王道の練習です。
2:空隙丸 hoge:2021/11/05(金) 15:54 ジェノサイド☆ハロウィン
朝である。私はいつもの学校への道を黙々と辿る。いつもは無心で使っていたこの道に、今日、初めてこの道の持つ静寂さ、平穏さに気づいた。
いや、この道というより日常に関連する事情すべてかもしれない。学校とか、バイトとか、塾とか。
昨日の出来事に比べれば、何もかも日常の二文字に収まってしまう気がする。
それにしても、どうやら、この道の平穏さがトリガーとなって、私の脳裏に昨日の怪奇な出来事を想起させていたらしい。
私は嫌々振り返ってみる。
昨日はハロウィンだった。毎年恒例、百鬼夜行みたいに渋谷のあの交差点には、仮装集団が現れる。
私は、友達の誘いを受け、渋谷に集う仮装集団の一員になったのだ。
とはいっても、私はカラフルより、モノクロを好む。目立つより、目立たぬを好む。だから友達からの誘いは、誘いというよりお願いに近かったのかもしれない。
私はお願いに弱いのだ。
「コタツちゃん。オレと一緒にハロウィンに行かないか?」
「ごめんね。その日は、塾があるの」
「…確か、塾の日程は事前に伝えれば変えられたよね?できれば、どうしても、オレと一緒にハロウィンに参加して欲しいんだ。実は、君のためにもう仮装も用意してある」
こんな感じで、いつも何かと親切にしてくれる友達の田中くんは、放課後ハロウィンのお誘いをしてくれた。
「ごめんなさい…」
「…そっか。そうだよな。オレなんかと…」
最初、私は断った。田中くんは肩を落として、とぼとぼ去っていく。
しかし、ものの数秒、私の口は突然動き出す。
「ごめんなさい!せっかく用意してくれた仮装があるのに断ろうとして。…行く! 行くから、そんなに落ち込まないで」
田中くんは、アメリカ人みたいに喜んだ。
「あは、田中くんは大げさだよ…」
冒頭通り、私はお願いに弱いのだ。私のような人間に断られた相手が、ひどく気の毒に見えて仕方がないのだ。多分、私は病気なんだと思う。
「午後、八時にコタツちゃんの家に迎えに行ってもいい…かな?あぁ。それはきもいか。そしたら、駅で待ち合わせはどうかな…?」
「う〜ん、できれば現地がいいな。現地のドーナツホールっていうお店前で待ち合わせとか、どう?」
「わかった!じゃあ、あとで連絡するよ」
田中くんと私は約束した。こうして私の受け持つ約束の件数は15件。クラスの友達のほとんどと約束している。
最悪のハロウィン。お願いを断れない私は、15件の約束を果たさなくてはならなかった。
その時の私はどんな顔をしていたのだろうか。自分の愚か加減に、呆れて笑っていたのか。
それとも、果たせるはずもない約束に、ひぃひぃと嘆いて顰め面になっていたのか。
あるいは、後々の裁きを恐れて、絶望の無表情だったか。
私に知る由もなかった。
私は15件もの約束をどうやって果たすか考えながら、夕暮れの下校道を歩く。
しかし、たかだか高校一年生の頭では、15件の約束を成功させる最適解が思いつくはずもない。
どころか、一体どうして私は、こんなにもお願いを断ることができないんだろうと、曇天雲の下で、問いが浮かぶばかりである。
「ああ…もう」
雨が降ってきた。制服を濡らすまいと鞄を頭上に乗せながら、急いで走る。
工場を過ぎ、商店街を過ぎ、コンビニを過ぎ、住宅街を過ぎ、人里離れた林の中へ。
見えてきた鳥居。私は神社に住んでいる。神社が我が家なのである。
家の中へ飛び込み次第、ローファー脱ぎ捨て、濡れた制服は洗濯機の口の中へポイ。やっと念願の自室へたどり着く。
そこでちょうど田中くんが郵送してくれたという衣装に着替えて、
「よし」
鏡の前で、上から下まで自分の姿を俯瞰すると、なんだか急に恥ずかしくなってきた。
「全然よしじゃない!」
端的に、ぴちぴちだった。その衣装は「綾波レイ」だとか「プラグスーツ」だとか説明付けられたもので、全然サイズが合っていない。
「田中くん、きつ過ぎだよ…」
私はその衣装の上に、なるべくジャージを着ることにした。
さて、問題はここからである。15人との、果たさなくてはならない約束事がある。
実は、こうした問題には前例があるのだ。去年のクリスマスにも、3人と約束事をして、困った事がある。
しかしその時は、映画館に1人、カフェに1人、水族館に1人に分配して、お手洗いや偽の着信を理由に、それぞれの人の元に順番に移動して、ぎこちない形ではあれど、約束事を果たした。
今回はその倍の倍どころではない15人。もはや、謝る決意を下した方が賢明に思われる。
仕方ない。自分は1人しかいないのだ。謝るしかない。そういうわけでさっそく、自室を出た。
ちなみに、神社といっても、社の建物内部の後ろには、ごく普通の一軒家な内装になっている。だから、リビングも、キッチンも、おトイレも、お風呂も、父母の部屋も、4人姉妹分の部屋もある。
私が向かったのは、姉妹の部屋である。まずは長女の部屋にノックして、扉を開けた。
「あ!」
「…いうえお…」
なぜか裸の姉と目が合った。そして、姉はなぜか黒いマスクを付けて、なぜかパソコンと相対している。
ふと画面に目が移ると、姉は思い出したようにパソコンを勢い閉じたが、僅かに画面の内容が見えた。
そこにあったのは『もっとxxxx見せて』 とか 『もっとxxxxして』 といったコメント。なんだか破廉恥という感情よりも先にきたのが、安堵だ。
なにせ姉は、ボーイッシュで、凛々しく、刺々しく、もはや男だと友達や生徒達はよく言うのだ。自分も同感だ。
しかし、たった今、その反証例として姉は、女の武器を用いて、配信をしていた。
きっと悪いことなのは間違いないが、それでも、女として自覚していた姉に僅かな安堵を覚える。
…それにしてもこの気まずい状況。慰めとして何を言うべきなのだろうか。
「だ、大丈夫だよ、ヒナタお姉ちゃん。あの、うん。私の知り合いにも…」
「んなことより!ノックしろやぁぁぁ!」
「ごめんなさいーー!」
「ノックしながら、ドア開けるとか、もはやノックじゃねー!」
火山噴火のように怒りをぶちまける姉は、せかせかだぼついたシャツに手を通して、
「……んで、何用?」
未だ苛立ちの立ちこもる低い声で尋ねられた。姉の怒鳴りは珍しい事ではない。ただ、今回ばかりは、動揺しているように見える。
こういった場合、どうすれば良いか自分には最適解が分からない以上、数秒前は何もなかった体で、振る舞う事にした。
「あの、セキお姉ちゃん」
「なんだよ」
「頼み事があるの!」