──2030年。
カジノ合法化や同性婚の開始と、激動の令和12年。
神奈川県のとある市で、人知れず壮絶な戦いがあった。
社長とその秘書、主婦、不良高校生、そして犬。
本来なら関わるはずのなかった市民達は引き合うように出会い、市に蔓延る悪に挑んだ。
伝記にも残らない、メディアに見向きもされない、感謝もされない。
それでも立ち向かった5人の英雄譚を、何かの縁だと思って聞いていって欲しい。
これは、とある市の隅で起きた、市民による市民のための市民の戦いである。
「僕、ついに無職になったッス……」
「まぁ時代はロボットだしなー。元気出せよ来田」
酔いでフラついた足取りのまま、深夜の住宅街をバイト仲間と進んでいく青年の名は来田熾央(らいた しおう)。
彼は今年で19歳──つまり成人はしているが、飲酒はギリギリ許されていない。
ヤケ酒しても気分が晴れることはなく、残ったのは法を犯した罪悪感と、自分は酒に弱いという事実だけだった。
「僕に出来そうな仕事はロボットに取られてくんスよぉ〜」
時は2030年。
軽作業を主とする働き口はAIやロボットの進出に伴って大幅に減少しており、熾央も例に漏れず解雇されたという次第である。
「明日から大根飯……いや、雑草サラダに逆戻りッスよ〜」
「それはさすがに食生活が心配だぜ」
色々と複雑な事情から、熾央は奈良時代の農民並みに困窮した生活を送っている。
"以前の暮らし"に比べればマシだと言い聞かせて耐えてきたが、さすがに体が限界を迎え始めていた。
「魔法使いか金持ちの社長になりてぇ〜。そんで普通の飯食いたい……」
「なんだよその二択は……」
面倒見の良いバイト仲間は、苦笑いを浮かべながらも熾央の肩を支えながら歩く。
「俺もバイト探してやるからさ、元気出せよ」
「はい……ありがとうございます」
熾央は住宅街の分岐路でバイト仲間と別れると、一人ガードレールの向こうに広がる夜景を見据えた。
山に囲まれてはいるが交通は栄え、マンションや高層ビルも立ち並ぶ秦尾市。
夜も忙しなく光が動いていく。
「日本は平和だなぁ」
バイトして、くだらないことで笑って、飯食って、YouTubeを見て寝て、次の日を迎える、の繰り返し。
そんな無機質な日々を、人々は"つまらない平凡な人生"だと言う。
しかし、そんな"平凡"を手に入れたくても手に入れられい人達がいる。
流れ星に願っても、サンタに頼んでも、七夕の短冊に書いても、初詣で祈っても、手に入れられない人達がいる。
瓦礫の下で泣き叫ぶ少年少女の光景が脳内にフラッシュバックして、また熾央の心を刺していく。
「みんな……守れなくてごめんな……」
幼い顔立ちに不釣り合いなほど重い過去に感傷していた時だった。
「ゥウ……ばふっ! ヴァッヴァッ!」
「うわぁっ!?」
突然響いた犬の咆哮に耳を劈かれて、熾央はぼやけていた意識を浮上させた。
「なんだこれぇ……毛玉が歩いてる〜?」
酔った熾央は車道の真ん中に白い毛玉が転がっていると錯覚したが、毛玉などではなくポメラニアンという品種の犬ある。
SNSなどによく上がっている可愛らしい顔ではなく、鋭い歯を剥き出しにした厳つい顔をしていた。
ポメラニアンはハァハァと舌を突き出しながら、短い足で車道を駆けていく。
「毛玉野郎〜! 車きてっぞ〜」
「ぅう……ゔぁふゔぁふぅ!」
黒塗りの高級車が猛スピードで車道を走るも、ポメラニアンはひたすら何かに怯えながらとことこ走り回るだけで避けようとしない。
見かねた熾央は、何を思ったのか車道へと飛び出していた。
「車来てるって言ってんろーが、毛玉!」
酔って判断力が鈍ったせいなのか、体が勝手に動いたのか、人並にある正義感か、なにが熾央を動かしたのかは彼自身にも分からない。
キィィッと甲高いブレーキ音に反応してすぐに顔を上げると、強ばった顔をした運転手と目が合って──。
「嘘だろ──!?」
街頭に群がる蛾が逃げる。
ポメラニアンの白い毛が自身から流れる血で染まっていく視界を最後に、熾央は意識を手放した。
世界的医療器具メーカー"メガロス"の本社ビル。
社員が全員退勤した午後10時、最上階の社長室だけはタイピング音が響き続けていた。
まだ電気のついた社長室は、夜景の一部となって輝いていることだろう。
「もう帰ろうぜ〜? 社長が社畜やってどうすんだよ〜」
「……"社長は会社第一の下僕"。私が一番会社を支えなきゃいけねーんだよ」
白衣を羽織った男が文句を零し、それを若い女性がフリードリヒ二世の言葉を引用して返した。
「さすが……21歳にして社長を務めるだけあるぜ」
