____静かに暮らしたい。
その願いはいとも容易く踏みにじられた。
最愛の彼は奪われ、クラスの女子達からは陰湿ないじめ。
幸せだった日々が完全に壊れていく。
…絶対に許さない。
今、復讐に拳がうなる。
愛する恋人が傍にいて、毎日笑いあって。
そんな風に小さな幸せを積み重ねるのが好き。
愛しいほどに幸せだった。
…あの女、鬼塚静が来るまでは。
「神楽真澄です。よろしくお願いします」
淡々と告げ、ぺこりと頭を下げた。
ここは水仙女子高校。
今日からあたしが学生として過ごす場所。
「じゃあ神楽さんは空いてる席に座ってください」
「はい」
言われた通りに空いた席へ向かう。
やや機械的な足取りで進んでいると、ふいに視界の端で何かが動いた。
「…なーんだ、引っかからないのかよ」
「…」
足元に伸ばされた赤い上靴。低俗な嫌がらせだ。
だがこの程度、どうってこともない。
…あたしは覚悟をしてきたのだから。
水仙女子高校。
この辺りの地域ではかなり有名で、素行の悪い生徒が多数いることで目立っている。
そのせいで殺伐としている校内では穏やかな学園生活を送ることなど不可能。
ではとうやって生き残るのか。
それは「実力至上主義」に他ならない。
拳での強者が生き残り、抵抗する術を持たない弱者が淘汰されていく世界。
それが水仙女子高校の実態だ。
…しかし、そんな高校で全生徒の上に君臨する「最強の女」がいる。
その女こそが、憎き女。水仙の女帝「鬼塚静」である。
「ねー、神楽さん」
休み時間。一人の女があたしに話しかけた。
「なんですか?」
「あのさー、なんで転校してきたの?」
理由なんて決まっている。あたしの彼を奪い、日常を壊した鬼塚への復讐。それだけだ。
しかし、そのことを他の生徒に知られてはいけない。
あたしは目を逸らし、静かに告げた。
「…ちょっと、いじめみたいな」
「あー、やっぱり? そういう顔してるよね」
「…」
「とある子がね、いじめられて転校したの」
「そうですか」
「その子の席が…今あんたが座ってるとこ」
女はあたしの椅子を指差した。
「あんたもせいぜい気をつけてね。また机空いちゃうとつまんないからさ」
…そうか、既に選別は始まっているんだ。
あたしが「淘汰される人間」かどうかの。
鬼塚静を潰す方法は2つある。
1つは真正面から挑んで勝つこと。
だが、その方法はあまりにもリスキーすぎる。
鬼塚静は水仙高校のトップ。
実力至上主義の高校で頭を張っているのだから、その実力は全員に認められている筈だ。
故に生徒達は鬼塚に服従する。
つまり、気に入らない人間がいれば命令して徹底的に排除できる権限を持っているのだ。
その権限の及ぶ場所は計り知れない。
…現に、区域の違う学校のあたしでさえ排除する命令を出したように。
そんな状況であたしがたった1人敵陣に乗り込むとなると敗色が濃くなることは間違いない。
ならば2つ目の方法。
それは、「あたしがトップになる」ことだ。
そうすれば全ての権限はあたしに移る。その時始めて鬼塚を潰せるだろう。
実力至上主義には同じものを持って応える。
それがあたしの復讐だ。
「おい、転校生」
背後から声がかかる。
振り返ると、そこには2人の女がいた。
「水仙に来たらまずクラスの番に挨拶するのが基本だろ」
番長。
この目の前で不良漫画みたいなことを喋ってる女が番?
それとも…奥であたしを睨んでる耳ピアスの女か。
探るように見ていると、不良漫画女が怒声を飛ばした。
「なにガンつけてんだよ! 美穂さんがいくら寛容だからって舐めんじゃねえ!」
美穂さん。つまり、番はこいつじゃなく後ろの耳ピアスらしい。
「…あなたが番長ですか」
「あ?」
耳ピアスの眼光が更に鋭さを増した。
「私は質問をしろって言ったんじゃない。挨拶しろって言ったんだ。意味分かる?」
「ああ、ごめんなさい。おはようございます」
「てめえ…」
「よしな」
すっ。取り巻きの前に手を出す。
耳ピアスは小さくため息をつくとあたしを見つめた。
「…あんたみたいな奴が、たまーにだけど来る時があんのよ」
「…」
「でも、そいつらは今ここにいない。いい加減分かったよね。私に逆らったらまともに生活できないと思いな」
この女は、他人を排除する権利が当然のものだと思っている。
そして、その権利を持っている自分への自尊心、優越感。
だからエゴの為に人を傷付ける。
そういう、許せない人間をあたしは一人知っている。
「…他人をいじめて追い出して、お山の大将気取り。そんなものが楽しいですか?」
いつの間にか、席を立っていた。
「そんなことでしか自分を保てないなんて、哀れな人ですね」
「…せっかくこっちが忠告してやってんのに」
