これは笑顔でいるはずの少女が、狂愛に苛まれ、傷つけられ、愛され、愛され愛され愛されーーーー追い詰められる物語。
※残酷描写が多少ございます。
※誤字脱字は仕様です。
壱話
私は幸せだった。
私は今の生活が幸せだった。
お金が無くても、母親が居なくても、贅沢な暮らしが出来なくても……
幸せだった。
「ほらさっさと金を出せ」
「今日払うつったよな?」
「申し訳ありません……!ら、来月までには必ずご用意しますので……!」
何年もの間、毎月の様に、私はこの光景を見ていた。
父の苦しむ顔を見るのは、今日でいったい何回目だろう?
私は電柱の影からそっと彼達の様子を伺う。
「お父さん、大丈夫かな」
私の名前は、赤城佐凛(あかぎさりん)。
所謂キラキラネームというやつだが、私はこの名前を特に気にした事はない。
母は幼い頃に亡くなり、今は父と2人暮らし。
このボロアパートにはもう何年も住んでいるけれど、普通の人が思う程悪い生活では無い。
私が学校から帰ってくると時々この人達を見かける。
刺青を入れていたり、スカーフェイスだったり、チンピラとは一味違う、ヤクザだ。
毎月、必ず一度はやってきて、私の父を殴る蹴る。
父はこの事を、私に内緒にしているつもりらしい。
だけど、こんなにも堂々と暴行されて、気が付かないわけがない。
借金の事だけじゃない、闇金融からお金を借りている事だって、自営業の町工場が潰れた事だって、新しい職場でリストラされた事だって全部知っている。
でも父は私に心配をかけたくないのか、私には一切そんな事言わない。
「佐凛は心配しなくて良い、全て俺に任せてくれ」
父は作り笑いを浮かべながら、いつもそんな事ばかり言う。
けれど、父だけに重荷を背負わせる訳には行かない。
父は知らないかもしれないが、私だってバイトをして働いている。
部活に行く振りをして、居酒屋でバイトをしている。バイト先のオーナーは憐れみの気持ちで私を雇ってくれている。
とりあえず私は、バイト代を食費に当てたり、ちょくちょく家に届く身に覚えのない、恐らく父のであろう請求書を支払ったりした。
でも、流石に闇金融から借りているお金は返せなかった。
だって5億も借金があるんだもの。
子供の私じゃ……いや、例え大人でもとても払える額ではない。
「本当に申し訳ありません!来月には必ず……!」
本当は辛い筈なのに、全てを投げ出したい筈なのに。
父は痩せ、我慢をしてヤクザの連中に頭を下げる。
毎月毎月、飽きもせずやってくるヤクザに。
もう、逃げれば良いのに。
私がもう、全ての責務を背負うのに。
私は体を売る事も考えた。
けれど居酒屋のオーナーは、それだけは絶対にやめなさいと言うがもうそのくらいしか方法が……
「そういえばお前一人娘が居たよな?」
「中々可愛かったぞ?ころすしか?」
「そ、それだけは!どうか娘だけはお許しを!」
震える父を、私は電柱の影から見守る事しか出来ない。
父はヤクザからお金を借りている、だからこそタチが悪い。
調べてみれば父は「黒川組」と言う日本最大の財力と武力を誇るヤクザグループから借りているらしい。
関東中に蜘蛛の巣の様に網を張り巡らせ、様々な悪事に手を染めている集団だ。
殺人だって構わない奴等……このままだと一体何をされるか分からない。
「まぁそこら辺の対処は上に任せるかな、何てったって5億も借金してんのはお前が初めてだ、次来る時までには10万くらい用意しとけよ」
ゲタゲタと汚らしい笑い声を上げ、身を引く一同。
これで、今は大丈夫な筈だ。
しかし、安心するのが早すぎたことを私は翌朝、後悔する事になる。
弐話
次の日の朝、父は朝食も取らず、包み隠さず今までの事を全て私に話した。
祖父から受け継いだ工場を守る為にヤクザから借金をしていた事、一生働いた所で返せるような額ではないという事、今日奴等が家に来ると言うことetc……
