先生、俺と恋をしませんか?

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1:(∵`):2022/08/15(月) 00:24



読んだ人をときめかせて、幸せな気持ちにする、そんな最高の少女漫画を描く。
それが私の夢――。

「ぎゃぁぁぁ! 遅刻するぅぅぅぅ!」

締切直後の徹夜明け、少し仮眠をとっていたら遅刻寸前だった。
ペン入れしたから手はインクだらけだし髪もボサボサだけどそんなこと気にしてる場合じゃない!

「次遅刻したら廊下掃除させられちゃうぅぅ!」

やたら厳しい担任の顔を思い浮かべると、恐怖からか自然と足も早くなる。


詩河葉凜(うたがわ はりん)、高校1年生。
2年前に少女漫画雑誌"ミックスベリー"でとしてデビューを果たし、現在は連載を掴み取った少女漫画家だ。

漫画家と学校生活の両立は忙しく、これまでも遅刻ギリギリだったり早退したりが多いから学校からは目をつけられている。
知り合いに読まれるのが恥ずかしいから、先生にも友達にも内緒にしてるんだけどね。


そんなこんなでギリギリ滑り込みセーフで教室に入ると、私の机の周りが女子に囲まれザワついていた。
ということは……。

「湯崎熾央(ゆざき しおう)……登校日か」

私の隣の席の男子は高校生ながら今をときめく人気モデルで、最近はCMやドラマになんかもちょくちょく出演している。
爽やかなスマイルが売りの王子系男子。
出席日数死守の為に週に何回か登校するので、その時は女子が騒ぐから分かりやすい。

「熾央くーん!」
「CM見たよ! すごくかっこよかった〜」

もう入学してから一ヶ月は経つけど、よくもまぁ飽きずに騒げるもんだ。
とかいう私も湯崎君の出てるCMはついつい見ちゃったりする。

「ありがとう。撮影頑張ったから、そう言ってくれて嬉しいよ」

湯崎君は柔らかい笑みで模範解答を述べた。
すごい破壊力を持つスマイルだ、今度少女漫画の参考にしよう……。

「あの……座ってもいい?」

ご覧の通り隣がこんな有名人なので、私の席もあってないようなものだ。
徹夜明けでボサボサの私と正反対の、きっちり髪をカールさせた女子に席を陣取られていた。

「あーごめんごめん」

その子はシラケたような声色でそう言うと、椅子を蹴るようにして立ち去って行った。

ちくしょー、私だって一応ちょーーっと有名な少女漫画家で――!

ダメだ、まだ2作品しか連載を持っていないデビュー上がりの私と、全国放送で名が知れ渡っている湯崎君とじゃ全然立場が違う。
私だってちやほやされたくて漫画家になったわけじゃないけど、すぐ隣に同い年で桁違いの有名人がいるとやっぱ嫉妬して落ち込んじゃうな……。

2:(∵`):2022/08/15(月) 19:58

――放課後。

今やデジタル原稿やリモートで打ち合わせができるけど、私は地方民でもないので月に数回、学校帰りに出版社へ寄って直接担当さんと打ち合わせをしている。

「広川先生、遅くなってすみません」
「あ、大丈夫です!」

柳下幸也(やなぎした ゆきなり)さん。
私がペンネーム、広川歌(ひろかわ うた)としてデビューした時から担当してくれている編集者さんで、今も二人三脚で頑張っている。

「今日は重要な報告があって」

柳下さんは真剣な顔をして話を切り出した。

「重要な、報告……」

まさか……打ち切り!?