耳ピアスがこきり、と首を鳴らした。
その双眸は怒りに縁取られている。
「教えてやるよ。あんたみたいな奴は言って聞かせても分かんねーって」
バッ!あたしの頭に向かって手が伸びる。
…遅い。
あたしはその手を掴んだ。
「……髪の引っ張り合いで実力主義? 笑わせてくれますね」
「っ…!」
__キーンコーンカーン…
ふいにチャイムが鳴る。
まるであたしに勝利を告げるかのように。
「くそっ、あの女…!!」
ドンッ!銀色の柵を拳が叩く。
青空の下、屋上で川崎美穂の周りを数人の女が囲んでいた。
「…潰そうよ」
「それは分かってる!」
「大人数でボコせばいいじゃん。そしたらさすがに言うこと聞くっしょ」
「…あたしはプライドを傷つけられた。そんな簡単な方法で言うこと聞かせても腹の虫が収まんないのよ」
「じゃあ…どうすんの?」
「そうね……あいつのプライドがズタズタに傷つくような、屈辱的な方法にするのよ」
…キーンコーンカーンコーン
放課後のチャイムが鳴った。
夕暮れの下駄箱で靴を履き替えていると、ふいに人影があたしを覆う。
顔を上げるとそこには見覚えのある顔がいた。
「来な」
川崎美穂。2-1の番長。
何か用事があるなら今日の休み時間でのことに決まっている。
用事がもしも決闘だとしたら、川崎を倒すことで2-1から実力を得られて鬼塚に一歩近付く。
そうだといいけど…
あたしは身構えながら川崎の後をついていった。
「ここは…」
着いたのは人気のない路地。
こんな場所を選ぶというなら、やはり決闘以外の線は薄い。
「戦うんですか?」
「…馬鹿ね」
「?」
「私があんたごときと戦うわけないじゃない。…出てきな」
川崎の声で、反対側から何者かが姿を現す。
「!」
姿を現したのは2人の男だった。
「へっへっへ、いい女じゃねえか」
「女一人に何かと思ったが…美穂の頼みなら断れねえ」
見るからに不良のような風体の男。
その男の前で、川崎はくつくつと笑った。
「これがあたしを舐めた罰よ! これからあんたはこの2人に屈辱を味わわされる。一生立ち直れないほどのね!」
暗い路地にひたすら笑い声だけが響く。
…だが、あたしの頭の中は妙な静けさに満ちていた。
ああ、そうだ。
これは…怒りだ。
「…さい」
「なに?」
「うるさいって言ってんのよ」
「なんだぁ? 生意気な女だな」
「こういう奴によく効く薬があるだろ。…痛みっていうな!」
ブンッ!
男の拳が振り上げられる。
「__」
勢いを増したそれをするりとかわし、懐へ入り込む。
黒い髪が水のようになびく。
肘を引き、風を裂いた渾身の一撃を__
パァンッ!
乾いた音が響いた。
刹那、男の体が暗い地面に沈む。
「…そっちの間抜け面、かかってきな」
状況を理解できずに立ち尽くすもう1人の男に声をかけ、手首のゴムで髪を結う。
その首筋には『激流』の痣が刻まれていた。
…聞いたことがある。
一晩で町中の不良を沈め、その地域を統括した伝説のヤンキー。
水のように流れ、波のように制す。
その戦闘スタイルと、首筋の痣からついた異名。
それが…
「『激龍』…」
俺は地面に沈みながら呟いた。
やったのは神楽真澄とかいう目の前の女。
こいつがあの伝説のヤンキーだと…?
「…おい」
「…?」
「あたしのことは他に言うなよ。言ったらタマ潰す」
女はそう言って、俺を見下ろしながら股間に足を置いた。
『…いつもバスで一緒、ですよね』
…ただ静かに暮らしたかった。
中3の夏の終わり、町の不良共を統括したのはその願いからだった。
それからあたしはまともに生きるために素性を隠して高校へ入学した。
そんなあたしが、幸せを手にしてもいいなんて…
濁った水はもう元に戻らないと知っていても、あたしはその手を掴んだ。
「…あんたも来な、川崎美穂」
「っ!」
路地の隅で怯えた川崎に声をかける。
すると、川崎はふるふると力なく首を振った。
「わ、私の負けでいいから許して…」
「…なら今日から番長の座はあたしに渡しな」
「分かったよ…一応実力主義だしね」
「それと…」
「?」
「あたしが番長になったことは他のクラスに言わなくていい。周りには今まで通りあんたが番長として振る舞え」
今度は川崎の首が縦に振った。
「今日から私が2年1組の番長です。よろしくお願いします」
教室に騒がしい声が響く。周りには訝しげな顔ばかりがずらんで並んでいた。
川崎に潰された筈のあたしが無傷で戻り、番長を名乗っているのだから無理はない。
ふいに一人の女が声を発した。
「なっ、なに勝手なこと言ってんのよ!」
「勝手なこと? 川崎は許可しましたが」
「あんたマジで一体…番長、こいつに買収されたんですよね!?」
「…いや、あの」