「もう大丈夫だ、事情を話せばきっと誰かが助けてくれる」
『知ってたよ、そんな事』何て言えるわけ無い。
如何にも初めて聞きましたという反応をするのにどれ程心苦しかっただろう。
けど……逃げる気なんかさらさら無い。
私はそんなに薄情じゃない。
父を捨てて逃げられるような愛のない人間なら、私はとっくの昔に家を出て逃げている。
「わかったよ、お父さん」
一先ず逃げ出した振りをして、家の周辺で動向を探った。
念の為、護身用に木刀を隠し持っている。
一応剣道部だし。
父は、アパートの前に堂々と立っている。
もう失う物は何もない、そう言った表情だ。
すると黒塗りの車に乗って、再びヤクザ達がやってきた。
今日は、昨日の倍の人数になっていた。
「良い知らせ持ってきたぞ赤城の旦那」
「組長に聞いてみたんだ、お前の対処について組長なんて言ったと思う?『あの男の娘をこちらに寄越すのならもう2度とか変わらないし今までの借金も帳消しだ』ってさ」
「まさか、佐凛を!?娘は、娘だけは!」
「へぇ、佐凛ちゃんって言うんだな?まぁ随分と可哀想な名前をつけたものだ」
大量に金歯の詰まった歯をニッと見せつけ、見下したように彼等は言葉を続ける。
「断るんだったら仕方ねぇ、あんたをころす」
ヤクザの言葉に、父は覚悟を決めたかのように目を閉じて、そのまま俯く。
父は私が逃げたと思っている……
男達は父にナイフや銃を向ける。
誰もいないか辺りを見回すも、人どころかいつもは騒がしいカラスまで太陽と一緒に雲隠れ。
警察でも呼べばよかった……
でももう仕方が無いよね。
私は木刀を腰に携えた。
「逃げたとしてもすぐ見つかるさ、10年間お疲れ様」
ヤクザがナイフを振り下ろそうとした瞬間、私は木刀を抜いて飛び出した。
気配を感じてナイフの予先を変えた男の腹を突き、彼の手から離れたナイフを木刀で振り払う。
キラリと鋭い刃物が宙を舞ったかと思えば、音を立てて地面に落ちた。
父だけでなく、自分にも銃が突きつけられる。
けれど不思議と怖くない。
私の背後で尻餅をつく父の涙声が聞こえた。
「さ、佐凛!?俺は逃げろと言ったろ!」
「言った?私この頃耳が遠いんだよね」
大切にしていた木刀には無惨にもナイフの痕が残る。
呆然とするヤクザには目も向けず、私は精一杯の作り笑いで父に語りかける。
「もう無理しなくて良いから、私元々全部知ってるんだから」
「ど、どういうことだ……?」
焦りと驚きで震える父の声。
今まで隠し通してきたつもりだったのが、いつの間にか娘の耳に入っていたのだから驚くのも無理は無い。
「私ね、昔から頑張ってるお父さんの姿見てきたよ、私はずっとお父さんに守られてた、だから最後くらいそんなお父さんを守りたい、ね?だから私に最後くらい守らせて」
私は腹を突かれて倒れたヤクザを真っ直ぐ見つめ、木刀を地面に投げると、蚊の鳴くような声で小さく「ごめんなさい」と謝り、私は言葉を続ける。
「組長さんに伝えてください、私は大人しく組長さんのものになりますって、そしてもう2度と父には関わらないでくださいと」
「分かった、だが、組長は事が終わったらすぐにお前を連れて来いと言っていた、くれぐれも逃げないようにな」
「逃げたら父は殺されるんですよ?私はそこまで愚かじゃない」
私は父を見る。
父は泣きそうになるのを堪えて私を見ている。
情けない顔だ、でもきっと私も父から見ればそんな顔をしているのだろう。
「佐凛、父さんは……」
「おい佐凛、今すぐ本当に必要な物だけをこの中に入れて持ってきな、衣服等はこっちで用意している。」
父の言葉を遮り、ヤクザは私に大きめのボストンバッグを渡してくる。
随分と準備がいい連中だ。
私は泣き叫ぶ父の声を無視して家の中に入った。
思い出の沢山詰まったこのアパートには、もう帰って来ることは無いのだろう、きっと。
これから私は組長さんの慰み者として扱われるのかな。でもそれでお父さんが助かるなら何でも良いや。