今や道具がなくてもパソコンなんかで手軽に漫画が描けて量産できる激戦時代。
せっかく掴み取った連載も、アンケート結果が悪かったりすれば容赦なく打ち切り。
最近では徐々に上がってきてはいたけど……。

「あ、打ち切りじゃないから安心してください。怖がらせちゃいました?」
「そ、そりゃ改まって真剣な顔されたら勘違いしますよ……」
「いやぁ、すみません」

青ざめたような顔をした私で察したのか、柳下さんは苦笑いした。

「というのも、『ビター&ヒロイン』のドラマ化の話が出まして」
「……ドラマ化!? ビタヒロが?! ええぇぇぇ!?」
「はい。今日はその許可を頂きたくて」

ビター&ヒロイン。
私の初連載で、つい先週最終回を迎えた恋愛漫画だ。
俺様系先生の支配と、それに抗うヒロインという王道中の王道作品。

「この尺ならちょうど12話に収まりそうですし、原作は最終回終わってるんでストックもありますしね。どうです?」
「許可も何も、めちゃくちゃ嬉しいんですけど……」

むしろ是非是非お願いしますという感じだ。

「それでキャスティングの方なんですが、ヒロインの夏菜はオーディションで、拓斗は事務所が推しているモデルを起用したい、とのことでして。希望はありますか?」
「よほどイメージから乖離していなければ大丈夫です!」

ぽっと出の私の作品に有名所の女優俳優さんが呼べると思ってないし、私の作品を機に人気が出たらこちらとしても鼻が高い……なんて。
というか主題歌とかもつくよね……うわぁぁうわぁどうしよう、嬉しすぎる!

3:(∵`):2022/08/17(水) 20:47



打ち合わせ終了後、フワフワした足取りで出口へ向かう。
これから詳細が決まったらちょくちょく打ち合わせが忙しくなるらしいし、早く帰って原稿を進めなきゃ。

――と思っていると。

「少女漫画原作かよ。内容薄っぺらそー」
「まぁまぁ、少女漫画原作の恋愛ドラマは俳優の登竜門だし……」

休憩室近くの自販機の前から不機嫌そうな声と、それを宥めるマネージャーらしき男性の声がした。
少女漫画をバカにする男の気配!
こっそり覗くと、そこにいたのは――。

「湯崎熾央……!」

長椅子に足を放り出してブスッとしているのは、紛れもなく爽やか王子代表の湯崎君だ。
そういえば私の少女漫画誌と湯崎君の掲載雑誌は同じ出版社だから、鉢合わせる可能性は充分あったんだ……。

「なんで俺が女の都合のいい妄想ドラマをやんなくちゃなんねーんだよ。断れねぇの?」
「でもメインキャストなので知名度は上がりますよ! 今まで脇役ばかりでしたし……」
「はー? だったらずっと脇役のがマシ。俺俳優になりたいわけじゃねーし」

学校での態度とは打って変わって、裏ではこんな性格だったのか湯崎熾央!
イメージ商売だから仕方ないとはいえ、少女漫画をバカにするのは許せない!
人には好き嫌いあって当然だけど、なにもそうやって貶すことないじゃん!

「おい、お前!」

気がつけば私は、穴を開けた紙袋を被って物陰から飛び出していた。

「うわっ、なんだこの紙袋女!?」
「……え、誰ですか!?」

2人とも瞳孔を開き、肩を震わせている。

「しょっ、少女漫画を馬鹿にするな! 全国の乙女達に夢と希望を与えてきた少女漫画を!」

勢いでスクールバッグから普段持ち歩いているビター&ヒロインの1巻を取り出すと、湯崎君に投げつける。

「は? なんだこれ!? ビター&ヒロイン……?!」
「それでも読んで頭冷やせ!」

頭が冷えたのは、私の方だった。
衝動に駆られて飛び出しちゃったけど、かんっぜんに不審者だこれ……。
ていうか恥ずかしすぎる、顔が熱い。

「そういうことだからっ!」

私はそう言い捨てると、逃げるようにしてその場を立ち去った。


「あの制服は……」

とにかく逃げることに必死だった私に、湯崎君の呟きなど耳にも入っていなかった。

4:(∵`):2022/08/18(木) 20:27


「はぁ……色々やらかしちゃった……」

結局あの後逃げ帰り、恥ずかしさと後悔だけを残して翌日になってしまった。

「ちょっと広川先生、暗い顔しないでくださいよ」
「すみません……って顔見えないのに分かるんですか?!」
「そりゃあため息ついてましたから」
「はは……ちょっと緊張しちゃって……」