「くっそ、汚いやつ…口封じの賄賂まで渡すなんて性根が腐ってやがる!」
「ちょ、恵美子。私ほんとに許可したんだけど…」
「大丈夫ですよ美穂さん、私があいつぶっ潰しますから!」
川崎の取り巻き女、本田恵美子があたしを指差した。
…あたしをぶっ潰す。その言葉に、薄く口を開けて笑う。
「どうそ、できるものなら。実力主義らしくていい」
「…っ、てめえ」
「川崎」
「え?」
「来てください」
「…鬼塚静について知りたいことがあります」
人気のない踊り廊下。
壁に背をもたれさせるあたしの顔色を伺うように川崎が返事をする。
「えっと…鬼塚先輩?」
「はい。彼女がここの頭ですよね」
「そうだけど…」
「鬼塚がいつから頭を張っていたのか、この実力主義の組織はどう完成したのか。教えてください」
川崎はうつむき、記憶を探る。
「…聞いただけなんだけどさ、鬼塚先輩が1年の時。入学してすぐ校内の不良全員をぶちのめしたらしくて、トップになったのはそれからかな」
「それで?」
「それで…本格的に不良を総括し始めたのは2年の時」
「…2年?」
「うん、それが…」
水仙女子、西虎、北立。
3校とも同じ区域に存在しており、校内を不良が牛耳っている。
毎年秋頃に地域の最強を決める『北西戦』が開催され、去年までのトップは北立だった…
しかし、1年前。その北西戦に水仙女子が加わった。
それが…鬼塚静が2年の時。鬼塚は地域の頭までも狙い、女子校だからという理由で参加していなかった水仙女子を強制的に参加させた。
その時に番長システムを作ることで戦力を上げ、ついには…
『あんたらのタマは飾り? 雑魚すぎんだよ』
水仙女子は争いを制し、鬼塚は地域のトップにまで登り詰めた。
「…そうですか」
なるほど。ならばやはり全ての番長を倒す方がいいだろう。
そうすれば学校全体から鬼塚と同等の「実力」を得られる。
故に他の奴らはどちらにも服従しない。邪魔者がいなくなれば…鬼塚とサシで戦える。
__その時に。
「てか、そんなこと聞いてどうすんの?」
「いえ…転校してきたばかりであまりよく知らないもので」
「ふーん…」
周りから実力を得る為には、まず一番身近な場所から。
つまり、2-1の生徒を完全に服従させることが最大の重要点だ。
__2-1
「川崎のやつ…絶対何か握られてるんだよ」
「どうする? 鬼塚に報告する?」
「いや、それはなるべく避けたい。あの人はほら…もうすぐ『あれ』じゃん。余計なこと言ってうちらがシメられんのも嫌でしょ。それに、もし報告しても言うことなんて決まってる」
「…完璧に潰せってね」
____北立高校、屋上。
「おい佐藤」
「は、はい…」
「お前、他校の奴にやられたんだってな?」
「え…」
ポイッ。未だ煙が上る煙草を水が張ったバケツに放り込む。
水面が揺れ、ジュウと音を立てて火が消えた。
「ただでさえこっちは鬼塚とかいうクソアマに負けて大恥かいてるってのによ…」
風になびく制服をひるがえし、爪先を佐藤に向ける。
「どこのどいつにやられたんだよ」
「それは…」
『あたしのことは他に言うなよ。言ったらタマ潰す』
「…」
「なに黙ってんだよ。脅しか? オレがボコすからさっさと言えや」
「え、ちょ、えっと…」
「言えって言ってんだよ」
怯えた顔でうつむく佐藤の髪を掴み、拳を固める。
「こんなんじゃこの上条様のメンツが丸潰れだって言ってんだよボケ!」
ドゴッ!鳩尾を穿つように殴る。
「ぐあぁっ!」
「もっと殴ってやんねーと分かんねえのか! あぁ!?」
「…す、水仙」
「なに?」
「水仙の女子にやられました…勘弁してください…」
「…」
ドサッ。髪を離すと佐藤の体は地面に倒れた。
…水仙。
「水仙のことなら何でもやってやるよ、あのクソアマに報復してやる」
「おい、神楽」
教室に戻るや否や声がかかった。
「なんでしょうか」
「今日ガッコー終わったら来いよ」
「ちょ、あんたらなに勝手に…」
あたしの背後から川崎が顔を出した。
焦った表情にクラスメイト達は顔をしかめる。
「一応クラスの番がそんなんじゃまともに機能しねえだろ!」
「いくら渡されたんだよ! えぇ!?」
「…黙りなさい」
「!」
「言いましたね、ここの番長は私です。それとも聞く耳がないのですか?」
「…クソ女」
「ですが、私も考えていました。あなた方を服従させる方法を。だからちょうどいい」
「全員ぶっ潰しましょう」
「おい、川崎〜」
「え? あ、鹿島か…」
放課後、川崎の肩を背後から鹿島が組んだ。
鹿島愛。2-3の番長。
2年の番長の中でも特に弱者への仕打ちがひどく、そのため3組は最も転校人数が多い。
そんな鹿島と特別な接点もない私になにを…?