血眼でパソコンと格闘しているのは、社長室の主である美富命充(みとみ めいじゅ)。
高校卒業と同時に親の会社を継ぎ、世界的医療器具メーカー"メガロス"の社長を務めている。
そしてその様子を見守る白衣の男は、芦辺理一(あしべ りいち)27歳。
医療開発部を仕切る技術顧問で、数年前までは大学病院で勤務していた。
「そろそろ一服しねぇ? "指紋魔法"でタバコ出してくれよ〜」
「芦辺さん……アンタ医者だよな……? 医者ならこの量がヤバいって分かるよなァ〜ッ!?」
命充が力任せにデスクを叩くと、灰皿に盛られた吸殻の山が崩れ落ちた。
「だってよー、今年で浮気されんの三回目だぜ? ヤケになってタバコ吸いたくもなるって」
中々ハンサムな色男ではあるが、女運は悪い。
歴代彼女は漏れなく死ぬか裏切るか浮気をするという絶望的な女運を持つ芦辺は、その度に喫煙の量を増やしていた。
微妙にバニラの香りを含んだキャスターの匂いが漂う。
ほとんどの喫煙者が電子タバコを愛用する時代でも、芦辺は紙巻の銘柄に拘っている。
「本来なら美人とデートのはずが、こんな汚い社長室で残業……」
芦辺は広い社長室をぐるりと一周見渡した。
転がるビール缶、積み重なるカップ麺の容器、水タバコ、特撮ヒーローのフィギュア、ひょうたん、クリオネの泳ぐ水槽、汚い環境で元気に咲く小型のラフレシア──と不健康な乱雑さ。
労働基準監督署が調査に入れば即ブラック認定されてしまうような劣悪な環境に、芦辺はうなだれた。
「先帰っていいって言ってんだろ」
「えぇ〜、一人で夜道歩くの怖い」
「じゃあタクシーつかまえて帰れよ!」
「タクシー代勿体ねーもん」
芦辺としては、女性を一人置いて帰らせる訳にはいかねーじゃん?という随分イケメンな理由で残っているのだが、"女だから優しく"を嫌う命充に気遣ってわざと適当な理由をつけていた。
「俺の人生悲しいなー。彼女に浮気されたし、上司も冷たいし……」
「っ〜あぁもう! タバコ用意すりゃいいんでしょ!」
根負けした命充はしぶしぶ承諾すると、右手に着用していた黒い手袋を外した。
白を基調としたメタリックな塗装に、黄金のラインが眩しい右手首が顕になる。
右手首から伸びているのはパワードスーツの類ではなく、正真正銘、命充の神経に反応して動く義手だ。
命充が指を動かすと、義手はウィーンと静かな機械音を発して動いた。
「あんま私利私欲で"指紋魔法"は使いたくねーけど……」
命充は義手の方の手で、コイントスをするようにして500円玉を弾いた。
弾かれた500円玉は青い光を放ち、天井に指紋の形がCGの魔法のように大きく浮かび上がる。
「指紋魔法……=天秤(イコール・バランス)」
500円玉は空中で瞬時に1箱のタバコへと姿を変え、ぽすっと命充の手元に落下した。
「さすが、触れた物を同価値の物と交換できる指紋!」
芦辺は勝手知ったるタバコ箱から三本取り出すと、ジッポで三本同時に火を付ける。
「三本同時だと!? やめろやめろ!」
「いーふぁろふぇふにー(いーだろ別にー)」
不健康が過ぎる芦辺の吸い方に命充は舌打ちし、タバコを取り上げようと立ち上がる。
「だって一本じゃ物足りねぇし」
「芦辺さんはもっと医療チームの技術顧問としての自覚を──」
『ここで、臨時ニュースをお伝えします』
もう少しで命充の小言が始まるというところで、備え付けの小型テレビに臨時ニュースがタイミング良く遮った。
二人は言い争いをやめ、画面を食い入るように見つめた。
『行方不明となったのは、秦尾(はだお)市の飯田美香さん22歳。捜索から2ヶ月経過しても未だに足取りは掴めず……』
淡々と読み上げるアナウンサーの隣には、命充と歳の近い女子大生の写真が映し出されている。
はにかんだ笑顔でピースサインを向ける、可愛らしい笑顔の写真だった。
「また行方不明者……」
「"指紋魔法"の人体実験の為に誘拐された可能性が高いな」
「……あぁ」
ぽつりと芦辺がこぼした憶測に、命充は小さく答える。
そして30階という高さの窓から夜景を見下ろし、悔しげに唇を歪めた。
「この秦尾市は……市民は狙われてる。次に拉致されるのは向かいのビルの人かもしれないし、今あそこでタクシーに乗ってる人かもしれない……」
深夜だというのに忙しなく車が行き交い、向かいのビルには電気が灯り、人々は何も考えずに生活を営んでいる。
自分たちが人体実験のモルモットとして狙われていることなど知らずに。
「今もどこかで市民が、"指紋魔法"の被害にあってるかもしれない──」
重い瞼をこじ開けると、水彩画のようにぼやけていた天井が徐々に鮮明になっていく。
