ダーリンドール・サーカスの特別招待状をお受け取りの皆様、こんばんは。
この度は裏演目のお披露目会へようこそ。
裏演目では好きな奴隷に金を賭け、勝ち負けに応じて配当を得ることが出来る競人も行っております。
借金にまみれた人間達の織り成す醜悪なサーカスをお楽しみ下さいませ。
少々グロテスクな場面もございますが──Are you ready?
YES→>>02
No→出口へどうぞ
※以前投稿したものの修正版です
「ただいま〜」
ダークグレーのスーツジャケットを脱いでハンガーにかけると、鎧を脱いだように一気に肩の力が抜ける。
匂い釣られてリビングへ向かうと、エプロンを纏った彼氏が忙しそうに配膳していた。
ゴロゴロと大ぶりに切られた野菜が浮かぶ豚汁に、骨まで柔らかくなる程くたくたに煮込まれた鰯の甘露煮。
まだ柔らかな湯気が微かに立ち上っていて、温かい。
取引先や上司のセクハラ、後輩の嫌味、しつこいクレーマーの攻撃で参っていた私を癒してくれる──。
「お仕事お疲れ様!ビール買っておいたよ〜」
「いつもありがとう、大我《たいが》君」
パチンコ・スロットの経営をする会社に務めて早5年。
自分で言うのもなんだが、三十路前に課長のポストにまで上り詰めたやり手のOLだ。
しかし仕事以外の事はからっきしで生活能力が低く(3日でゴミ屋敷)、見かねた大我君が同棲を申し出てくれたのがきっかけで、現在は生活を共にしている。
「俺が誕生日にあげた簪(かんざし)、使ってくれてるんだね」
不意に大我君が、ご飯を咀嚼しながら優しい声で言った。
優しげな眼差しの先は、私のうなじで揺れる小さな桜のガラス細工。
「シンプルだから使いやすいし、夏場は助かってるよ。そういえば明日は大我君の誕生日だったじゃん!? 明日も仕事早めに切り上げるから、一緒にお祝いしようよ!」
「ありがとう、すげぇ楽しみ!」
大我君の無邪気な笑顔を、ずっと隣で見られればいいと思っていた。
──夜が明けて。
〜♪
設定しておいたスマホのアラーム曲のモーツァルトが、覚醒しきれていない耳にうるさい。
気だるさを残しつつスマホを操作して起床すると、ふと大きな虚無感に包まれた。
「大我君……?」
いつもなら私より遅く出勤するためギリギリまで隣で寝ているはずの大我君がいなかった。
パジャマと布団はは綺麗に畳まれ、シワの寄ったシーツはもう冷たい。
それだけじゃない。
部屋全体もなんだか綺麗に片付いていて──。
「こんな朝早くに用事……?」
少し寂しさを抱くものの、出勤を控えた私もゆっくりとしていられなかったので、着替ようとクローゼットに手をかけた時だった。
インターホンが鳴ったかと思うと、聞き覚えのない男性の声がドア越しに響く。
「志賀葉美渦(しがは みうず)さん、いらっしゃいますか?」
「は、はい!」
いきなりフルネームを呼ばれ、慌てて寝巻きにカーディガンを羽織り、ドアスコープも確認せずに反射的に玄関へ出てしまった。
──いかついおじさんがたっているとも知らずに。
「えっと……?」
勝手に1人だと思い込んでいた私は、玄関を取り囲む黒いスーツを纏った5人の男にたじろいだ。
アニメやドラマに出てくる、いわゆる黒服。
金持ちがSPに雇ってそうな、某逃走番組のハンターのような、そんな人達って実際にいるんだ、と回らない頭で思う。
「志賀葉美渦様でいらっしゃいますよね?」
「えぇ……そうですけ、ど……?」
威圧感に抗えず、失礼だと思いつつも後ずさりしてしまう。
黒服の一人がそれを詰めるようにして、やおら歩み寄る。
「桜瀬(さくらせ)金融の者です。宮内大我様の借金5000万の担保として、あなたの回収に参りました」
「……ヱァ?」
カーディガンを抑えていた手を思わず下ろしてしまい、Tシャツにプリントされた『夜は焼肉っしょ!』という力強い筆文字で描かれた柄がご開帳したが、黒服のおじさんはそれに笑うことなく、顔色一つ変えずに淡々と続けた。
「桜瀬金融に5000万円を昨日までに返済とのことで契約致しておりました。支払い期限を過ぎた為、担保として志賀葉様、貴方の身柄を拘束させて頂きます」
目の高さにに掲げられた借用書には、確かにゼロが7つ。
