東京都新宿区、ビルの谷間にある小さな芸能事務所『ILIS(アイリス)』。
そこで成功を願う売れない地下アイドル、天川優希。
年齢20歳。お先は真っ暗。そして事務所は潰れかけ。
そんな現実をぶっ壊し、輝かしい未来を掴み取れ!
勝負、崖っぷちアイドル!
(激龍は最後まで考えてるので許してくださいorz)
____シュウウウ
ぐつぐつと沸騰する熱湯が蓋を持ち上げ、熱を帯びたヤカンから白い湯気と共に音が出た。
あたしはのそりと体を起こすと、毛玉だらけのダサいスリッパでコンロまで歩き、カチ、とコンロのスイッチを押して火を消した。
ふてぶてしく光る金色のヤカンは次第に静かになった。
その傍らには発泡スチロールでできた安っぽいカップ麺が一つ。
もう待ちきれない。あたしは空腹の胃に固唾を押し込んでヤカンを手に取った。
そのまま腕を傾けると、透明の熱湯が湯気を立てながらカップ麺の中に注がれていく。
命を得た麺が踊り出し、具が次々に水面へと顔を出した。
…ああ、この瞬間が幸せだ。
完全にお湯で満ちたそれを見下ろしながら微かな達成感に浸る。
空になったヤカンをコンロに戻し、そっと優しくカップ麺のフタを閉めた。
3分間。あたしはその時間をきっちり守る。
約束の時間にはルーズだったが、この時だけは別だ。
恋人に会いたいと願うように、あたしも早くカップ麺を食べたい。
実にしょーもない昼下がり。
カップ麺が出来上がる間の3分間。
あたしが何を考えるのかというと、昨日見たつまらないローカル番組のこととか、ホームセンターで売ってた良さげな家具とか、ソシャゲの新キャラとかのこと。
まあ実につまらない。でも、逆にこの3分間で修行僧並みのすごいことを考える方が難しい。いや、修行僧ならむしろ何も考えずに瞑想するんじゃないか…といういかにもどうでもいい考えがまた次から次へと浮かんでくるので、とどのつまりはどうしようもない。
ただ頭の中を流れる言葉を脳がキャッチする。そういう時間だ。
そんなこんなで3分が経とうとしていた時、ふいに少し離れた玄関で扉が開く音がした。
あたしが音に気付いて目線を玄関に向けると、それは姿を現した。
痩せぎすの体に似合わない背広と薄幸漂うやつれた顔。
こんな貧乏神みたいな見た目をした中年のおじさんが…
「おかえり、社長」
「ただいま…」
ここ、芸能事務所『ILIS』の社長、倉松清である。
つまりあたしはれっきとしたアイドルだ。
16歳の夏頃、倉松社長にスカウトされて以来かれこれ4年はここにいる。
深いため息をついて背広を脱ぐ社長を背後に、あたしはカップ麺のフタを外した。
台所の棚からいくつもある割りばしを1本取り出して、熱々のカップ麺を手に元いたソファーに向かう。
ドサリ、と音がしてあたしの体は綿に沈んだ。
「さーて、いただきまーす!」
ぱんっ!と手を合わせ、片手に添えた割りばしをカップ麺に突っ込む。
ズルルル!途端に麺をすする音が部屋中に響き渡った。
これ!これですよ!至福の時間!
「っあーー!! うまいっ! インスタント神!」
「ほんとに好きだねぇ」
あたしの向かい側に座った社長が微笑みかける。
「まあカップ麺とプレステさえあれば生きていけますから!」
「あの、優希ちゃん…」
「ん、なに? 仕事の話ですか?」
あたしは麺をすすりながら社長の顔を伺う。
モゴモゴして、どこか言いにくそうで、ちらちらと目ばかりが泳いでいる。
「社長ー、なんでも言ってくださいよー!」
「あ、あぁ…えっとね…」
「はい!」
「……次のライブで終わりそうなんだ」
「え?」
麺を口に運ぶ割りばしが動きを止め、響き渡る静寂の中で目の前の社長はただただ目を伏せる。
あたしはその空気に耐えきれず、しどろもどろになりながらも言葉を紡いだ。
「えっと…お、終わりって…?」
「す、水曜日のライブを最後に…」
「水曜日って来週の?」
「いや、今週の」
「それって明日じゃんか!!」
ダンッ!カップ麺と割りばしを机に置き、その横で手を思いきり叩きつける。
机と同時に社長の肩もビクリと揺れた。
「あたしこれでも頑張ってきたんだよ!?」
「そ、そそそれは分かってるよ」
「大体ねぇ社長、あんた地下アイドルの曲をインディーズのヘビメタバンドに任してるからおかしいのよ!
なによ『GOLD BALL』って! あんなん売れるわけないじゃん!!」
「うわあああ!」
がしっ、机に足をついて社長の胸ぐらを掴む。
「あたしを見てよ! アイドルなのに火曜日の昼間から上下スウェットでラーメンすすってんのよ!?
あたしより若い他の子達が爽やかな汗流して踊ってる時になんなのよこのザマは!!」
「ご、ごめん本当にごめん…でも作詞家と作曲家を雇うお金がなくて…」
「だからってヘビメタバンドはないでしょーよ!!」
一通り言い終えたあと、あたしは肩で息をしながら少しの間固まっていた。
受け止めきれない現実の整理をするためだ。
あたしももう20歳。アイドルとしての賞味期限は短い。
その上、倒産間近の事務所。つまり、この状況は…
詰み。ただそれだけ。
あたしという名の駒が真っ暗な盤上に取り残されている。
その時初めて人生の危機感を感じた。