私はそんな事を考えながら、自分の部屋に入った。
そしてすぐにボストンバッグの中に筆記用具や教科書類を詰み始める。
ふと、机の上の写真盾に目が行った。
その写真は私が幼い頃父と一緒にピクニックに行った時のだ。
この時はまだ借金も無く平和な日常だった。
持っていきたい衝動に駆られたが、私はそっと写真盾を見えないように倒した。
もうこの人とは全く違う人生を歩むんだ、他人になる。
外に出るといつの間にか、アパートの前に黒塗りのリムジンが止まっていた。
流石、日本最大の財力を誇るだけある。
その近くには、絶望の表情を浮かべた父が座り込んでいた。
私はそっと父に歩み寄り、優しく肩に手を置く。
「佐凛、お願いだから行かないでくれ、俺はもう死んでも良いんだ、だから佐凛だけは……」
「ごめんね、私も自分だけは死んで良いと思ってる、今までお父さんは、たくさんの事を私にしてくれたでしょう?だから今度は私がお父さんのために何かするべきだよ、最後の親孝行くらいさせてよね」
父は泣いている。
私だって本当は泣きたい、泣き出したい。
大好きなお父さん、私を男手1つで此処まで育ててくれてたお父さん。
母親がいない分まで愛情を注いでくれた、何よりも大切にしてくれた、だからこそこんな別れ方で私だって当然に悲しい。
お父さん、本当にごめんなさい。
「今まで、ありがとうね」
目に涙を溜め、私は父を見ないようにしてリムジンに乗り込んだ。
ボストンバッグはヤクザの人が預かってくれた。
てっきり奴隷のように酷い扱いを受けるのかと思えばそうでも無い。
車の中に入ると、隣に上物のスーツを着た男が乗り込んできた。
目つきが悪く手も傷だらけ、容姿も百戦錬磨の兵士のように凛々しく、強面だ。
だが、私に向けてくるその笑顔には優しさが見える。
「佐凛ちゃん、俺の名前は後藤健二(ごとうけんじ)だ、宜しく頼む」
「宜しくお願いします」
「俺は組長にお前さんのお目付き役を頼まれている、だからくれぐれも組長の前で下手な事はするなよ?俺は可愛い女の子を傷つける趣味は無いから」
お目付き役、ねぇ。
私が組長のものになる前提で全ての話が進められていたんだろうな。
どうせ逃げたとしても、この関東で黒川組から逃げられる筈が無いし。
「あ、佐凛ちゃん、組長だけは絶対に怒らせるなよ?まじで容赦無く殺されるからな、とりあえず組長の機嫌を取ることだけ考えろ、じゃねえと俺までとばっちりを喰らっちまう」
黒川組の組長、一体どんだけ恐ろしい人なんだろう。
後藤さんはため息を吐き、こう言った。
「あー、でも佐凛ちゃんは意外と大丈夫かもな、組長は大層佐凛ちゃんの事を気に入ってるみたいだから」
「会った事も無いのに気に入ってる?」
「うちの組長はその人間の目を見るだけで本性がわかるらしい、それが写真だろうが映像だろうが関係無い、組長は佐凛ちゃんの写真を見て言っている」
ヤクザの組長に気に入られるような本性とは、私どれだけ腹黒いんだよ。
それからしばらくして、リムジンは巨大な豪邸の前に止まった。
ドラマや架空の絵でしか見た事の無いような、西洋風のお屋敷だ。
東京にこんな広い敷地をとって、流石ヤクザの組長。
きっと非合法な事を色々と行なって、ブラックなマネーを稼いでいるのだろう。
「一応言っとくが、俺等はヤクザだ、もちろん警察にもマークされている、佐凛ちゃんにもこれからは監視が付くかもしれない、でももし質問とかで声を掛けられたりしてもあいつらは任意だからスルーしちゃって構わない」
後藤さんの話から察するに、私は決して自由まで束縛されるような立場では無いらしい。
そして豪邸の中に入って、1つ気が付いた事がある。
「ヤクザっぽい人多すぎじゃね!?」
そりゃあ組長の自宅だから仕方ないのかもしれないが、アロハシャツを着てモヒカンにしている人がいた。
これってヤクザなの!?
