷を使った裏演目があるという謎のサーカス。
そんなサーカスの団長で、しかも人を担保にするような怪しげな金融の社長なんて絶対に只者じゃない。
「これが昨日連れてきた奴隷か……おい、調査書寄越せ」
「こちらになります」
兵王院は黒服から一枚の紙を受け取ると、一瞥してからふーんと軽く呟いた。
「志賀葉美渦28歳独身、パチスロメーカー"Kujou"の課長、出身は神奈川県秦野市、父親を亡くしている。趣味は麻雀と特撮鑑賞……おっさん臭いのかガキ臭いのかよく分からん女だな」
「なっ……お、面白いじゃない、麻雀も特撮ヒーローも! 麻雀はおじさんがするもの、特撮は子供が観るもの、なんて固定観念は捨てないよ!──ん゛ぅゔっ!?」
「……奴隷が私に命令するな」
唇に硬い感触がしたと思ったら、兵王院に顔を靴で潰されていた。
ただ押し付けるだけではなく、グリッと口内をえぐるように捩じ込んでくる。
少し高い踵が口の奥まで支配し、靴墨の少し油っぽい味がした。
でも靴底に泥の味はしなくて、あぁ、自分の足で外の地を歩かないような身分なんだなと冷静に思った。
「虫唾が走るほど嫌いなものが三つある。一つ納豆、一つ偽善。そして一つ……命令されることだ!」
「がはっ……!」
やっと靴が口から離され、私は空気を貪るように吸った。
まだゴムと靴墨の混じった不快な味が微かに残る。
世の中にはそういうサディスティック的嗜好を持つ人がいるとは知っていたが、それを目にする日がくるとは。
AVやらアニメやらの都市伝説だと思っていたけど──何が楽しいんだろう。
「……あなたの好きなものを当ててあげるわ」
「外したら靴を舐めて貰おうか」
「いいわ、単純だもの。あなたの好きな物、それは……人の苦しむ顔。合ってるわよね?」
ニヤッと口角を上げて尋ねれば、相手も口角を上げ返して不敵に笑った。
「ご名答。人の苦しむ顔は実に良いものだァ……苦しみが極限まで圧迫した時、人は本性を表すからな」
その言葉の意味をまだ理解できなかった私は、なにも言えず、ただ兵王院を見上げた。
けれどその数時間後、私はその言葉の意味を、身を持って知ることになる。
「それってどういう……」
「知りたきゃ実際に苦しめ。おい、こいつを今夜の裏演目に使うから舞台へ連れて行け! 演目はそうだな……"エサやり"だ」
「……エ サ や り ?」
拘束が外れて手足が軽くなる。
黒服が慌ただしく準備するのを、私はただ痛む二の腕を抑えながら見ていることしか出来なかった。
──デスゲーム幕開けの鐘が鳴る。
「とりあえず夜まで時間はある。食事を済ませたら食堂で待機していろ」
まず黒服の男に連れてこられたのは、ボロいという以外何の変哲もない食堂だ。
私以外にもボロきれを纏った男女が大勢いて、二の腕には例の焼印──バーコードが付けられている。
顔や体に傷を負った者、痩せ細った者、やつれている者。
私と同じ、"商品"として連れてこられた債務者達だろう。
学校の給食よりも少ない量で、茶碗一杯の納豆ご飯とアジの開きのみ、飲み物は水。
野菜は一切無く、栄養バランスも偏っている。
ちょうど隣で食事をとっていた、痩せ細った男性二人の会話が耳に入る。
「俺、飯三日ぶりだわ……」
「マジかよ、俺は昨日食ってなかったけど」
「久々にネズミ以外の物食ったよ……」
会話を聞く限り、どうやら満足に食事もとらせてもらえないらしい。
まだそれほど空腹ではないため、私は食事を受け取って地べたに座ると、アジの開きをポケットに入れた。
下手をすれば一週間食事抜き……なんて拷問もありうるかもしれないのだ。
まだ腹六分目の今、無理に食べることはない。
食中毒に気をつけつつ、食料を貯蓄しておくのも一つの手だ。