川崎は訝しげに鹿島の顔を見つめた。
「なんだよその目は」
「は? 私おかしかった?」
「まあいい…お前、神楽とかいう転校生に買われたんだって?」
「…誰から聞いた」
「1組の馬鹿なパンピーに決まってんじゃん。ま安心しなよ、あたしが潰してやるからさ」
川崎の脳裏には昨日の路地裏での光景が浮かぶ。
北立の不良を2人斬りした、洗練された技と隙のない立ち振舞い。
いくら鹿島といえどそう簡単に敵う相手ではないと思うが…
「やめときな」
「は? あんた魂まで売ったのかよ」
「もうじき『あれ』の時期でしょ。怪我でもしたら鬼塚にシメられるよ。それに番長同士の喧嘩はご法度のはず」
「…怪我だって? このあたしがすると思ってんのか」
こくり、と川崎が頷く。
「はっ! ご法度もルールもあたしらには通用しねえ。鬼塚も馬鹿な女だ。見てな川崎、あたしが神楽ってやつぶっ潰してやるよ!」
「…」
目が据わった鹿島は走り去っていった。
残された川崎の胸中には、神楽真澄が勝利するという確信があった。
そして…
(なにが買われた、だ? 舐めやがって…神楽、目にもの見せてやんな)
小さなプライドが一つ。
「…ここだよ」
「…」
着いたのは近くの公園。
元々治安が悪いせいか人気はなく、たしかにここなら誰かをリンチするのに適している。
そうやってここで何度も人を虐げてきたのだろう。
…それが当然のことのように。
あたしは2-1のクラスメイトに囲まれながら公園の中心部まで移動した。
「闘りますか?」
「ああ、あんたは今からボコボコにされる…ただし、闘るのはあたしらじゃない」
「…?」
クラスメイトが一斉に反対側の入り口を見る。
そこから一人の女がこちらへ向かって歩いていた。
「…」
「ヒュー、綺麗なお顔じゃん。ぶっ潰し甲斐があるってもんだ」
長い茶髪を一つにまとめた、背の高い女。
誰だ、こいつ…
「やっちまってください、鹿島さん!」
「分かってるって…今すぐその女の面をぐちゃぐちゃにしたくて体が疼いてんだよ」
番長?
…そうか、奴らはこの女にあたしの処理を頼んだのか。
というより、相手が強引に名乗り出た感じでもあるが。
だがそんなことはどうでもいい。
「雑魚はよく吠えますね」
お互いの視線が殺意で交差した。
「ヒャハアアアア!! 二度と同じ顔に戻れなくしてやるよ!!」
ダッ!鹿島が据わった目で拳を振りかざしながらあたしに向かう。
ブンッ!
「ヒャハァ!」
ブンッ!
「なに小賢しくよけてんだコラァ! 怖いのかよ神楽ちゃんよぉ!!」
「…」
パシッ。再び伸ばされた拳を軽く掴む。
「……これで全力ですか?」
「は____」
鹿島の手を掴んだまま引っ張り、するりと懐へ入り込む。
高い身長のおかげで一番いい位置に「的」がある。
鳩尾目がけて、ゆっくりと拳を振り抜く。
「まっ…」
鹿島が声を上げる前に、あたしの拳が抉るように鳩尾を直撃した。
「ぐあぁあ…っ」
ドサリ。地面に倒れた鹿島は鳩尾を押さえて悶絶する。
あたしは鹿島の傍に歩みより、長い前髪をがしっと掴んだ。
「なにしてるんですか? まだ終わってませんよ」
「あたしの顔をどうするって言いました?」
「ぅ、うぐぅ…」
「ぐちゃぐちゃにぶっ潰すのでは?」
「ご、ごめんなさい…ゆるして…」
「…」
鹿島は掠れた声で懇願した。
「立ちなさい」
「え…」
「立てって言ってるんだよ」
胸ぐらをぐいと掴み、鹿島を無理やり地面に立たせる。
「…お前のような奴は皆、人を弄ぶことが権力だと思い違いをしている」
「…?」
「そんな人間が『許して』? あたしも正しい人間じゃない。だが…」
「神が許してもあたしが許さない。悪は悪で制してやるよ」
「…ごちゃごちゃ…」
ふいに鹿島が声を発する。
乱れた前髪の隙間から鋭い眼光が覗いた。
「言ってんじゃねえぞこのボケナスがぁぁぁぁ!!」
完全に据わり切った双眸をこちらに向け、狂ったように突進してくる。
どす黒い殺意があたしを掴もうと次々に手を伸ばした。
その手をかわし____
「!」
ヒュン。鈍く光る何かが目の前を走った。
「ヒャハハハ…うまく避けたな」
「…ゲスが」
鹿島はナイフを舌で舐める。
「なんとでも言えよ。聖人ぶりやがって!」
ブンッ!ナイフの刃が空を切る。
「チッ…ちょこまかと鬱陶しいんだよ!」
「…」
鹿島が悔しそうに歯を鳴らすと、すぐにナイフを向けてこちらに向かった。
ナイフは勢いを増してあたしの額をとらえる。
刃先が届くより先に腰を落とし、踵に力を溜め…
「____」
バキッ!