金髪に染めてチャラそうな男も何人かいたが、時には筋肉ムキムキのボディーガードのような人も見かけた。
しばらく進むと、彼は1つのドアの前で止まった。
ドアの両端には、スーツでサングラスを掛けた大柄の男2人、この部屋の中にいる人物はある程度予想できる。
「此処が組長の部屋ね、ノックしてから入れよ、荷物は俺が運んどくから」
後藤さんはそう言うと一歩後ろに下がった。
両端のボディーガード達は私が見つめても微動だにしない。
逃げる事は出来なさそうだ、仕方が無い。
潔く腹を括ろう。
私は覚悟を決めて、マホガニー製のドアを叩く。
すると中から男の声が返ってきた。
「どうぞ」
すみません、ボストンバッグはヤクザの人が持ってくれたって所から参話です^^;
↓本編に入ります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
澄んだ綺麗な声。
一体どんな人何だろう……あんまり怖くない人だと良いな。
私は「失礼します」と言ってドアを開けた。
自分でも緊張しているのが分かる。
『組長は絶対に怒らせるなよ?容赦無く殺されるからな』
後藤さんの言葉が頭の中に木霊する。
部屋は、あまり物の多くない質素なものだった。
この豪華な屋敷の中にしてみれば、広すぎずシンプルな部屋。
中に入って一番最初に目がついたのは、黒革のソファーだ。
高い天井にはシャンデリア、少し横には巨大なベッド。
大きなデスクとパソコンがある。
そして、そのデスクに座っていたのはーー
「やっと来ましたね、この日を私はずーっと楽しみに待っていたんですよ?」
何と若く、爽やかな容姿のイケメンスーツ野郎。
てっきり白髭を生やしたお爺さんかと思っていたが、この人が本当に組長なのだろうか。
「あの……」
「わかります、聞きたい事が沢山あるんですよね、どうぞそこのソファーに座ってからお話を始めましょう」
男は私をソファーへと促した。
男の言う通りに座ると、彼は満足げな表情を浮かべて立ち上がる。
すらりと高身長でスタイルも良い。
イケメンで金持ちで高身長、もしヤクザでは無かったら女性に言い寄られ続ける毎日となるのだろう。
「君の父親の事はそれはそれは残念に思っています、彼なら何とか返せるかと思っていましたが、まぁ5億でしたからね」
嫌味ったらしい声色で、彼は言葉を続ける。
「私の送った偽の請求書も、きちんと払ってくれましたし、頑張っていたんですがね」
「え、偽……!?」
偽の請求書!?
もしかして、私がバイトしてまで稼いだお金は全て無駄金だったって事?
まぁ確かに、あんな金額の買い物はしていなかったし妙に怪しいとは思っていたけどまさか偽だったとは。
「ふふ、知っていますよ、貴方のお金だったんでしょう?せめて請求書だけでもと健気に働き、僅かなお金でも喜ぶ姿を見ていると痛快でしたよ、父親のためですか?」
何と言う男だ。
性格がひん曲がってやがる。
大変そうな私を見て楽しんでいたのか。
「しっかしあんな落ちこぼれ、気にするだけ無駄ですね、貴方は頭も良いし容姿も良い、あんな人間放っておいて施設にでも入っていれば幸せになれたかもしれないのに」
落ちこぼれだと……?