消毒液のような匂いが鼻腔に流れて、熾央はようやく意識を底からすくい上げた。
「ここは……? ゔっ」
左肘辺りに鋭い激痛を感じ、熾央は小さく呻いた。
妙に軽い左腕に違和感を覚えて、冷や汗をかきながら視線を向けると── 。
「う……ゔぁ:&あ#€ぁぁ£あッ!?」
左肘から下がバッサリと消え、ミロのヴィーナスのように欠損していた。
綺麗に巻かれた包帯の先は、何度見ても肘で終わっている。
「左腕が……!」
飛び起きようと身を起こしたところで、身体がベッドに縫い付けられたように大の字から動けないことに気がついた。
右手首と両足首は、鉄の枷によってベットに縫い付けられており、ガシャガシャと鎖の金属音が響く。
「えっ……縛られ……?……なんで!?」
なんとなく事故で左腕を失ったのだろうと手に関しては想像がついたが、拘束の理由に関しては全く検討もつかない。
「目を覚ましたか……来田熾央君」
唯一動かすことのできる首を回して状況を確認していると、ゾクリと腰が震えるような低音ボイスが熾央を呼んだ。
ゆっくり眼球を滑らせた次の瞬間、熾央は呼吸の仕方を忘れてしまったかのように息を止めた。
ベットの脇にいた男の姿に、恐怖を抱いたからである。
「あぁ、これ……顔を出したくないだけだ。気味悪いだろうが気にするな」
男は淡々とした口調で説明した。
白衣にゴム手袋と、至って普通の医師の格好をしているのだが、その声が発せられているのは不気味な黒いペストマスクからだった。
くぐもった声が不気味である。
ペストマスクの奥は、恐らく20代から30代くらいの男だろうと熾央は声から推測する。
「名前……」
「あぁ、ポケットに入っていたマイナンバーカードを拝見させて貰ってね。道端で倒れていた君を病院に連れてきたという次第だ」
確かに熾央がいるのは小さいながらも病室で、清潔感のある白いシーツからは柔軟剤の香りがする。
部屋の設備も不審な点はなく、確かに、確かに病院なのだろうが──。
「ありがとうございます……あの、でも……なんでその……"拘束"されてるんスか……?」
熾央はジャラリと拘束具の重い鎖を引っ張りながら尋ねると、男は一瞬間を開けてから答えた。
「なぜって……実験体を逃がさない為に決まってるだろう?」
男は何の躊躇いもなくさらりと告げるので、熾央は言葉の意味を理解するのに数秒のタイムラグを要した。
「──ゑ?」
聞き間違いか、もう一度聞き直した方がいいのか、頼むから聞き間違えであってくれ、と混乱する熾央に、医師はもう一度「君の体を使う為に拘束したんだ」と追い打ちをかけるように言った。
頼むから聞き間違えであって欲しいという熾央の願いは五秒で断ち切られた。
じわりと脂汗が頬を伝う。
「ま、まさか……ッ」
熾央が真っ先に想像したのは、金を作る為に臓器売買の犠牲となった姉のことだった。
人一人の体を全て綺麗に売り捌ければ30億はくだらないという姉の話を思い出し、熾央は無駄だと思いながらも、必死の抵抗でガシャガシャと拘束具を揺らした。
「ゔわぁぁぁぁあ!? 外せ外せ外せェェエエ工! 五臓六腑一つ渡さねぇからんな、このクズがぁッ!」
「やれやれ……勘違いするな」
男は暴れる熾央に呆れながら、小脇に抱えていた大きめのアタッシュケースを開く。
「臓器を取るなんて勿体ない使い方をするわけないだろう。改造手術に使う為にわざわざ助けてやったんだからな」
「なんだぁ〜、臓器売買じゃなくて良かっ?」
熾央は一瞬だけ安堵した後、よく考えてからもう一度暴れた。
「はぁぁぁあ!? 改造手術でも良いわけねぇだろ! 信じらんね! お前人間として終わってるぜ!悪魔! ごみくず!」
「そう暴れるな。利き手を失った君にはメリットのある話だと思うが?」
男は小脇に抱えていたアタッシュケースをベット横のデスクに置くと、ケースの鍵を開いた。
「これは"魔法の義手"。メガロスの初代社長が遺した最高傑作の義手だ」
「メガロスって、あの超有名な医療器具メーカーの……!?」
義手や義足の世界シェアはトップで、年間売り上げは50億ドルを超える世界的な医療器具メーカー"メガロス"。
ニュースや世間に疎い熾央でも、その名は知っていた。
「私はこの義手の"適合者"を探している」
「適合……者……?」
熾央は開らかれたアタッシュケースの中を、首の角度だけ変えて覗き込んだ。
中には真っ白な義手が一本と、大きめの鍵が赤いベルベットの上に鎮座している。
確かにそれはしっかりと手の形をしているが、無機質で艶もない。
熾央にはそれがただのデッサン用に造られた石膏の手にしか見えず、男に疑いの視線を向けた。