「納豆は持ち帰れないし、今食べておくしかないわね……」
そういえば兵王院の嫌いもの三つの中に納豆が入っているのを思い出し、憎たらしい男の顔が脳裏をよぎって不快感が押し寄せてくる。
裏演目に不安を馳せながら、辛子もタレもついていない納豆を咀嚼した。
「"エサやり"の時間だ! 全員速やかに集合しろ!」
ちょうど納豆を食べ終えて食器を片付けていると、黒服がずかずかと入って招集を呼びかけた。
何人かの人々はため息をつき、また何人かは泣き出す。
その目は虚ろで濁り切っている。
裏演目に待ち構える悪魔を知らない私は、ただ不安を抱きながら従う他なかった。
年齢や性別もバラバラな奴隷6、7人が集められ、ステージに登壇した。
まだ幕は降ろされており、スポットライトが六畳ほどの大きな檻を照らしている。
サーカスというからには、幕の向こう側に観客がいるのだろう。
「早く入れ!」
黒服に急かされ、私達は巨大な檻へと収容された。
「なにすんだコノヤロウ!」
私のように大人しく入る者もいれば、蹴ったり殴ったりと暴れて抗う者もいる。
結局は黒服に鎮圧されてしまい、全員仲良く檻の中だ。
全員入ったことが確認されると、ガシャンと施錠され、黒服はどこかへ行ってしまった。
「出しやがれ!」
「なにすんだ! クズ! 非道!」
ガタイのいい男性が必死の抵抗で、鍵を壊そうと檻に殴りかかる。
「たっちゃん、怖いよ〜っ」
「大丈夫だ美紀、お前のことは絶対に俺が守ってやるからな!」
「うぅ……死ぬ時は一緒だよ、たっちゃん……っ」
可哀想に、カップルで閉じ込められた人もいるらしい。
檻の端っこの方で若い男女が肩を寄せ合い、互いの涙を拭いながら慰めあっている。
私も、気を緩めたらとめどなく涙が溢れてしまいそうだ。
どうして私がこんな目に、課長という築き上げてきた地位はどうなるの、私はずっとこのままなの?
大我君に復讐してやりたい、殺してしまいたい、でもここから出られない。
スクランブルエッグみたいにかき混ぜられた感情はぐちゃぐちゃになって、私を押し潰す。
目の裏に溜まった熱い涙を今すぐにでも出してしまいたい。
けれどそれじゃ、あの男に負けた気がする。
苦しむ顔を見せてしまえば、あのサディスティック団長を悦ばせてしまう。
「お待たせしました、それでは裏演目……エサやりのスタート!」
軽快な音楽と共に、女性のアナウンスがが流れる。
目の前に垂らされた幕がゆっくりと上がっていく。
「ダーリンドール・サーカス……一体何をしようっていうの……!?」
涙腺を引き締め、上がっていく幕の向こう側を睨みつけた。
「ようこそVIPの皆さん、こんばんは」
コツ、コツ、と靴音がしたかと思うと、憎たらしい声が会場の奥まで響く。
派手な赤いスーツが目に痛い。
「兵王院……!」
理性を失った獣のように檻に飛びついて、刺すように睨みつける。
兵王院はそんな私の姿を認めると、フッと涼し気な笑みを浮かべてあしらい、司会を続けた。
「今夜の裏演目は"エサやり"。みなさん事前にお買い求めになった人券はお持ちですか?」
「私は200万を10番に賭けたわ」
「うちは21番に300万」
「私は6番と2番に100万ずつ」
ステージに座る紳士淑女は、薄暗くてよく見えないが気持ち悪い笑みを貼り付けてそんな会話をしている。
なんとなく察せたが、どうやら私達は競馬の馬のように、賭けの対象にされているらしい。
「ご存知の通り、"エサやり"とは奴隷達に我がサーカスのアイドルタイガー"アクルックスちゃん"の餌となってもらうゲーム! 皆さんには誰が最後に生き残るか予想してもらいます!」
「ゑ……餌ぁ!?」
私たちが、虎の餌になるっていうの!?