宮内大我という滲んだ走り書きのサインもある。
「ごっ、ごせんま……んっ!? ちょっと待って、そんな……そんな、ありえない! 大我君がそんな……っ」
黒服の男から借用書をひったくるように奪って目を通すと、赤字で書かれた一文の下に身に覚えのない拇印が押されていた。
──志賀葉 美渦は借金が期日までに返済できない場合、担保として桜瀬金融に身柄を引き渡すことを承諾する。
見覚えのある筆跡──。
少し右上がりで丸みを帯びている特徴的な筆跡に、目頭が熱くなった。
信じたくない、でもこのタイミングで消えた彼を信じられるど、私は馬鹿じゃなかった。
寝ている隙にでも拇印を押したのだろう。
同棲していれば、チャンスはいくらでもある──。
部屋が綺麗に片付いていたのも、大我君が私物を持って夜逃げしたからに違いない。
「え、あの、身柄を引き渡すって一体どういう……」
「ちょっとした労働です。少し手荒な真似にはなりますが──」
「な、えっ、なに!?」
突如両脇が動かなくなったかと思うと黒服の男達に拘束されていて、すっと口にハンカチが当てられる。
ツンと鼻を刺すような刺激臭がして、吸い込まないよう息を止めるも限界は早かった。
どっと瞼が重くなり、私はそのまま意識を手放した
「んっ……」
重い瞼をこじ開ける。
朧げな意識のまましばらくぼーっとしていたが、見慣れない天井に驚いて飛び起きた。
冷たく硬い床の感触、鼻腔を刺激する生ゴミの臭い、どこからか聞こえる『クソ野郎!』と汚い罵倒。
そして目の前には、自分の腕ほどの太さがある鉄棒が縦横に組まれた鉄格子。
もう少し鉄格子の向こう側を見ようと立ち上がった時初めて、自分の両手に噛み付く手錠に気がついた。
ところどころ赤錆に侵食され、血を彷彿させるような鉄の臭い。
「なによここ……刑務所!?」
ダメ元で鉄格子を揺すったり叩いたりしてみたが、案の定手が錆臭くなるだけだった。
ジャラジャラと手錠の鎖が金属音をたてて揺れる。
なんで私がこんな目に、と俯いていると。
──靴音が響いて、止まった。
「くくっ……刑務所ならどれほど良かったろうなぁ」
「えっ? なに!?」
突如頭上が暗くなる。
見上げてみると、鞭のようなものを持った看守が笑いをこらえていた。
帽子を深く被っていてその目は見えないが、声などからして私より少し若い青年のようだ。
「かれこれ3年ここに居るけど……お前さんみたいな服装でここに連れてこられた奴は初めてだわ。夜は焼肉っしょって……」
そう指摘されて、自分が寝巻きだったことに気づいて顔中に血液が集まったみたいに顔が赤くなった。
なんでこんな日に限って変なプリントTシャツ着てるんだろう。
「ねっ、寝起きのところを拉致されたのよ……! それより、あなた誰?」
彼の顔を見ようと覗き込むも、帽子をさらに深くかぶられてしまった。
どうやら顔を見られるのが嫌らしい。
「俺はダーリンドール・サーカスの裏演目奴隷管理者だ。平たく言えば看守ってとこだな」
「ダーリンドール・サーカス? なにそれ……」
当たりを見回せば、すぐ目の前にも女性が捕えられて収容されているのが鉄格子越しに目に入る。
遠くから聞こえる『出せこの野郎!』という罵倒から、収容はもっと奥の方にまで及んでいるようだった。
「お前さんは売られたんだよ。このダーリンドール・サーカスの裏演目を盛り上げる奴隷としてね」
「どういうこと……裏演目の奴隷ってなにするの……?」
「まぁ簡単に言えば……」
──その時だ。
「おい、95番!」
看守が言いかけたところで、タイミング悪く数人の黒服がぞろぞろと私の檻の前へやって来た。
看守はため息をついてポケットから鍵を取り出すと、慣れた手つきで錠前に差し込む。
「95番って……私のこと!?」
「そう。あの黒いおじさん達の言うことは従った方がいい。大丈夫、殺しはしないさ。手出して」
大人しく繋がれた手を差し出すと、看守のお兄さんは小さい鍵で私の手錠を解除した。
「"殺しは"って……」
「ボサッとしてるな95番! ついてこい」
痛いことはされるかもしれないじゃない。
しかし刃向かって力で叶う相手じゃないので、警戒しつつも渋々従った。
