大規模宇宙戦争で巨大ロボにパイロットとして乗って地球外生命体と戦う未来はまだまだ遠いし、陰謀とサスペンスに満ちた戦国時代は遅すぎた。
争いの無い縄文時代から戦争の絶えない時代を経て、また争いのない令和へと時代が一周回った。
別に戦争をしたいわけではないけど、刺激がないのもある種の苦痛を産む。
日本の裏側の側面の反対側とかは紛争が起きているんだろうけど、俺にはコンビニで五円玉を募金箱に入れるくらいしかやれることがない。
なぜなら俺はごく普通の男子高校生だからだ。
ヒーローでもない、スパイや殺し屋でもない、無能力で、使い魔もいない。
この世に世界征服を企む悪の組織はいないし、道端でいきなり怪人が現れることも無い。
異世界への扉は無いし、神様の間違いでチート能力を持って転生することも無い。
日常アニメにありがちな怪しい部活や同好会の一つでもあれば入ってみようと思ったが、どれも健全な運動部と文化部しか無い。
フィクションに夢を見すぎたことを後悔して、それでも主人公になりたくて、廃棄ビルやら夜のビルの屋上やら、怪しそうな場所には進んで行ってみたりしたが、結局不良のたまり場で、絡まれて4000円カツアゲされただけだった。
俺はこのままずっと、モブみたいな人生を編んで眠るのだろうか。
別に特殊能力なんていい、宇宙戦争なんかなくったっていい、使い魔だっていなくていい、異世界に転生できなくったっていい、変身してヒーローになれなくったっていい。
ただ、普通の高校生とはちょっと違う、秘密を持った主人公に、俺はなりたいだけ──。
苗字は今江、名は冠斗。
イマヌエル・カントのような名を冠してるが陣内孝則と陣内智則が全く関係がないのと同じように、イマヌエル・カントと今江冠斗も全く関係がない。
ホームルームが終わり、部活に行く者、掃除当番をサボって逃げる者、自習室や図書室へ向かう者、そして俺のように帰宅する者。
そのどれにも属さない数人の女子生徒が、だらだらとタピオカいちごミルクティーをすすりながら不平不満を漏らしていた。
「そんでさぁ、今指名手配中なんだって〜」
「こわ! うちの高校の近くじゃん」
「イケメンなのにねぇ」
「うちの近くも警察がめっちゃいてさ、邪魔だし」
つい三日前、有名なIT企業の代表取締役社長が連続殺人犯として指名手配された。
興味が無いので名前や顔は覚えていないが、有名企業の社長、そしてかなりの美形ということもあって、アホーニュースのトップ記事やTmitterのトレンドに躍り出たりと話題を呼んでいる。
俺の住む街も捜索強化範囲内に入っており、登下校中にパトカーや警官を5分おきに見る。
どこかで殺人と遭遇しないかな、なんて呑気に思えてしまうのも、俺の人生が平坦すぎて、そんなドラマみたいなことあるわけないと諦めているからだ。
俺が映画の主人公だったら、殺人鬼を匿って共に逃避行し、苦難を乗り越え、友情が芽ばえる──なんてことがあったかもしれない。
けど俺は結局背景に紛れたただのモブで、普段通りの生活を続けるだけだ。
小説や映画なんかでは、いつもと違う道を通ったら運命的な出会いが──みたいな展開がザラにある。
期待しているわけじゃないけど、なんとなく新しい出会いを求めて、わざわざ入り組んだ路地を通っている。
陽の光も入り込まないのでコケが絨毯のように敷き詰められている。
警察が何人か配備されてはいるものの、パトカーの喧騒からは遠い。
住宅街が逃亡犯騒ぎでうるさいから避難してきたのか、たむろしている野良猫がいつもより多い。
人懐っこい飼い猫も紛れているのだろう、普段近づいただけで逃げるはずが、何匹かしっぽを擦り寄せ足元にまとわりついてきた。
これだけでも裏路地を使った価値がある。
かわいい。
そういえば、ヒーローアニメのカード目当てで買った魚肉ソーセージがあったのを思い出し、スクールバックから取り出す。