地面から体が離れたその一瞬、あたしの足が鹿島の顔面を打ち付けた。
「____っ」
勢いよく噴き出した鼻血が空中を泳ぐ。
そのまま鹿島は悲鳴に鳴らない声を上げると白目を向いて地面に倒れた。
「…」
あたしは倒れた鹿島に歩み寄り、前髪を掴んで顔を見る。
どうやら完全に気絶しているようだった。
「…チッ」
こんなものが番長だというのか。
なにが実力至上主義。ただ卑劣、非人道的なだけだ。
…だが、あたしの目的はあくまで鬼塚への復讐。その為にはまず2-1から「実力」を得ることが重要だ。
「…さて」
気絶した鹿島の前髪から手を離し立ち上がる。
あたしと鹿島をリングのように囲んでいた取り巻き達は怯えた顔をしていた。
「あ、あんた、やっちまったよ…」
「なにをですか?」
「もうじき『あれ』が控えてるってのに、鹿島を負傷させたんだ。鬼塚が知ったらきっと許さない…あんた、どっちみち潰されるんだよ」
「『あれ』?」
「…四方統一戦さ」
ふと取り巻き達の間を抜けて川崎が顔を出した。
「『北立と西虎』、そして別区域の『東城と南海』で街の最強を統一する戦いだ。
鬼塚はそれに参加して今度は街全体のトップを狙ってる」
「…それはいつですか?」
「夏の終わり頃だよ」
「…」
戦力を失うのは鬼塚も厳しいということか。
それにしても、東城と南海と言えばあたしが元々いた区域。
そんなところまで統一しようとするとは…貪欲な女だ。
だが、今の状況はかなりまずい。番長の鹿島が負傷したことを知れば鬼塚はその事実を許さないだろう。番長同士の喧嘩がご法度だというのはそういうことだ。文字通り戦力を失うことになる。
…ならば鬼塚、お前の目論みはここで終わらせてやる。
『四方統一戦』が始まる前に、戦力という名の四肢を全てもぎ、その時にぶっ潰してやる。
「…鹿島は怪我が治るまで自宅待機させます」
手首のゴムで髪を結い、クラスメイトに語りかける。
「皆さん、聞いてください」
「…」
「私はこれから全ての番長をぶっ潰します」
「なに…?」
「そして…」
今必要なのは暴力での制圧ではない。
人を統括するのは絶対的な「意志」だ。
実力と意志を乗せ、あたしは告ぐ。
「…鬼塚を潰します」
「!!」
あたしを囲む輪の中で困惑の波紋が広がった。
公園内がザワザワと喧騒に埋もれる。
鬼塚を倒す…?そんなことを公言すれば必ず鬼塚自身の耳に入る。
そうすれば神楽は潰される。だというのに何を…
…だが。
「……」
____困惑の中に、少しばかりの躊躇があった。
それはこの場にいるクラスメイト全員。
実のところ、鬼塚の「恐怖での支配」に不満を持つ者は多い。それを周りに公言できず、鬼塚には逆らえない。そうしてできたストレスを弱者に向ける不の連鎖。
今の水仙女子を形作っているのは恐怖そのものだった。
だからこそ、微かな希望を見出だしてしまう。
この神楽真澄という女の…途方もない野望に。
「…本当ははあたしら、鬼塚が怖かったんだ」
一人がぽつりとそう言った。
すなわちそれは、意志が伝わり実力を得られたことの証。
あたしの野望はしっかりクラスメイト達の心に響いたのだ。
水仙はまだ完全に腐り切っていない。
恐怖の支配への不満。
それらを統括し、新たなる「水仙」を創り出す。
…まるで小さな清水が大海になるように。
あたしはくすりと笑った。
「では最初の番長命令です。このことは鬼塚に言わないこと」
クラスメイト達はこくりと頷いて返した。
その顔にはそれぞれ覚悟が宿っている。
「強大な権力」と戦う覚悟が。
…そういえば、ここに来てから初めて笑ったな。
案外悪くないと、そう思ってしまうあたしがいた。
「佐藤」
「はい…」
北立高校、屋上。
フェンスに背をもたれさせた上条が眼前の佐藤に問いかける。
「お前、水仙のアマに負けたって言ってたろ」
「そ、そうです」
「そいつは番長なのか?」
「さあ…そもそも、俺がそいつをシメに行ったのは番長の川崎に言われたからですし」
「なに? あそこは番長同士でやりあうのは禁止だったな。なら番長じゃないとして…」
「転校生です」
佐藤の言葉に上条は顔を上げた。
「転校生? なんでお前がんなこと知ってんだよ」
「俺、元々そいつ…神楽真澄と同じ区域だったんす。つってもちょっと離れてましたが」
「はぁー? そういうのは早く言えや、マジ使えねーなお前」
「すみません…それと、あと一つ情報があるんですが」
「んだよ。とっとと言え」
「……神楽は、うちの地域の不良共を全員一人で統括したんです」
「!」
「そこからついた異名が、『激龍』なんですよ」
「…」
佐藤が全てを言い終わると、途端に上条の唇が薄く弧を描いた。
「…どうやら、とんでもない奴を奴を釣り上げちまったようだな」
「…今日の報告は?」
水仙女子高校、放課後。
無頓着に書類や物が散乱した生徒会室。その中で椅子に腰かける人物が一人。
団子状にきっちりとまとめられた暗い茶髪、虎視眈々と光る鋭い双眸、
この女こそが、水仙高校の「トップ」にして「生徒会長」の鬼塚静だ。
「いえ、特には何も」
鬼塚の目が捉えるのは、黒いおさげの女。