檻から少し歩かされ、麻袋の積まれた倉庫へと案内される。
とうもろこしや干し草など、家畜の飼育用品が保管されているらしい。
小学校の頃に世話したウサギ小屋の臭いを彷彿させる。
黒服のおじさんは、そんな家畜用品の中から1枚の布切れを取り出すと、私に乱暴に投げつけた。
「これに着替えてこい」
パサリと落ちたものを拾いあげれば、それは雑巾よろしく麻布のボロきれのような服だった。
ところどころ赤いシミ(血?)はあるし穴はあるし、ほつれは酷い。
「なんで私が……っ」
「早くしろ!」
半ば強引に狭い更衣室へ通され、気は進まないが麻布の服に着替えた。
肌触りは悪くて着心地は良くないし、なぜか灯油のような、なんとも言えない臭いがする。
それから黒服にされるがまま部屋に連れられ、今度は椅子に座らせたかと思うと、また手足を拘束された。
せっかく手錠を外してもらったのに、今度は足まで自由が利かない。
「一体何するつもり!?」
とにかく暴れて抵抗するも、椅子すらびくともしなかった。
ただジャラジャラと金属音が虚しく鳴るだけ。
しばらくすると、黒服の内の一人がなにかを手に持って私の前へ立った。
その手中に握られたものを見て戦慄する。
一見して自撮り棒のような棒だが、おっかない黒服のおじさんがそんな物を持っているはずがなかった。
棒の先っぽは印鑑のようになっており、そこからジューッとかパチパチとか、もんじゃ焼きの鉄板みたいな音がする。
棒先は恐ろしい程に美しい赤色をしていて、ぼうっと火花を散らして輝いている。
つまりは──焼印。
「今からナンバーを付ける。暴れると他のところも火傷するから大人しくしとけ」
「ナンバーってまさか……!」
その先を告げる前に、複数人の男が私の腕をがっちりと掴み、棒を持った男の方へ差し出す。
大して腕力のない細い腕では、とうてい振り切ることなんかできなかった。
「いやだ、離してよ! いやぁ! 私が何をしたっていうのよぉぉお! あ゛ーーーっ!」
印は刻々と近づいて、二の腕あたりに熱気が刺さる。
ヤカンを少し触っただけでも激痛がするのに、ヤカンより遥かに熱い鉄を数秒間押し付けるなんて正気の沙汰じゃない。
想像もできない痛みに怯えながら、強く双眸を閉じた。
「ぃああ゛あぁあ゛ぁあゝっ──!」
溶ける、腕が溶ける。
時間にして僅か数秒くらいだが、私には落ちたばかりの葉が化石になるほどの年月みたいに長く感じられた。
熱は皮膚を通り越し、奥まで蝕み、数万の細胞を無慈悲に殺していく。
「ゐっ、や……ぃあ゛ぁっ!」
ようやく腕から焼印が離れた時、冷気との温度差も手伝って、さらに酷い激痛が走った。
一体なんの印を付けられたのか恐る恐る二の腕に目を向ける。
皮膚の色が変わったそれは、小さく書かれた番号と──。
「っはぁ……はぁ……なに、これ……バーコード……?」
細い縦線が並び、長方形を作っている。
そしてその下には『2020092095』──今日の日付と、恐らく私のナンバーである95が小さく刻まれている。
「なんでこんなことするのよ! 人でなし! ろくでなし! 馬鹿! 悪魔!」
「人聞きが悪いねぇ。商品にバーコードを付けるのは当然のことだろう?」
「……え?」
ちょうどその時、扉が悲鳴をあげるように軋んだ。
音のした方に視線を向けると、私より少し年上と思われる男性が腕を組んで壁に寄りかかっていた。
派手なシンクのスーツに、ビカビカと鏡面磨きにされたミルクティー色の革靴。
肌は少し小麦色に焼けており、どことなく若々しさがある。
「さっ、桜瀬様!」
黒服共はひれ伏すほどの勢いで叫ぶと、素早く敬礼をして跪いた。
おっかない黒服を一瞬で従事させたこの男こそ──。
「桜瀬金融の……」
「そう、私が桜瀬金融の社長兼ダーリンドール・サーカスの団長……桜瀬飛直(さくらせ ひすぐ)さ」
ダーリンドール・サーカス。
看守の人が言っていた、奴隷を使った裏演目があるという謎のサーカス。
そんなサーカスの団長で、しかも人を担保にするような怪しげな金融の社長なんて絶対に只者じゃない。
「これが昨日連れてきた奴隷か……おい、調査書寄越せ」