あぁ、きっと人生が薔薇色のようなこの人には分からないんだな。
父の優しさ、素晴らしさが。
……まぁ良い、こんな組の真っ只中に居られるんだ。
少なからず犯罪の証拠は出てくるだろう。
そうしたら警察に突き出して……
「おや、すみません、どうやら少し癪に触る事を言ってしまいましたね」
男は楽しそうに笑うと、引き出しから銃器を取り出して、私の眉間に押しつけた。
冷ややかな鉄の管を突きつけられたら、流石に私も怯んでしまう。
彼の見惚れてしまう程に綺麗な顔さえも恐ろしく感じてしまう。
「無駄ですよ、いくら私らの証拠を掴んだ所で警察が私達を捕まえる事は出来ない、それにもし貴方が組に対する裏切り行為を図ろう者なら、貴方も容赦なく殺します」
撃鉄の音が、嫌に耳の中に反響する。
ころす、ころすねぇ。
「私は死んでも構いません、ころすなら今すぐころしてください」
真っ直ぐ彼の瞳を見つめると、男は表情を変えた。
恐ろしい程に真顔だった顔が、笑顔へと変わる。
「そうですか、ではこういうのはどうでしょう?四肢を切り落とし、目を潰し、耳を削ぎ落とし、死なない程度に拷問して私がいなければ何も出来ない人間にすると言うのは……そうだ、あなたの父親を殺しましょう!ビデオにも撮って、ズタズタにして、あぁ安心してくださいね、あなたにもちゃーんと見せてあげますから」
こいつ、目がもう狂気じみてる。
そんな恐ろしい事を笑顔で言うなんて狂ってる。
銃以上の恐怖をこの男に覚えた。
「あなたは一体何をしたいんですか?」
「あぁ、自己紹介がまだでしたね、私の名前は黒川真人、祖父から黒川組を受け継ぎ今に至ります、あ、私の事は好きに呼んでくださって構いませんからね」
肆話
黒川真人ねぇ。
案外何処にでも居そうな普通の名前だ。
それにしてもヤクザの組長の名前が「真人」って、一体名付け親は何を思ってこの名にしたのだろう。
生まれてこの方、正しい事なんて一度もしていなさそうな悪い笑顔を浮かべているんですけど。
「では黒川さんに質問があるんですけど、何故借金の代わりに私を選んだんですか?確か5億もありましたよね?」
「5億なんて端金です、私個人からしたら貴方の方がよっぽど価値がある」
「私をどうするつもりですか?」
「そんなに警戒しないでください、別に私は貴方に危害を加えるつもりはありません」
嘘つけ。
そんなに邪悪な顔をして「危害を加えるつもりはない」なんてよく言えたものだな。
それに、この人本当に頭がおかしいんじゃないか?
5億=私。
という、摩訶不思議な方程式が出来上がっているんですが如何に。
「やだなー、大丈夫ですよ殺して食べたりしませんってー、ただ私の睡眠の際に貴方に抱き枕になって頂けないかなと思いまして」
「だ、抱き枕!?」
私の聞き間違いか?
この人今、抱き枕って、確かに言ったよな?
うーん……よく雑貨屋などで売ってる兎や熊の形をした抱き枕なら分かるが、私が抱き枕とは一体どういう了見だ?
「最近不眠気味なんですよ私、それに楽しみが全くないし、別にやましい事はしませんから、ただぎゅっと抱きしめるだけです」
いや、いやいやいや充分やましいわ!!