驚愕のあまり唖然としていると、背後から低い唸り声が聞こえた。
「ゥウヴゥ……ヴァウッ!」
そこには、白い毛並みを持った大きな虎……ホワイトタイガーが鎖に繋がれていた。
首に繋がれた太い鎖を今にも引きちぎりそうな勢いで咆哮している。
唾液がボタリと床へ落ちた。
「アクルックスちゃんは三日間何も食べさせていない空腹の状態です。獲物を見つけ次第すぐに捕食しにかかるでしょう」
「ふざけんじゃねぇ! 悪魔! 死神ィ!」
「出して、ここから出してぇぇ! ゔぁあ゛ーっ!」
もちろん檻の中は大荒れで、ひたすら檻を叩いて脱出を懇願した。
劈くような慟哭が会場中にこだまする。
「奴隷の皆さん落ち着いて。救済処置は用意してありますから」
いけしゃあしゃあと宣うと、アクルックスの首元を指して続けた。
「アクルックスちゃんの首輪に、この檻の鍵を付けました。その首輪を見事アクルックスちゃんから奪い取ることができれば、この檻から脱出することが可能です」
「く、首輪に鍵だって……?」
確かに、アクルックスの首輪には錆びた鍵がぶら下がっている。
ナスカンのような物で繋ぎ止められており、アクルックスが歩く度に左右に揺れた。
「悪趣味なやつね! 無理に決まってるでしょ、そんなの!」
セーラー服で猛獣から逃げるような珍獣ハンターならともかく、つい昨日までOLだった私が虎相手に取っ組み合いで勝てるわけがない。
いくら鍵が用意されているとはいえ、ほぼ100%死ぬ。
「皆さんに全員死なれた方が賭け金丸儲けでこちらとしては上手い話ですが、そうなると誰も賭けてくれませんからね。犠牲にすればいいんですよ、他人を」
悪魔のような発言に、ハッと周りの人達の目が変わった。
互いの顔を睨み合う。
「そうだ……そうだよ、他の奴らに喰らいついてる隙を狙って……」
「嫌よ、私は嫌!」
「てめぇみてぇなブス生きる価値ねぇだろ! お前が囮だ!」
「そうよ、若い子の肉の方が美味しいから虎も夢中になるわ!」
「おばさんこそもう先は長くないんだし、死んだら!?」
他人を出し抜くことばかり考え、胸ぐらを掴み合い髪を掴み合い──。
「たった一言で、奴隷達の敵意が兵王院から他の奴隷に変わった……」
みんな、兵王院の一言に踊らされているんだ。
この場を支配するその余裕は団長というより、まさに皇帝。
「噛み付かれたってすぐに死ぬことができるわけじゃない……血が抜けるか、脳天食われるまでもがき苦しむしかない……」
誰かがぽつりと零した。
いくら真実でも、不安を煽るようなことを言わないで欲しいと少し苛立つ。
そういう発言をするからさらに囮の押し付け合いが激化するんだ。
「たっちゃん、たっちゃん、守ってくれるよね……? 私のこと守ってくれるって言ってたもん、ね……?」
「あ……あぁ……ま、守る! 俺はお前が守ってやるって!」
先程まで肩を寄せあっていた男女に目を向ければ、やはりというか、男の方の決意が揺らぎ始めていた。
つい5分前まで女を守ると意気込んでいたのが嘘のようだ。
ずっと闇に隠していた人の本性を丸裸にする、末恐ろしいゲーム。
このゲームを実行する兵王院も兵王院だが、観客も観客である。
倫理、良心、正義感。
一切合切抜け落ちたやつらがここにいる。
紳士淑女は格好だけか。
「所詮は他人事……自分が儲けて楽しめればそれでいいってわけね……!」
兵王院の同類みたいなのが観客席中にいると思うと、乱射事件の一件でも起こしたくなる。
「それでは、アクルックスちゃんの投入!」
兵王院の高らかな宣言を口火に、観客席からは拍手の嵐が、檻からは断末魔の叫びが渦巻き、とてつもない熱量を産んだ。
「ゥガアァウ゛ゥゥ……ァアア゛ッ」
「いやっ、いやぁ! 来ないでぇゑっ」
「やゃあ゛だぁぁあ゛っ!」
檻の狭い扉が開かれ、鎖を外された虎がゆっくりと歩み寄る。
黄ばんだ鋭い歯を向けながら、炯々とした視線を獲物に向けている。
足が小刻みに震えて、変な痙攣が止まらない。
「あんたが行きなさいよ!」
「ふざけじゃねぇ! やめろぉおぁあ゛っ!」
「ぃ、いあぁっ! いやあぁ──っ!」
予想通り押し付け合いが始まり、他の人を盾にしようと人間同士で取っ組み合いが始まる。