副会長、九条綾乃だ。鬼塚の右腕であり、番長よりも上の実力を有している。
つまり実質的な水仙のナンバー2。
「そう」
「ですが…」
「?」
「2-3の鹿島が休みだそうです」
「鹿島…あのラリアマが休みか」
「はい」
「…理由は?」
「それがおかしいことに、2-3の生徒達は皆口をそろえて同じことを言いました。『知らない』と」
機械的な表情を崩すことなく淡々と告げた。
鹿島の欠席と何も知らないクラスメイト…鬼塚の眉間にしわが寄る。
「ただのサボりならそれでいい。…が、怪我を隠蔽しているとしたら」
「…」
「あたしの前じゃどんな秘密も許さない。しばらく探ってきな、九条」
「はい、会長」
九条は小さく一礼し、生徒会室の扉へ向かう。
2-3の秘密…それらを全て炙り出す為に。
2-1。
命令通り、鹿島は学校を休んだ。
もちろん怪我が鬼塚にバレることへの危惧もあったが、それだけではない。
鹿島があたしの命令を飲むということは、プライドを捨てて鬼塚までも裏切るということ。
『…あなたの協力が必要です』
『ハッ…しかたねえ、鬼塚にはあたしも頭きてたんだよ。ぶっ潰せるなら乗るね』
あの後、公園で目を覚ました鹿島にも計画のことを伝えた。
すると意外にもすんなりと納得し、今に至る。
つまり鹿島はあたしに完全服従し、2-3も支配下の内に入った。
そうやって少しずつ…鬼塚を倒す為の戦力を上げていくのだ。
「皆さん」
椅子に座ったまま体の向きを変え、全員に話しかける。
視線が一斉にこちらへ向いた。
「鹿島の欠席は既に鬼塚に伝わっていると思います。そうなれば、鬼塚は欠席の秘密を探ろうと2年に聞きにくるはずです」
「…」
「もし何か聞かれたら『知らない』で貫き通してください。他のクラスもそう答えるでしょうから」
「わ、分かった」
「川崎」
「なんだ?」
川崎がクラスメイトの中から姿を現す。
「あなたと鹿島は実力的にほぼ互角ですね?」
「…まぁ、そうだな。そもそもアイツ刃物使うから実力もクソもないけど」
「分かりました。もし鹿島の欠席と2-1が結び付いたとしてもここの表面的な番長は川崎。その川崎が鹿島と戦って無傷というのはありえないのでそれ以上は疑いようがありません」
「他校の生徒にお願いしてシメてもらったと考えるかもしれませんが、そんな事実は存在しないので大丈夫でしょう。…ということです、分かりましたね」
あたしの言葉にクラスメイトは頷いた。
復讐の計画は鬼塚にバレないことが絶対遵守事項だ。
ガラリ。
教室の入り口が開かれると、そこに立っていたのは…
忌々しい茶髪ではなく、静かな黒髪だった。
(…誰だ?)
鹿島の件で探りにくるのは間違いないと読んでいたが…
鬼塚が直接来ないなら、この女は側近と考えるのが妥当か。
側近の女は教室内を見渡すと、川崎を見つけた。
「2-1の番長は…確かあなたでしたね。聞きたいことがあります」
「…な、なんですか?」
川崎が女の元へ向かう。
「今日、鹿島が欠席していますがそれについて何か知っていることは?」
「いや、別になにも知りませんけど…」
「本当に?」
「はい」
「……他の生徒達は?」
側近があたし達に目線を向ける。
しかし全員首をふるふると横に振った。
「…分かりました。では新しく情報があれば必ず報告をお願いします」
側近はそう言うと小さく一礼し、入り口から一歩下がると静かに扉を閉めた。
やがてその足音が完全に消えるまで、教室に静寂が残る。
「…誰ですか?」
ふと尋ねると、クラスメイトの一人が口を開く。
「鬼塚のお気に入りで副会長。3年の九条綾乃だよ」
「…そうですか」
「あいつ含めた3年はほぼ鬼塚派だ。西北戦の最前線で一緒に戦ったんだからな。
つまり3年の番長を言うこと聞かせるのは厳しいってことだ…」
「はい、いずれそういう奴が出てくると思っていました」
「じゃあどうすんの?」
「他の番長より強めに潰します。それだけです」
(…何か、嫌な予感がする)
廊下を歩く九条には、得体の知れない胸騒ぎがあった。
その勘が、これから神楽真澄の運命を変えていくことになるとは…まだ知らない。
古ぼけた自転車屋の看板、この時間にいつも散歩している年寄り。
…この町の景色も少し見慣れてきたな。
そんなことを思いながらあたしは帰路を歩く。
「…」
目を伏せ、水仙に思考を落とす。
九条綾乃。あいつが2年を嗅ぎ回っている間は他の番長と決闘できない。
可能になるとすれば、鹿島が学校に戻ってくる頃だろう。
それまで少し間が空くが…色々と他のことを調べられる機会になる。
まずは3年の番長のことでも____
「!」
ふと背後に気配を感じた。
影を落としたそれはあたしに向かって腕を伸ばす。
「____」
その場に屈んで腕をかわす。
意表を突かれた背後の敵にわずかな隙ができる。
その数秒の間に二撃目を待たず立ち上がり、振り向き様に振り上げた踵を思い切りぶち込んだ。
「…おいおい、お前は挨拶の仕方知らねーのか?」
「!」
しかし、踵は腕でガードされた。
すぐに足を下ろし、後ろへ下がる。
…この男、何者だ?