「こちらになります」
桜瀬は黒服から一枚の紙を受け取ると、一瞥してからふーんと軽く呟いた。
「志賀葉美渦28歳独身、パチスロメーカーの課長、出身は神奈川県、幼い頃に父親を亡くしている。彼氏に騙されて担保として来たってところか」
彼は軽く嘲た後、私の調査書を片手でくしゃりと握り潰し、その辺に投げ捨てる。
なんだか私の人生を潰されたみたいで頭にきた。
「個人情報でしょ! プライバシーの侵害だから! てゆーか、離せ! ──ん゛ぅゔっ!?」
「……SLAVE(奴隷)が私に命令するな」
いきなり唇に硬い感触がしたと思ったら、桜瀬に顔を靴で潰されていた。
ただ押し付けるだけではなく、グリッと口内をえぐるように捩じ込んでくる。
少し高い踵が口の奥まで支配し、靴墨の少し油っぽい味がした。
でも靴底に泥の味はしなくて、あぁ、自分の足で外の地を歩かないような身分なんだなと冷静に思った。
「虫唾が走るほど嫌いなものが三つある。一つ納豆、一つ偽善。そして一つ……命令されることだ!」
「がはっ……!」
やっと靴が口から離され、私は空気を貪るように吸った。
まだゴムと靴墨の混じった不快な味が微かに残る。
世の中にはそういうサディスティック的嗜好を持つ人がいるとは知っていたが、それを目にする日がくるとは。
AVやらアニメやらの都市伝説だと思っていたけど──何が楽しいんだろう。
気持ち悪い、気持ち悪い!
「黒人も白人もアジア人も、現在全て平等だ。しかし負債者は話が違う。君は負債者、つまりは奴隷……うちの商品なのさ」
桜瀬がスッと指した先は、私の腕に痛々しく残るバーコードの焼印だった。
「君は現在5000万円の負債を抱えている。返済方法は、このサーカスの裏演目を5つやり遂げるしかない。演目一つ完遂につき1000万の返済だ。待っていても解放宣言は来ない。自分で勝ち取るんだ」
「その裏演目ってどういう……」
その言葉の意味をまだ理解できなかった私は、なにも言えず、ただ桜瀬を見上げた。
けれどその数時間後、私はその言葉の意味を、身を持って知ることになる。
「百聞は一見にしかず。おい、こいつを今夜の裏演目に使うことにした。 演目はそうだな……"エサやり"だ」
「……エ サ や り ?」
拘束が外れて手足が軽くなる。
黒服が慌ただしく準備するのを、私はただ痛む二の腕を抑えながら見ていることしか出来なかった。
「とりあえず夜まで時間はある。食事を済ませたら食堂で待機していろ」
「話はまだ……!」
中途半端で説明にもなっていない説明を言うだけ言って逃げる桜瀬。
何しに来たんだと毒づきながらも、黒服に拘束されてその後を追いかけることはできない。
黒服の男に連れてこられたのは、ボロいという以外何の変哲もない食堂だ。
私以外にもボロきれを纏った男女が大勢いて、二の腕には例の焼印──バーコードが焼き付けられている。
顔や体に傷を負った者、痩せ細った者、やつれている者。
私と同じ、"商品"として連れてこられた債務者達だろう。
私は見たことがないが、迫害されたユダヤ人の強制収用所ってこんな感じなのだろうかと他人事のようにぼうっと眺めていた。
学校の給食よりも少ない量で、茶碗七分目まで満たされたの納豆ご飯とアジの開き、飲み物は水。
野菜は一切無く、栄養バランスも偏っている。
ちょうど隣で食事をとっていた、痩せ細った男性二人の会話が耳に入る。
「俺、飯三日ぶりだわ……」
「マジかよ、俺は昨日食ってなかったけど」
「久々にトカゲ以外の物食ったわ……」
会話を聞く限り、どうやら満足に食事もとらせてもらえないらしい。
私は食事を受け取って地べたに座ると、アジの開きをポケットに入れた。
下手をすれば一週間食事抜き……なんて拷問もありうるかもしれないのだ。
まだ腹六分目の今、無理に食べることはない。
食中毒に気をつけつつ、食料を貯蓄しておくのも一つの手だ。
「納豆は持ち帰れないし、今食べておくしかないか……」
そういえば桜瀬の嫌いものベスト3の中に納豆が入っているのを思い出し、憎たらしい男の顔が脳裏をよぎって不快感が押し寄せてくる。
裏演目に不安を馳せながら、辛子もタレもついていない納豆を咀嚼した。