組んず解れつ縺れ合い、髪を毟り合う。
そして一目散に檻の端へ逃げ、とにかく虎から距離を置こうと抗う。
が、私は一か八か、下手に動かずにじっと虎と向き合うように立ちはだかった。
それから後ろを向かず、ゆっくりと適度に距離をとる。
「動いたら死ぬ……動いたら獲物と認識されてしまう……背を向けたら襲われる……!」
虎は動くものを獲物と認識し、背を向けた獲物を襲うという習性がある。
小学校の頃、昼休みに暇潰しで読んだ図書室の図鑑で得た知識だから信憑性は薄い。
「いやぁぁっ! 来ないで、あ゛ぁ!」
やはり読みが合っていたのか、虎は私の方を少し睨んだが素通りし、後ろの方で震えている人間の集団に突進していった。
私は少し安堵して胸を撫で下ろしたが、そう悠長にもしていられない。
阿鼻叫喚の渦を見れば、人々は中心から怯えるように離れ、ドーナツ状に並ぶ。
その真ん中にいたのは──。
「あれは……!」
「い゛ぃやああぁあ゛! 痛ゐ! ア゛ァアア──ッ!」
腕を噛み付かれていたのは、先程のカップルの片割れ、女の方。
しかも後ろには女を盾にするようにして差し出す男……彼氏の方が、鼻水を垂らしながら小刻みに震えていた。
「守る゛っで言ったじゃな゛い゛ぃっ! 」
噛み付かれた女は長い髪を振りかざして暴れ、貞子も恐怖に凍てつくほどの形相で彼氏に叫ぶ。
「誰がお前みてぇなブスなんが命懸けるってんだよ、ははっ……ははっ!」
「はぁぁあ!? あんたいつもそう! 車道側私に歩かせるし! 気利かないし……! 所詮あんだなんかキープの男よお゛ぉっ!」
「ブスのくせにお姫様気取りか! お前だって俺の金でブランド物買い漁りやがってクソ女っ!」
「死んねェエエェエ!」
女は残った片腕で男を掴むと、虎の口へと男の頭を突っ込む。
「い゛っ! あ゛ぁぁ!何すんだァでめぇ!」
「死ぬ時は一緒だって約束したでしょ……あんたも道連れだよ!」
ついさっきまで固い絆を誓い合った仲とは思えないような罵り合い、殺し合い。
本性。これが本性。
硬い蟹の殻をスルッと向くように、兵王院のゲームは人の閉ざされた本性をいとも簡単に丸裸にしてしまう。
踊る、踊らされている、彼の、掌の上で。
「ははっ、いくら恋人とはいえ所詮は赤の他人ですから、ねぇ?」
兵王院がマイクを握って微笑みながらそう言うと、観客は何が面白いのかドッと笑い出す。
檻に閉じ込められた地獄絵図を、まるでコメディ映画でも見るみたいに。
「あー6番は恋人に守られて生き延びると思って100万賭けたんですがねぇ」
「所詮こんなもんですよぉ、恋愛は」
全てが起こっているのは檻の中であり、自分達の元には来ないという安心感があるからそんなことが言えてしまう。
「人一人目の前で死んだって言うのに、なんて呑気なの……!」
ここは狂気のダーリンドール・サーカス。
人の命も屑同然となる、一夜の悪夢が踊る場所。
「負けてられない……生き残らなきゃ……生き残らなきゃ……!」
スリリングな展開ですごく楽しみです!
感想とかってここに書き込んでも大丈夫ですか?
ダメでしたらすみません!><
>>20
ありがとうございます!
感想などの書き込みむしろ大歓迎です
「さて、早速6番と7番は脱落したようですね。出血量が多いので持ってあと数時間といったところでしょうか」
「兵王院……っ! 本気でこのまま続けるつもり!? 死人が出てるのよ!?」
「あったりまえだのクラッカーだろう、21番。死ななきゃゲームは成立しない」
兵王院は折り重なる死体を蔑むように横目で見ると、呆れたような口調で言い放った。
二人とも骨が見え、肉片が飛び散り、虎の唾液に塗れた状態で放置されている。
「もうやだよ……出たいよ……っ」
「お、おい! と、取ってきたぞ! 鍵!」
「でかした!」
「ありがとう! ありがとぉぅう!」
「これで出られる……!」
大騒動の中、いつの間にか鍵を取ったのか若い金髪の男が手中に鍵を収めて勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
男性の周りは、まだ脱出できたというわけではないのに、既に安堵した様子で弛緩しきっている。