担当の柳下さんは呆れたように笑った。

今日は広川歌はじめてのサイン会だ。

今まで応募者プレゼントやらキャンペーンやらでサインは書いてきたけど、直接ファンの人と会ってサイン会をするのは初。
クラスメイトに読者はいないと思うけど、一応念の為に紙袋を顔に被って素顔は隠している。

「皆さん先生のファンですから、感謝の気持ちを伝えないと」
「が、頑張ります……」

最初サイン会を開催しましょうと言われた時は1人も来なかったらどうしよう……と悩んでいたけど、蓋を開けてみれば結構な人が待機列に並んでいた。
メイン層である10代くらいの女の子達や、私より年上のお姉さま方、そして意外なことに男性もちらほら。
こんなにも沢山の人が私の漫画を好きでいてくれるなんて、嬉しすぎる……。

「あの、ビター&ヒロインの拓斗くんが凄く好きで……! 」
「ライバルの紫苑ちゃん可愛いです!」
「ビタヒロの続編って無いんですか?」

キラキラと目を輝かせるファンに泣きそうになりながら、色紙や単行本にサインをしていく。
SNSでもコメントを貰うことが多いけど、やっぱり直接顔を見て(私は紙袋を被って顔隠してるけど)言われるともっと嬉しい。
ほんと、この漫画家になってよかった……。

5:(∵`):2022/08/19(金) 00:41


「……あの」

低い男性の声に、珍しいなぁと思って顔を上げると――。

「ゆっ……!?」
「しーーっ! 静かにしろ!」

深くかぶったキャップと眼鏡でパッと見分からないけど、よく見たら湯崎熾央だった。
もうバレてる私に隠す必要が無くなったからか、口調は粗めだ。

「やっぱり……この前の紙袋女が広川歌か」
「こっ、この間の復讐? わざわざサイン会に来てまで……」
「違う」

てっきり私に文句を言いに来たのかと思ったけど、湯崎君の口から出た言葉は意外なものだった。

「サインを、貰いに来た」
「……は?」
「は? じゃねぇよ、サイン会なんだからサイン貰う以外何があるんだよ」

湯崎君は顔を真っ赤にしながら、私が投げつけたであろうビター&ヒロインの単行本を差し出す。
あまりにも予想外の展開に、私はペンを握ったまま固まる。

「でもっ、あんなに馬鹿にして……」
「貰った少女漫画……普通に面白かった。世界観も伏線も上手く作られてて物語として完成度が高かったし、嫉妬に苦しむ主人公にも共感した。女子がハマるのも頷ける。読みもせずに馬鹿にして悪かった」

湯崎君は小声だがはっきりそう言うと、軽く頭を下げた。
伏線にまで気づくとは、2巻以降も買って相当読み込んでくれている。

「……少女漫画が、女の子の妄想だけじゃないってこと伝わったんなら良かった」

確かに少女漫画は、女の子の理想が詰まっているから都合の良い話や強引な展開になりがちだ。
それでも、恋に悩んだり喜んだり、キュンとする気持ちを共有できるのが少女漫画。