あの攻撃を瞬時に受け止める反射神経。
制服を着ているから学生だろうが、こいつは一体…
「しっかし、いてーな…どうやら噂はマジみてーだ」
「噂? …あなたは何をしにきたんですか?」
「そう睨むなよ。なぁ…『激龍』」
「!」
「なんでお前が知ってんだ、って顔だな。俺についてきたら教えてや…」
キンッ!!
男の股間を膝で打ち付けた。
「うあああ…お、おいてめ…なにしやがる」
「それはこっちの台詞だよ」
地面に膝をついて悶える男の胸ぐらを掴む。
「誰から聞いたか言いな」
「さ、ささ佐藤だ…おめーがボコしたとかいう…」
「チッ、あいつ…」
脳裏にあの路地裏が浮かぶ。
あたしを知ってるってことは、同じ区域の奴しかありえないはず。
ならあいつはたまたま同じだったのか…クソッ。
「あたしが激龍だからなんだ? お前はなんの用があって来た」
「きょ、協力を…」
「協力だと?」
「俺は北立の上条…お前と話がし、したい…」
「…始めからそう言えよ」
パッ。胸ぐらを離した。
「…それで、話とは? 北立の生徒に手を出したことですか?」
「いや、それはぶっちゃけどーでもいい」
北立高校の屋上で、上条はフェンスの段差に腰かける。
そこから少し離れた位置にあたしはもたれかかった。
煙草の煙がふわりと香る。
「聞きてーのはな、激龍。あんたのことだ」
「…」
「教えてくれ。あんたはなんで転校した?」
「それは…」
目を逸らす。ここで計画の内容を安易に言ってはいけない。
何故なら北立は四方統一戦に向けた水仙の同盟校。つまり、この上条とかいう男も鬼塚に通じているかもしれない。
警戒しながら考え込んでいると、ふいに上条がぽつりと呟くように尋ねた。
「…鬼塚か?」
「!」
「はは、図星って感じだな」
「…なぜそう思うんですか?」
「激龍が水仙に転校っつーとそういうことだろ。それに…」
「?」
「…俺も同じだ」
上条が声のトーンを落とした。
「…どういうことですか?」
「復讐さ」
「…」
復讐。まさかこの地でその言葉を聞くことになるとは。
…だからあたしに協力を求めたのか。
「…俺、本当はここのトップじゃねえんだ」
上条はゆっくりと話し始める。
北立高校のトップは、元々は桐生空牙という人だった。
1年からの西北戦を勝ち続けていたのは桐生さんのおかげといっても過言ではないほど強く、仲間からの信頼も厚かった。
だからこそ、きっと今回の西北戦も勝つ…そう思っていた。
俺は2年、桐生さんは3年。
ちょうど夏が過ぎた辺りの、秋の始め頃。
その当時桐生さんには他校の彼女がいた。最後の西北戦でケジメをつけ、彼女の為に不良を引退したい。それが桐生さんの夢。
俺らはその夢を後押しする為に、桐生さんが去った後も強い北立であり続けられるように、全力で西虎と戦おうと決めた。
だが…ある時。
『桐生さんの彼女…学校で壮絶ないじめ受けてたらしいぜ』
『なに?』
『それが、鬼塚とかいう奴の差し金でな』
そいつの言ったことは本当だった。
桐生さんの彼女は精神と肉体をいじめによって傷付けられ、もう立ち直れなかった。
毎日病院で泣き、クラスメイトの残影に体を震わせる日々。
桐生さんは怒った。俺らがそれまで見たことないほど。
彼女をいじめた奴らを容赦なくぶっ潰し、全員半殺し…
その結果、桐生さんは退学になった。
そして俺たちは桐生さんはなきまま北西戦に挑むことなり、そこには…
鬼塚静率いる水仙女子高校がいた。
「…つまり、当時ナンバー2だった俺が今のトップってわけだ」
「…」
「クソッ! 許せねえ…あいつは、鬼塚は俺らに勝つ為に桐生さんを潰したんだ。しかも彼女を使って」
ドンッ!上条が地面を叩く。
その形相からは激しい怒りが伝わってきた。
…まさか、鬼塚の魔の手がここまで伸びていたとは。
勝利の為なら手段を選ばず、平然と人の人生に土足で踏みいる。
…ああ、鬼塚はやはりそういう奴だ。
許せない奴。
「…だからよ、なんとしても復讐してーんだ。…分かんだろ、激龍」
上条が最後の希望にすがるような目でうつむく。
あたしが「激龍」だと知って、同じ目的を持っていて…
その時、上条はどんな気持ちだったのだろう。
今はいない桐生の面影を脳裏に描いていたのかもしれない。
「…上条」
「!」
静かに手を差し出した。
上条はその手を驚いて見つめる。
「…いいのか?」
あたしはこくりと頷いた。
上条の愚直な眼差しが刺さる。
「…ただの私情だ」
刹那、青空の下。
あたしと上条の復讐が互いに繋がった。
「…さて、作戦会議だな」
あたしはこくりと頷く。
邪魔な髪は結った。
「とりあえず、激龍。お前は今水仙でどうしてんだ?」
「番長を倒してる。全部で15人いるがあたしが倒したのはまだ2人だ」
「…そうか、まぁ激龍ならすぐ倒せんだろ。それはそうとよ、なんでそんなまどろっこしい方法なんだ? 正面から頭取りにいきゃいいじゃねーか」