その勝ち誇ったような笑みを邪魔するようで申し訳ないけれど、一つ大きな問題があった。
「……檻の扉の前に、アクルックスがいるわ」
どんちゃん騒ぎを切るように、私は静かに言った。
射抜くように向けた視線の先は、檻の扉の前で未だ肉片の咀嚼を続ける白い虎──アクルックス。
「確かに……あの虎が檻の前にいちゃ開けらんねぇ……」
「つまりもう一人犠牲者が必要ってこと!?」
「冗談じゃねぇ! 俺は取った……鍵を取ったんだ! 囮ならまだ何もしてねぇ奴がやれ!」
「誰があの虎を扉の前からどける……?」
「あぁもう誰でもいい、虎がまだ大人しいうちに決めろよノロマ!」
私を含めた6人のうち2人が脱落、そして残りは4人。
その内1人の鍵を取った男性は鍵を開ける役目があるため、必然的に3人の中から虎を扉から遠ざける囮を選ぶことになる。
白髪混じりの中年女性と、眼鏡をかけた大学生くらいの若い男性だった。
「21番の人、最初の時から自分だけ虎に襲われずに済んでこっちを嘲笑っていたねアンタ」
「確かに、妙に落ち着いてるのも怪しいし……」
「……何が言いたいの?」
まずい、3人というのは、一番まずい構成。
2対1に持ち込まれてしまえば、こちらは完全に孤立してしまう。
共通の敵というのは恐ろしいもので、ある種の結託が生まれ、共通の1人を倒そうとする力が格段に強くなる。
心理学を噛んでいなくても、それくらいは28年積んだ経験でなんとなく察せる。
「気に入らないんだよ! 飄々としてるアンタが!」
「そうだそうだ! 俺達のこと、見下してるんだろ! クソ女!」
大学生がメガネのブリッジを押し上げ、私に指差しながら叫んだ。
気弱な青年の本性も、どうやら兵王院の手にかかれば剥き出しになってしまうようだ。
「さっきまで余計なことして目立ちたくないからって周りに流されてばっかりだったくせに、味方を得て自分が有利になった途端強気に出たわね。うちのノロマな部下にそっくりだわ」
「余裕そうじゃないか21番……君がやったらいいよ! 囮!」
「私が余裕そうに見える……? ふざけないで。怖いわけないじゃない!」
本当は私だって涙を流して助けを乞いたい。
つい昨日まで普通のOLだ、たまたま虎の習性を知っていたから少し落ち着いていられるだけ。
むしろ今まで慎重に分析できていたのが奇跡なくらいだ。
うっかり気を抜けば、眼球が萎むまで涙を流して助けを乞うだろう。
「アンタどうやら虎の対処法を知ってたみたいだけど、なんで黙ってたんだい! 自分だけ助かろうって魂胆かい!?」
「卑怯者だな! 恥ずかしいと思わないのかっ」
「他の人を盾にしようとした貴方達がよく言うわね……!」
おばさんに図星を突かれたが、開き直ってしまえばなんともない。
確かに私は対処法を教えなかった。
みんな動かなければ、私が噛まれる可能性は格段に上がる。
倫理だとか良心だとか、そんな綺麗事で悪夢は終わらないのだ。
「つべこべ言ってないで、あんたが虎の相手をするんだよ!」
「わっ……!」
メガネ大学生の会話に気を取られていたせいで、背後から忍び寄る魔の手に気が付かなかった。
勢いよく突き飛ばされ、たたらを踏んで派手に転倒してしまった。
素早く見上げればアクルックスが唾液を垂らして私を見下ろしている。
口の周りの白い毛は赤く染まり、血が滴っていた。
「しまった……! あ゛っ!」
アクルックスに頭部を噛みつかれる。
幸い喰いつかれたのは髪をまとめたお団子の部分だが、それでも危険なことに変わりない。
お団子が解けて髪が唾液に塗れ、大我君から貰った簪が落ちる。
小さな桜のガラス細工が割れた。
「おら、さっさと行くぞ!」
「まっ、待って……! 待っでっ、あ゛あ゛っ!」
私が虎に襲われている隙に三人は鍵を開けて脱出し、再度檻に鍵をかけた。
とてつもない勢いで髪は引っ張られ、食いちぎられ、今にも頭皮が剥がれそうだ。
油断したら脳みそごとを持っていかれる!
項に生暖かい息が吹き掛かって、今にも噛まれそうだ。
「開けて! 開けでっ、あ゛……っ!」
「今開けたら虎が出ちまうだろ!」
そう、自分が助かればもう他人事。
私だってそうする。
わざわざ危険を冒してまで逃げ遅れたやつなんかきっと助けない……!