私は差し出された単行本の空白ページにサインを描いて、湯崎君に手渡した。

「……ありがとう。あんなこと言ったから拒否られるかと思ったわ」
「ファンを拒否するなんてしないよ、広川歌は」

湯崎君は安堵したような笑みを浮かべ、会場を後にした。

6:(∵`):2022/08/19(金) 18:25


サイン会終了後に控え室に戻ると、柳下さんが出迎えてくれた。

「お疲れ様〜! いやー成功してよかったよ」
「はい。最初は緊張してたんですけど、生の声聞いてたら嬉しさがこみ上げてきて……」

あんまり泣くと紙袋が濡れるから、なんとか涙をこらえている。
サイン会も終わったことだし、そろそろ紙袋を脱ごうかなと思っていた時だった。

「それではこここで、キャスト発表をしたいと思いまーす!」
「へ?」

柳下さんは待ってましたと言わんばかりにテンションを上げて叫ぶ。

「お二人とも入ってきてください!」
「失礼します」

柳下さんの声に続き、ドアが開く。
すると、ふわふわウェーブの女の子と、キャップを被った湯崎熾央が入室してきた。

「主人公の夏菜役の愛浜心奈(あいはま ここな)ちゃんと、拓斗役の湯崎熾央君でーす!」
「え……えええぇぇぇぇぇえ!?」

なんか少女漫画の原作のドラマに出るとは聞いていたけど、まさか、まさか――!

「よろしくお願いしますね、広川先生」

湯崎君の笑みには、底知れぬ闇を孕んでいるような気がした。

7:(∵`):2022/08/20(土) 00:34



「湯崎君、ドラマの主役決まったの?!」
「おめでとう〜!」

翌日、珍しく学校に来た湯崎君はいつもよ、り倍以上のギャラリーに囲まれていた。
早速もう情報が解禁されている。

――昨日。

湯崎君が拓斗役として紹介された際、私はかなり焦っていた。
というのも、今後会う回数が増えれば正体がバレかねないと思ったからだ。
湯崎君はクラスメイトだし同じ席だし、距離が近いので何度も会えば勘づかれるかもしれない。

「で、でもっ、王子様系の湯崎君じゃ俺様系の拓斗とイメージ離れてません?」
「俳優は役と素のギャップを狙ってこそですよ」
「あ、あと教師に見えますかね?? 湯崎君高校生じゃないですか」
「拓斗は新任の教師って設定ですし、むしろ学生の方が初々しさが出ると思います。先生はキャスティングに納得できない点が……?」

柳下さんは眉根を下げて困ったような顔をしている。
私の都合でキャストを変えてくださいなんてダメだできない!

「とっ、とんでもないです! ただ湯崎君くらいの有名人を呼んで視聴率が取れなかったらと思うと……」

ちらりと紙袋越しに湯崎君の方を見て様子を伺うと、湯崎君は視線に気がついたのかニッコリと微笑み返した。

「先生の作品なら大丈夫ですよ。俺も拓斗役頑張りますから。自信もって下さい」

王子様スマイルに抗うことも出来ず、結局キャストは決まり、今に至る。
というか、情報解禁早過ぎない??

8:(∵`):2022/08/20(土) 19:15


「そういえば皆に聞きたいんだけど……この学校に漫画家っている?」

湯崎君の直球すぎる質問に、私は思わず手にしていた教科書をバサバサと落としてしまった。

「えー? なにそれ、聞いたことなーい」
「漫画家?」
「そっか。聞いたことがないならいいんだ」

しまった、あの時そういえば顔は隠してたけど制服のまま飛び出しちゃってたんだ!
うわーーー私のバカーー!!

「詩川さんも、知らないかな?」

湯崎君はよりにもよって隣の席の私へと話を振る。

「知りませんねぇー……」

声でバレないように、小声にして適当に返事をした。

9:(∵`):2022/08/20(土) 19:46



放課後になると、私は逃げるように美術室へ向かった。

「ふぅ……ここなら来ないよね……」

やっぱり美術室の画材の匂いは落ち着く。
人数も多すぎず、みんな自分の作品に黙々と取り組んでいるからうるさくないし。

私は一応、美術部に所属している。
と言っても、美術部は年に数回コンクールやコンテストに出展する作品を提出すればノルマは達成されるので、あまり苦にはならない。
元々絵を描くのは得意だし、漫画に必要なデッサンの基礎も練習できるし、なにより部室に置いてある画材が使い放題なので割と気に入っている。
コピックって1本200円くらいするし、案外高い。

「よし、今日は油絵の続きを……」

パレットと絵の具を取り出し、キャンバスに筆を走らせた時だった。

「失礼しまーす」

静まり返っていた美術室に、一際大きな声が割り込んだ。

「湯崎君!」
「えっ、うそっ、なんでっ!?」

嘘でしょー!?
なんで湯崎君が美術室に!?