こいつの頭ん中お花畑か。
「そして戸籍も少々ながらいじらせていただきました、どうなったと思いますか?ん?」
何か、すっごいむかつくんだけど。
イケメンなだけに余計むかつくんですけど。
私は黙っていたが黒川さんは言葉を続けた。
「貴方は私の可愛い可愛い妹ということになりました」
語尾に音符でもつきそうなテンションで彼はそう言った。
それに対して私は一言言いたい。
【は?】
と。
何だこの人は、さっきから色々と規格外だぞこの人、いや、もう突っ込むのさえ嫌になってきた。辞めにしよう。
ーーーーー
黒川さんの妹になった。
何か知らないけど妹になった。
ということは当然苗字も「赤城」から「黒川」に変わるわけだ。
黒川佐凛……、うんなんかこっちの方がロゴが良い気がする。
そして中学も転校だ。
今まで住んでいた町とは何キロも離れた、少し都市部に近い郊外の町。
新しい町で、新しい名前で、新しい人生を歩む、そのはずだったのだが……。
「ねぇ知ってる?あの転校生ヤクザの黒川組の組長の妹らしいよ?」
「嘘、怖ーい」
「あいつの恨み買ったら殺されるわ気をつけろよ」
「うわ、絶対近づかない方が良いやつじゃん」
こんな感じで当然に友達が出来ないわ。
ヤクザの組長の妹。
それだけでもまず敬遠対象だと言うのに、私は元々ぼっち体質。
だから同級生どころか、先生方まで私に近寄ろうとしない。
まぁ前の中学でも友達は100人どころか1人たりとも出来なかったけど。
それを後藤さんに話すとこう言った。
「うん、まぁ頑張れ、俺も友達なんて1人も居なかったから」
まぁ後藤さんは強面ですからね、それは仕方ない。
黒川さんに聞くとこう返ってきた。
「良いじゃないですか、ぼっちばんざーい、それにこれで佐凛には私以外触れる事は無い、あぁ、良い」
うん、黒川さん酷いですね、切ない。
私は別に貴方だけの物じゃないんですけど。
まぁ、いい事もあったと言えばあるのか。
新しい学校にも「剣道部」はあり、全国大会に出場する程の強豪だ。
当然私は剣道部に入部した。
今まではバイトとかでまともに練習できなかったからね。
新生活も楽しいと言えば楽しい。
まぁ学校生活はあんな感じだけど、部活も勉強も出来て……。
だがそんな中で私にとって1番嫌な時間がある。
「さぁ、佐凛おいで」
そう、就寝の時間だ。
何故だか私と黒川さんは同室。
今時の兄妹ならば当然らしいが、絶対に違う。
部屋が同じだとしても流石にベッドは違うはずだ。
寝間着に着替えた私を、フカフカのベッドで待つ黒川さんを見るのは一体何回目だろう。
ダブルベッドではあるが、明らかに距離が近いのだ。
彼は嬉しそうに抱きしめてくる。
この変態が。
それに人が寝たのを見計らって頬にキスしたり胸を触ってきたりするの本当にやめて欲しい。
本当に嫌なんだよこれ。紳士の顔を被った変態め。
え、だったら怒ればって?
いや、私怒ったよ、そしたらさ……
「ねぇ死にたくありませんよね?死にたくないなら大人しく私の言いなりになった方が身のためですよ」
と、冷めた目で言われて本当に怖かったんです。
「あぁ〜、もう佐凛は本当に可愛いですねぇ」
「そうですか」
「もうこの世の者とは思えないくらい可愛いですよ〜」
「はぁ……」
こちとら今勉強中なんだから後ろから抱きついてこないで頂きたい。
後頬ずりしないでください、頭撫でないでください。
あぁ、もう邪魔!!!!
「あの、黒川さん一つ聞いていいですか?」
「何ですか?あ、キスして欲しいんですか?佐凛がしてほしいなら良いですよ〜」
「誰もそんなこと言ってません、あの、何で私が抱き枕なんですか?他にも女性は沢山いるでしょうに」
ずっと疑問に思っていた事。
何故私なのか。
目の前には、ヤクザでいるのが勿体ないと思えてくる程の綺麗な顔の男。
少し考えた様子を見せたが、彼は直ぐにこう答えた。
「貴方の心が歪んでいるから」
伍話
何でこうなったかな……
借金を背負って、父親と別れて、ヤクザの妹になって、抱き枕になって、さて、今は何をしているでしょうか。
「黒川佐凛さん、少しお話をお伺いしてもよろしいですか?」
この頃、黒川さんは前よりは過保護では無くなってきた。
だんだん新しい町にも慣れてきて、道も覚えた。
今まで送り迎えは全て車だったが、つい昨日から歩きになったのだ。