「いいザマだねぇ〜! 髪の毛喰われてるわ」
「たっ……助かった……僕は助かったんだァアア」
なんで、なんでこんなことになったんだろう……。
大我に始まってタイガーに終わるとか笑えない。
というか全部大我のせい……私、あいつにまだ復讐してない──あいつの思惑通りにことが運んだまま死ぬなんて、絶対に許したくない。
「生き残る……生き残ってアイツを殺してやるッ!」
ブチブチッと悲惨な音を立てて髪が抜け、一瞬だけアクルックスから体が離れる。
ポケットに入れていたアジの開きの存在を思い出した私は、なんとかアジの開きを取り出して虎の目の前へブラブラと揺らして見せた。
「アジの開きよ……髪の毛なんかより美味しいわ、食べなさい!」
「ゥヴゥ……ガウルルルッ……!」
「……い゛っ!」
アクルックスはアジの開きに鼻を近づけて匂いを確認し、食べられると認めると、アジの開きに喰らいつく。
その時少し親指の先を噛まれたが、幸い大した支障はなかった。
「大我君……あなたに助けられたみたいですごく癪だけれど……!」
私は虎がアジの開きに夢中になっている隙に、床に落ちた簪を掴み、そして──。
「ゥウガァヴァァッアアァ゛ッ!」
「……ごめんなさい、アクルックス!」
抵抗なく刺さる、柔らかい──眼球。
ゼリーにスプーンを刺すような手応え。
もう片方の眼も、滞りなく簪を受け入れて血を垂らした。
アクルックスは背をまげたり檻に噛み付いたりと、痛みに悶え苦しみ暴れている。
罪悪感に心をえぐられたが、こうするしかなかったと自分を納得させた。
「まぁ! 21番、虎の目を刺しましたわ!」
「クレイジーだ……」
「21番……なにをしている?」
兵王院は威圧感のある低い声で私に問う。
観客の至極楽しそうな雰囲気に水を差せて、私は心底嬉しかった。
調子に乗って、兵王院の真似をして涼しい顔をして言ってみる。
「失明させれば私の姿を捉えることもできないでしょ。血の臭いも充満しているし、嗅覚も宛にならない。あっ、鍵もってる10番の人」
「ぅあっ、は、はい……」
檻の外でガタガタと震えるメガネ大学生に声をかけると、今にも消えそうな声で返された。
「鍵開けてくれないかしら。あの状態なら一瞬開けても平気でしょ」
「ははははっ、はゐっ!」
なんとか開けてもらって脱出すると、兵王院がこちらに冷徹な視線を投げた。
が、すぐに笑顔を作ると、司会進行に戻る。
「……えー、予想外の展開となりましたが 今回の生存者は2番、10番、19番、21番! 過去最多数の生存数です! 換金はロビーにて行っております。それでは皆さん、よい週末を!」
幕が垂れ下がり、拍手と歓声が遮られる。
そういえば週末だったっけ、と、失いかけている曜日感覚に乾いた笑みを浮かべた。
ストーリーも面白い上、文章も上手で…影ながら尊敬しています、
いつも更新楽しみにしています…!
ありがとうございます!
割と淡々と進めすぎたかなと思っていたので、面白いと言って頂けて嬉しいです
これからも更新続けていきたいと思います
「ゔっ……助かった……ぁ」
幕が下がって静かになると、急に今までの恐怖心が一気に安堵に変わって、引き締めていた涙腺が崩壊した。
熱い涙が次々と頬を伝って落ち、床を濡らして水たまりを作っていく。
鼻水をすすって泣きじゃくっていると、再度黒服に取り囲まれた。
その奥には、冷めた表情でため息をつく兵王院。
「風呂に入れて檻に戻しておけ。臭くてかなわん」
「はい!」
彼の一言により、私達は再び檻に収容されることになった。
一応お風呂──シャワーで汗を流すだけだが入浴も済ませた。
水に触れる度、二の腕のバーコードの焼印が鈍く痛んだ。
鉄板を押し付けられた一瞬だけでなく後からもジワジワと痛み付ける焼印は、本当に拷問としてうってつけだと思う。
それから、虎に噛まれた髪が酷く絡まって血だらけだったため黒服の人に頼み、無事な所を残して切ってしまった。
床に落ちた唾液だらけの髪は、激しい死闘を思い起こさせる。
着る前までは胸元まであった長さは、今や肩につかないくらいになっている。
簪はもう捨てた。
失恋したし、簪は使わなくて済むし、髪を切るには丁度良かったのかもしれない。
──ガシャン。
看守のおじさん(お兄さん?)が鍵をかけ、重い扉が閉ざされる。
相変わらず帽子を深くかぶっていて表情が読めない。
「"エサやり"で帰還するならまだしも、簪でアクルックスの両目を潰したやつは初めてだな」
「でしょうね……」
虎の目を潰すようなやつがほいほい居たらたまったもんじゃない。
あの惨劇を見ての通り、大抵の人間はパニックになって何も出来ないか、他人を餌にして鍵を取るかだ。
まぁそれが一番効率の良い逃げ方だ。
私の時みたいな非常事態でなければ、それが正解だろう。
「あーでも……」
看守は何かを思い出したのか、去っていこうとする足を止めた。
「1年前に、ヘアゴムで虎の目を潰した男はいたな……」
「……えっ」
──私以外に、虎の目を潰したやつがいる?
私と同じ事を考えることができた人が他にもいた──?