それは周りの先輩達も同じようで、唖然としたり筆を落としたりとそれはもう地獄絵図のような慌てっぷりだ。

「湯崎君、どうしたの〜?」
「少し、見学させて頂きたくて」
「全然いいよー!」
「湯崎君演劇部だよね? かけ持ちするの!?」
「うち部員少ないから入って欲し〜」

普段マンガとアニメにしか興味無いとぼさいていた先輩達も、湯崎君を前にするとただの大ファンになっちゃうんだな……。

「まだ入るか決めてないんですけどね。皆さんの作品、見たいなぁ〜」
「きゃーっ! もう、好きなだけ見てって!」

先輩たちはキャンバスやら画用紙やら彫刻を持ってくると、湯崎君の前へ持ってくる。
湯崎君、一体どういうつもりだ……。

私はできる限り目立たず近寄らず、作業だけをもくもくと続けながら、聞き耳を立てた。

「皆さんの作品綺麗ですね。油絵や彫刻も良いですが、シンプルなデッサンの絵とかありませんか?」
「それなら壁に貼ってあるわ」

部長が指さしたのは、部員が課題で描いた果物や人物画のデッサンだ。
まさか――絵柄から広川歌を特定するつもり?!
いやでもっ、漫画用の絵と美術部の絵で描き分けているしバレないはず……。

「この人物画描いたの……詩川さん?」
「はっ、はい!」

突然名前を呼ばれ、声が裏返える。

「えっと、私の絵がどうかしましたか……?」

嘘でしょ、あの中からビタヒロの絵柄と似てるものを探し出せたの!?
とりあえず何も知らないフリをしよう……。

「上手いなぁと思って」

彼は気がついているのかいないのか、相変わらず柔らかい微笑みを浮かべて本心を悟らせないようにしている。

「……ありがとう」

うわぁうわぁ、凄く嬉しい、嬉しいんだけど!
どういうつもりなの、これって私の正体疑われてる!?

――とぐるぐる考えていると。

「湯崎君、そんな子放っておいてこっち来てよ」
「私の作品も見る〜?」
「……すみません、そろそろ行かないと」

先輩達の誘いを残念そうに断り、湯崎君は一礼して美術室を後にした。

10:(∵`):2022/08/20(土) 23:30

熾央side


ビター&ヒロイン。
俺が人生で初めてメインを務めるドラマ。
原作は寮制の私立学園を舞台にした俺様教師と女子生徒の恋を描いた少女漫画で、俺はその教師役として出演することになった。

前までの俺なら、少女漫画なんて女の妄想だと一蹴してドラマの話を受けなかっただろう。
姉の持っている少女漫画を読まされたけど、何もしてない主人公がなぜかモテて、なぜか御曹司とくっついて……と都合のいい展開ばかり。

けれど突如現れた紙袋女が投げつけた原作漫画を読んで、考えを改めることになった。


「やべぇ……普通に面白い……」

主人公夏菜の逆境へ立ち向かう強さや教師拓斗の葛藤なども細かく描写されており、1話で引っ張った伏線も最終話では回収されている。
ライバルの女もいじめや嫌がらせなど等の姑息な手段を使う嫌な感じはなく、純粋に想いと想いのぶつかり合いでの勝負。
1巻を読み終え、続きはどうなるのかと本屋へ駆け込んで気がつけば全巻一気に購入していた。

「広川歌……」

表紙に印字された原作者名。
インターネットで検索をすると、すぐにSNSやプロフィールが表示された。
年齢性別共に不詳、2年前にデビューした新人。

その後、ちょうど開催されるサイン会に出版社のコネを借りて参加し、紙袋女=広川歌ということが確定した。
初めて会った時に俺の学校と同じ制服を着ていたことから、俺の学校の中の誰かが広川歌ということになる。