「水仙は実力主義。つまりトップの鬼塚が言うことには絶対服従だ。鼻からサシでやろうとしたらリンチになる。つまり…」
「…」
「『味方』にするか『戦闘不能』にするか。この2択しかない」
「なるほどな…頭いーなお前。ほれ、ライター持ってっか?」
上条が煙草を差し出す。
「持ってない」
「ん」
差し出された煙草とライターを黙って受け取った。
屋上の青色に二つの煙が混ざって溶けていく。
「…でもよー、激龍。もうお前は北立の仲間ってことだろ」
「実質的にはな」
「だったら俺らで水仙潰せんじゃね? 北立の奴ら総動員してよ」
「…」
確かに、北立と同盟関係を結んだ今なら水仙を倒せるかもしれない。
この地域の現トップは水仙だが、北立も去年まで1位だったのだ。
桐生を欠いたとはいえ3位の西虎より強いことは明白。ならば…
その時ふいに鬼塚の目が頭をよぎった。
ギラギラと光る純悪の目。
勝つためならば手段を選ばない。そのせいであたしも桐生も犠牲になった。
そんな奴が…今の北立の現状を把握していないとは思えない。
「…今はまだ待機だな」
「なんでだ?」
「鬼塚のことだ。きっと北立に対して何かしら手を打つはず」
「…そっか、まぁ鬼塚だしな。じゃー俺は何してればいい?」
「同盟関係でいてくれればそれでいい。あとは…こうやって作戦会議と情報交換でもしよう」
「オッケー。あ、激龍」
「?」
「連絡先。交換しよーぜ」
「…ああ、そんなことか」
ポケットからスマホを取り出して上条に向ける。
少しして音が鳴った。交換完了だ。
「へへ、やったぜー。げ、き、りゅう…と」
あたしは素早く『上条天』と登録するとスマホをポケットにしまった。
「…あ、そーいえばよ」
「ん?」
「激龍ってかっけーよな」
「…誰かが勝手に呼んだだけだ。あたしは気に入ってない」
「俺は気に入ってんだけどな。あー、俺もかっけー名前で呼ばれてみてえ…」
そう言うと上条はうつむき、少し考え込んだ。
「……北立の極天、とか」
「…」
あたしは再びスマホ取り出す。
連絡先の欄の『上条天』をタップし、『極天』に打ち直した。
「お、オイオイオイ、やめろよ恥ずいじゃねーか」
「こっちの方がバレなくていいだろ」
「笑ってんじゃねーよ!」
…あたしと上条は空の下で笑いあった。
ああ、こんな日は……
『____真澄』
…いつぶりだろうか。
上条と同盟を結んだ翌日。
いつもと変わらない2-1の外に、今日も九条がいた。
鬼塚に命令されているのか、自分の意志か、あるいは両方か。
どれでも知ったことではないが九条が目を光らせているのは事実。
その間は決闘を行うことは不可能。だから監視期間にある程度の情報を集めることに専念した方がいい。
まずはそれぞれの番長の情報だ。
「川崎、水仙の番長について教えてくれますか?」
「ああ、うん…いいけど」
「ではまず2年を教えてください」
あたしが尋ねると、川崎が記憶を探るようにして話を始めた。
「私と鹿島のラリアマを除けば、残りは小川、清水、早瀬の3人だよ」
「その中で味方にできそうな奴は?」
「まあ…2年は大体仲間にできると思うけど」
「なぜですか?」
「簡単なことさ。私ら2年が鬼塚に対してあるのは恐怖だけ。みんなほんとはウンザリしてんだよ」
はぁ、とため息をついて肩をすくめる。
「3年は鬼塚の信者だし、かといって1年は恐怖が薄いから反抗心もない。
つまり…その間を取った2年が一番仲間にしやすいんだ」
「…そうですか」
ならば優先順位としては2年、1年、3年になる。
その中から選別して、仲間にできないと踏んだ奴は四方統一戦が始まる前に病院送りにすればいい。
早い段階で復讐の計画が鬼塚にバレることは絶対に避けないといけないからだ。
そう考えると、とりあえず2年は安泰…
ふと、川崎がぽつりと告げた。
「……だが、早瀬。あいつだけはちょっと別だ」
「…別?」
「早瀬凜。5組の番長で…2年の中じゃ一番強い」
「…」
その早瀬とやらがなぜ「別」なのか。
2年の中にも鬼塚派がいるということか?
もしそうならそいつは四方統一戦前まで後回しだが…
「あいつは誰ともつるもうとしない一匹狼気取りのアマさ。だから何を考えてるか分からない」
「…少し厄介ですね」
「ああ」
鬼塚派か、それとも反鬼塚派か。
分からなければ選別の仕様がない。
孤高の番長。その胸中を明かすには…
「私が探ります」
「え?」
「友達になるんですよ、彼女と」
川崎は唖然として目を見開いた。
「ダチってあんた…」
「計画の内容を告げずに素性を探るには一番でしょう」
「ハッ、ズルいやつ」
川崎が笑う。その背後の廊下を、九条ともう一人、何者かが通り過ぎた。
「…あれは…」
「ん?」
くるり、と首を後ろに回す。
「…ああ、あれだよ」
「あれ?」
「早瀬だ」
親指が差す女は、不機嫌そうな顔で九条の後ろを歩いていた。
…あれが早瀬凜。