しかも簪やナイフでもなく、ヘアゴムで……!?
事も無げに言って去ろうとする看守を、私は「待って!」と叫んで引き止めた。
周りの奴隷達の視線がこちらに向く。
「その人って……その人って誰だか分かる!?」
看守は再び歩き出すと、「12番」とだけ小声で言い残して、フラフラとどこかへ行ってしまった。
「12番……奴隷番号ね」
丁度私の21番をひっくり返した、正反対の12番。
けれど考えることは同じ、否、私以上……。
生きているかまだ分からないが、ヘアゴムで虎の目を潰せるくらいの機転があればまだ生きているだろう。
一体どんな人なのか、どういう方法でヘアゴムを使ったのだろうかと考えている内に、疲れ果てたのか深い眠りに落ちてしまった。
──翌日。
けたたましいベルの音と共に、全員が眠い目を擦って起床する。
目覚めは最悪だ。
床は固くて背中は痛いし、寝違え気味だし、二の腕も火傷で痛い。
「早くしろ! 7時から労働だ!」
どうやら刑務所のように時間管理が厳しく、労働や雑務もあるらしい。
窓が無いため時間感覚が全く分からないが、会社の通勤よりしんどい。
そういえば会社はどうなっているんだろう、そもそも行方不明届けは出されたのだろうか。
「21番、朝食許可」
昨日の看守のおじさん(お兄さん?)とはまた違う、ガタイのいい看守さんが一人一人以上がないかチェックしてから食堂に通される。
中には不許可の人もいて、なにが基準なのかはよく分からない。
食堂に入ると、相変わらず貧相な食事を受け取り、空いている席を探す。
「あのアクルックスの目を簪で刺した……」
「やっばー!」
「すげぇ〜……」
一緒に檻に入れられた奴隷でも話したのだろう、昨夜の噂が既に広まっていた。
感激の眼差しとも嫌悪の眼差しとも取れないような視線を受け、身を縮めながらお盆を置いた。
私が席に着くと、両隣の奴隷が逃げるようにしてその場を立ち去る。
どうやら怖がられているらしい。
「いただきます……」
小さい茶碗一杯の白米とタレも辛子も無い納豆、大根だけの味噌汁、水道水。
今回は持ち帰れる食材は無さそうだ。
兵王院は納豆が嫌いなはずなのにどうして頻繁に朝食に納豆が出るのだろう。
寝起きでぼーっとしながら納豆を混ぜていると、隣の席にお盆を置く音がした。
チラリと横目で見れば、長髪をサイドで緩くまとめた男性が「いただきまーす」と手を合わせている。
「……お前、あのアクルックスの目を刺したんだって?」
「……そうだけど」
虎の事でこれからもこんな風に声をかけられるのだろうかと思うと、気だるさが更に増す。
「まさか俺と同じことを考えるやつがいたとはな」
「なっ……!」
納豆をかき混ぜる手が止まり、箸を落とす。
彼の手の甲に刻まれたバーコードを見れば、そこにはあの数字があった。
──2018120312、つまり。
2018年12月3日に奴隷にされた12番!
「ヘアゴムで目を潰したっていう……」
「ん? 俺の事知ってるのか? 有名人だなぁ……」
ヘアゴムと言うからてっきり女性だとばかり思い込んでしまっていて、必要以上に驚愕していた。
先入観は捨てなさいと兵王院に言った先、自分も先入観に囚われていることに恥を知らされる。
「根性、人情、俺、童条《どうじょう》! このサーカスでマジシャンやってる童条雅一《がいち》とは俺の事」
語呂のいい自己紹介についていけず、私は「はぁ……」と軽く頷くしかない。
この暗い奴隷達の中にも、こんなハイテンションな人がいたとは。
「私は……志賀葉 美渦。21番」
とりあえず自分も名乗った方が良いだろうと思って軽く自己紹介し、落とした箸を拾う。
「そういえば、どうやってヘアゴムで虎の目を……?」
「パチンコ」
「……は」
せっかく拾った箸を、再度落としてしまう。
突然自分の職業(パチスロメーカー勤務)を言い当てられたのかとたじろいだ。
「丁度パチンコ打った帰りにさ、落ちてたパチンコ玉を5個拾ってさ。その直後に拉致されたんだよ。後から知ったけど、姉貴の連帯保証人にされてた」
「連帯保証人……」
私は担保としてだが、童条も同じく理由も分からないまま連れていかれたらしい。
彼氏に裏切られたばかりの私は、似た境遇の童条に同情した。
今のは洒落ではない。
「私も担保として拉致されたから、似たようなものね」