俺は無性に、その紙袋の下の素顔が見たくなった。

さりげなく情報収集をしたり、噂を聞いてみるがガードが固いのかそれらしい人物は見当たらない。

しかし、何となく目処はつく。
この学校では部活動強制参加のため、どこかしらの部活に入っているはずだ。
漫画家なら拘束時間が長い運動部や吹奏楽部は考えにくい。
一番可能性がありそうなのは――美術部。

俺は美術室へ行き、それらしい人物が居ないか見てみることにした。

「湯崎君〜! 遠慮なく見学していってね!」
「ありがとうございます」

美術室のデッサンを見て回るが、素人なのでどれが広川歌の絵なのか全く分からない。
ふと端の方に目を向けると、女性の横顔のデッサンが目に入った。
なんとなく、漫画の中のヒロイン、夏菜を思わせるような面影がある。

「この人物画描いたの……詩川さん?」
「はっ……はい!」

詩川は名前を呼ばれると、肩を跳ねさせて返事をした。
同じクラスどころか同じ席だが、話したのは数回しかない。
いつも物陰でコソコソしていて、どこか地味な女。

「えっと、私の絵がどうかしましたか……?」
「上手いなぁと思って」
「……ありがとう」

にこりと微笑んでみるが、彼女の反応は薄い。
詩川は会釈だけすると、再びキャンバスに筆を走らせた。
興味本位で覗いた彼女のキャンバスには、蓮の浮いた池のほとりに佇む男女の姿がある。
広川歌の件を抜きにしても、美しい絵だと思った。

「湯崎君、そんな子放っておいてこっち来てよ」
「私の作品も見る〜?」
「……すみません、そろそろ行かないと」

鬱陶しく媚びた声が邪魔をし始めたので、残念そうな顔を作って一礼した。

11:(∵`):2022/08/22(月) 00:31



葉凛side

「はー……一時はどうなるかと思った」

部活を早めに切り上げ、帰宅する。
思いがけず湯崎君と近距離接近してしまって焦ったが、向こうもまだ確定材料がない限りは疑惑のままにしておくはずだ。

「あーもう、早く原稿の続きやんなきゃ〜」

先日原稿をあげたばかりだけど、もう次の話に取りかからないと間に合わない。
私は普通の漫画家さんとは違い、学校と両立している上にアシスタントもいないのだ。


それに――。

「お母さん、今日も遅いんだ……」

冷蔵庫のメモ書きに、ため息をつく。

父を亡くして早5年。
お母さんが遅くまで仕事をしているので、家事をする時間も必要になる。
うちは経済的余裕もないし、お母さんも無理してたくさん仕事しようとしてしまうのだ。

正直、学校に家事に漫画としんどい。
けれどお母さんの負担も考えると、掃除や洗濯、料理くらいは私がやらないと。

「メール……?」

スマホの振動を感じてポケットから取り出すと、学校からの連絡メールが来ていた。

「来週に修学旅行費用4万円の用意をお願いします……来週!?」

4万円……それに交通費も入れたらかなりかかる!
どうしよう、原稿料が入ってくるまでまだ時間が……。
それに学費支払ったばっかりだし制服代に教科書代、その他もろもろで私の印税結構使っちゃってる……!

「うわぁぁぁ! お母さんに修学旅行代出して欲しいなんて言えないよ〜っ」

お母さんのことだから修学旅行代が欲しいと言えば快く出してくれる。
けれど私に言わずに仕事を無理しそうな気もして、なかなか言い出せない。
修学旅行といえば高校生活の中でもビッグイベントだし、なにより漫画で修学旅行を描くなら絶対に体験しておきたい……というのが本音。

「もしもし、柳下さん……あの……」

私はダメ元で事情を説明し、原稿料の前払いができないか交渉をした。
やっぱり難しいと言われてしまったけど、代わりにとある提案をされた。

『実はうちの雑誌のイベントがあるんですけど、そのスタッフの人手が急遽足りなくなったみたいで……土日の2日間出てくれたら4万は稼げると思いますよ。手渡しなんで直ぐに貰えるかと』
「ほ、本当ですか!? やらせてください!」
『でも先生、原稿の方大丈夫ですか? 学校とかテストもありますし……』
「2日間くらいなら大丈夫です!」