野良猫に餌やりするのは良くないが、これっきりなら平気だろう。
赤いフィルムを剥いて、薄桃色の棒をひょいっと突き出せば、磁石にひっつく砂鉄のように猫がソーセージに群がる。
やっぱり猫は癒される。
平凡な日々に一匹の猫でもいてくれたら、それだけで癒しになるだろう。
一匹くらい飼えないだろうか、と良さそうな猫がいないか見渡していると、ふと一匹狼のように、ぽつんとすました顔で塀の上でふて寝した黒猫に目がとまった。
首輪は無いが、真っ黒で手入れされたような、艶のある毛並み。
かぎしっぽが、ふわりと揺れる。
そいつは俺の方をじっ──と鋭い眼力で、まるで俺を品定めでもするかのような視線を向けている。
「……食わねぇの?」
魚肉ソーセージを差し出しても懐く様子は無く、置物かと見紛うほど微動打にしない。
まぁほっとくか、とソーセージを別の猫にあげた時だった。
黒猫は、不格好なかぎしっぽをぶんぶんと振り回しながら、狭い塀の上をモデルのウォーキングのごとく進んでいく。
そして時折俺の方をちらりと振り返り、またしなやかな足取りで塀を伝っていく。
まるで、ついてこいとでも言われているような気がした。
こういうの見たことある、この猫について行けば猫の国に迷い込んで──は、アニメの見すぎか。
「なぁ、どこ行くんだよ」
ランウェイを闊歩する猫は止まる気配がない。
答えてくれるとは思っていないので半ば独り言のように呟いたのだが、その猫は答えるようにふっと立ち止まった。
ここ掘れわんわんとでも言いたげな顔で振り返る猫。
なんだ、ここに金銀財宝でもあんのか、と軽く笑いながら視線を上げた。
「……ん?」
……男、だ。
白かったであろう白蝶貝のボタンのワイシャツは鼠色に変色しているし、せっかく綺麗な紅茶色の髪も、干し草みたいにバサバサしてある。
現代日本に馴染まぬほどみずぼらしい格好であるのにも関わらず、謎の気品を漂わせていた。
少し前までは金持ちだったのだろうと推測させるような気品だ。
彼の足首からは鮮血がしたたり、紺色のスラックスには、じんわりシミが広がっている。
深緑の苔は真っ赤に染まって、ヘビイチゴを敷き詰めたようになっていた。
面白くて好きです〜
7:FLG:2019/12/10(火) 23:23 >>6
ありがとうございます!!
「あの……」
この人、異世界から迷い込んだ魔法使いだったりしねーかなぁ、くらいの軽い気持ちで歩み寄ってみると、その男はこちらに気がついたのか、のっそりと顔を上げた。
ざわりと木の葉を揺らす風がなびいて、前髪の隙間から充血した双眸が覗く。
視線が交錯する。
木々の葉の擦れる音だけが流れていく。
金でも銀でも財宝でもなかったが──ある意味、金でも銀でも、いやそれ以上の財宝を持ってそうな、男──。
「ニュースの……!」
顔はあまり覚えていなかったが、何度もテレビに映るし新聞一面に掲載されるので見覚えはある。
「殺人鬼社長……!」
彼はすぐに顔を背け、赤黒い足首を引き摺って地を這う。
アスファルトの窪みに血が溜まっている。
「やってない……俺はやってない……」
乾いた声で繰り返し呟き、逃げようと試みているようだった。
死に物狂いで死刑から免れようとしている。
なんとなく、この人本当にやってないんだろうなぁ、と働かない頭で思う。
人命を奪った人間が、狂ったように命に執着するとは思えなかった。
俺は殺人鬼に遭遇した驚愕と興奮で、暫く言葉を紡ぐことができなかった。
山でクマに遭遇したみたいに、立ちすくんだまま、
痛々しい傷を開きながら逃げようと足掻く彼を見ていられなくて、俺はようやく声を絞り出した。
「別に……警察に突き出したりしないんで。あなたの首に300万かかっていようと」
俺を導いた猫が塀から飛び降り、ぱしゃんと血溜まりが跳ねた。
赤黒い血液に似つかわしくないような、肉球のスタンプがアスファルトに並ぶ。