『これであの過保護野郎の束縛を一つ解放できた!』
と、夢の中で宴会を開いた程だ。
はぁ……現実逃避に過去を振り返るのはもう辞めよう。
今私の目の前には、後藤さんが「気を付けたほうが良い」と言っていた、警察官が居るのだから。
日本警察は優秀だ。
ヤクザの多くに見張りをつけて、動向を監視している。
勿論戸籍上、黒川さんの妹である私もマークの対象となるのだろう。
だが私は無実だ。
他の人は兎も角、私は何もしていない。
「黒川佐凛さん、少しお話をお伺いしても宜しいですか?」
この若年刑事め。
聞こえないと思って何度も反復してるんじゃ無いよ、こっちは無視してるんだよ。
聞いた話「黒川組」は警視庁の全裸から追われているらしい。
どれだけ悪い事してるんだよ……と言いたかったが、私はもう突っ込む事を辞めた。
まぁ文句も言えない。
何て言ったって、日本最大の極悪ヤクザグループだ。
もう諦めた、黒川さんを更生させるなんて千年掛かっても無理そうだしね。
「すみません、少しで良いのでお話をお伺いしたいのですが」
またもや同じ事を言う刑事。
私は彼を無視して歩き続ける。
だが、刑事は諦める様子も無くしつこい。
「黒川真人さんについて何かご存知ですか?すみません!」
無視しても無意味なようで、刑事はまだ根気強く追ってくる。
この人は一生懸命仕事をしているのだろうけど、私にとってみれば不快以上の何者でも無い。
そもそも私はヤクザじゃ無いわけで、兄が何をしようが私には関係無いし、何も知らない。
かと言ってこのまま家まで着いてこられても面倒なので、今のうちにやれる事はやっておこう。
「任意ですよね?しつこいです、お引き取りください」
「黒川さぁん……」
「よしよし良い子ですね」
私は走って刑事を撒いた。
彼は慌てた顔で追いかけて来たけど、直ぐに見失ってくれた。路地裏の多い街で良かったよ。
お陰様で若干迷子になったが、無事家に帰ってくる事が出来た。
一応報告と言う形でその事を話すと、黒川さんに褒められた。
刑事を撒いて褒められるなんて、嬉しさの欠片も無いのだけど。
それとは関係無く、私が猫撫で声を出したのは決して甘えているだとかそういうわけでは無い。
ちゃんと原因がある。
「さっきネットサーフィンしてたら、猫のツボなる物を見つけたんです」
「そうですか、それで?」
「やってみて良いですか?刑事を撒いたご褒美です」
『いりません』
そう言いたかったのだけど、近くに銃が置いてあったので抵抗出来ずベッドに押し倒される。
「猫のツボ」って、私これでも人間なんですけど。
いや、抱き枕からペットにグレードアップしたと考えれば良いのか?
「此処ですかねぇ?」
馬乗りにされると、どうにも身動きが取れない。
無闇に逃げようとしても、嫌がる顔を見てドSな黒川さんは喜ぶだけだしな。
こうなったら、もう身構えて待つしかない。
ニコニコしながら、所謂ツボを押してくる黒川さん。
何か気持ち良いと言うか……そういう類ももなのでは無いが、全身の力が抜け、体が軽くなった様な感覚に襲われる。
普通にツボマッサージじゃないかこれ?
「勿論、佐凛はなにも言っていませんよね?」
「そりゃまぁ、しつこかったので怒鳴りましたがそれ以外は何も」
黒川さんがツボを押して1人で楽しんでいる間に、私はあの刑事の名前と特徴を教えた。
しかし、彼は首を傾げる。
「聞いた事の無い名前だ、うーん……新しい人かもしれないですね、ですが1人で佐凛に話しかけるなんて随分と肝の据わった男の様だ」
「いや、私は黒川さんとは違って不用意に人を傷つけたりしませんよ?」
「いえいえ、傷つけるのは佐凛ではなく……」
「俺だよ」
耳元で突然囁かれた声に、思わず鳥肌が立った。
何でベッド脇に居るんですか。
「殺ろうかと思ったが、途中で思い止まった、まだほんの中学生に血飛沫を見せる必要はねぇからな」
うわ……私子供でよかった。
零話 ー黒川直人視点ー
これは、佐凛が俺の元に来る1ヶ月位前の話になる。
俺はその頃、何故だかは知らないが、四六時中いらついていた。
病気という訳では無い様だが、仕事に集中出来ず、煙草や酒を飲んでも落ち着かない。
日頃のストレスが溜まっているのだろう。
後藤にはそう言われた。
組を継いで早3年。
心や体を労った記憶は一切無い。