「お前も?」
「まぁその……彼氏に……」
「あぁ……」
童条に同情される。
重くなった雰囲気を拭おうとしたのか、彼は続けた。
「まぁ、そんで"エサやり"に参加させられて。ポケットに入れてたからそのまま持ち込んだパチンコ玉とヘアゴムで、即席パチンコを作った。即席とはいえ至近距離から打てば目ん玉は潰れる。視力を奪って鍵を取ったって寸法だ。それからはマジックが出来たからマジシャンとして生かせてもらってる」
「パチンコ玉は一つ約5.7g……弾丸に数グラム劣るとはいえ、ヘアゴムで勢いをつければ目を潰すことはできる……!」
一人納得して頷いていると、童条が「へぇ」と感心したように声を漏らした。
「詳しいな……普通パチンコ玉の重さなんて知らないだろ。俺も知らずに使った」
「パチスロメーカー勤務なのよ」
そういえば、会社は本当にどうなっているのだろう。
私の曜日感覚が正しければ、今日はコラボ先との大切な打ち合わせがあったはずだ……。
そんなことを思い出しながら味噌汁を啜っていると──
「なぁ美渦」
「なっ、なによ……」
志賀葉さん、志賀葉さんと呼ばれ慣れすぎたせいで、下の名前で呼ばれて反応が遅れた。
彼氏ですら志賀葉さんで、良くても昔雀荘でみうちゃんと呼ばれたくらいの記憶しかない。
童条はちょいちょいっと、手招きし、私は耳を貸した。
「俺と組んで、兵王院飛直を倒してみねぇ?」
「……は!?」
囁かれた一言に、私はついに箸を折った。
安っぽい枝みたいな箸は、ポッキーみたいに呆気なく折れる。
隣のコンビニ行かない? みたいな軽いノリでの誘い。
「俺はずっと、お前みたいなやつが現れるのを待ってたんだ! 知略に長け、土壇場で勝てるやつ……!」
「いや、私は偶然簪が頭にあったからで、そんな知略に長けてるとか持ち上げられるほどじゃ……」
「俺と組もう。俺が弾丸でお前がパチンコ……俺たち奴隷があの皇帝を討ち落とすんだ!」
あまり大声だと看守や黒服に聞かれかねないため小声で話しているが、そこにはそびえ立つ山のように動くことのない信念が聞いて取れた。
彼は──童条は、本気で奴隷が皇帝を討てると信じているらしかった。
「何も持たない奴隷が、皇帝を討てるわけないでしょ……」
「いいや、持ってる。俺達には頭がある。どんなに金品身ぐるみ奪われても、知略だけは奪えない」
「だから、私には知略なんてそんな……」
今回はたまたま運が良かった、ただそれだけ。
大我君から貰った簪を付けていたのと、虎の対処法を本で読んでいたこと。
もしそれが無かったらどう対処していたか、検討もつかない。
恐らく他の人と同じく、他人を犠牲にしていたか犠牲にされていたか。
「ヘアピンや簪を付けていたのは他に何人もいた。虎の対処法を知っていたやつもいた。けど全員餌になった。結局道具や知識があっても、それを生かせなきゃ意味が無い。偶然じゃない……お前は勝てる力があったから勝てた!」
「やめて……」
童条の話術は巧い。
もしかしたら……もしかしたら私も兵王院を倒せるんじゃないかって、こいつは一瞬、私に思わせやがった。
「悪いけど私は……」
「12番、21番!」
黒服に番号を呼ばれた。
私は協力できない。
そう言おうとした時、タイミング悪く言葉を遮られた。
まるで断るなと警告するように。
「帝王がお呼びだ、ついてこい」
「て……帝王?」
なんとなく兵王院だということは察せたが、ここでは彼のことを帝王と呼ぶのだろうか。
さっき童条が皇帝と呼んだのも、比喩ではなく本当に皇帝として崇められているからなのかもしれない。
それなら私達の奴隷という立場も頷ける。
ここはひとつの帝国として成り立ちつつあるのだろう。
兵王院に名指しで呼ばれたということは、なにかあるに違いない。
恐らく昨日の、アクルックスの目を刺したことについての処理だろう。
また顔を踏まれたり焼印だのされたりするのかと思うと、恐怖で鼓動が早くなる。
「番号指定か……やな予感しかしねぇな」
「そうね……うずうずするわ」
「……美渦(み"うず")だから?」
「違うわよ! なんかこう、うずうずするのよ、うずうず……!」
童条は本当に話が巧みだと実感させられる。
彼と会話していると、不思議と恐怖がいつの間にか静まっていくのだ。