本当なら土日は貴重な休みで原稿に集中したいけど、もうこれは仕方ない、3徹は覚悟の上だ。
心配する柳下さんを押し切り、私は短期アルバイトの参加を決めたのだった。

12:(∵`):2022/08/23(火) 23:43



――イベント当日。

「うわ……すごい人〜」

イベントの詳細を決めないまま参加を決めたため、まさかこんなに人が集まるイベントとは知らなかった。
どうやら人気ファッション誌のイベントで、トークショーや撮影見学などが行われるらしい。

「あ、そこのあなた」

スーツ姿の女性は私が首から下げているスタッフカードを見ると、ダンボール箱を渡した。

「これをC控え室に運んでくれる?」
「はい、分かりました!」

箱を受け取って控え室に向かうと、思いがけない人物に出くわしてしまった。

「……詩川さん?」
「湯崎君!?」

あーもう、私のバカバカ!
ファッション誌のイベントってことは湯崎君がいるかもしれないってことくらい冷静に考えれば分かってたのに!
修学旅行行きたすぎてそこまで考えが及ばなかったよ……。

「偶然だね。イベントスタッフのバイト?」
「あーうん、もうすぐ修学旅行だし」

湯崎君は衣装替えやヘアメイクも済ませて椅子に座り、漫画を読んでいた。
机にはビター&ヒロインが3冊積み上がっている。
これ以上湯崎君と話すのはバレるリスクが高くなるとは分かっている、分かっているんだけど。

「その漫画……面白い?」
「え?」
「だ、男子が少女漫画読んでるの珍しいなーと思って……あはは」

湯崎君は少し驚いた顔をしたけど、すぐに微笑みを浮かべた。

「姉さんがいるから、家に少女漫画がたくさんあるんだよね。僕はあまりハマらなかったけど……これは好きだな」

――好きだな。

漫画のことだって分かっているけど、湯崎君の口から好きという言葉が出ると、過剰に反応してしまう。
コイツの本性は口悪い腹黒男だって分かってるのにー!

「そうなんだ〜。私も読んでみようかな」
「貸してあげようか? あ、今持ったら荷物になっちゃうね。今度学校で会ったら貸すよ」
「あ、ありがとう……」

貸してあげるも何も私の家に全巻どころか元の原稿データあるんですけどね……。

13:(∵`):2022/09/05(月) 19:07


私は控え室から逃げるようにして抜け出し、ステージの裏方の方へと回る。

「そこ設置お願いね。終わったら向こうの誘導やってくれる?」
「は、はい!」

と、まぁイベントは大盛況なので私も忙しい。
イベントブースの設置や片付け、列の誘導と目が回るような忙しさだ。

「続いてはー、今人気沸騰中の大人気モデル、湯崎熾央君ー!」
「待ってましたー!」
「熾央くーーーん!」

ステージの方からのアナウンスと黄色い歓声に、思わず視線が行く。
舞台の上には、服も髪型もバッチリ決めてファンに手を振る湯崎君がいる。
マイクを受け取った湯崎君は、綺麗なお辞儀をして話し始めた。

「本日は"月刊ティアラ"のイベントにご参加頂きありがとうございます。僕も今日が楽しみすぎて眠れなくてちょっと眠いんですけど……皆さんも楽しんでいってください」
「熾央君ー!」
「かわいいー!」

微笑みだけで観客席を湧き上がらせる湯崎君は流石としか言いようがない。
ボサボサ頭で地味な私と同じ高校生とは思えないくらいキラキラしている。
まるで少女漫画のヒーローみたいだ。
あんな人と手を繋いだり遊園地に行ったりできたら、きっと楽しいだろうな……。

「……って、何考えてんの馬鹿!」

表向きは王子様で実は俺様腹黒系イケメンが許されるのは少女漫画の中だけ!
リアルで付き合うのにあんなのありえないから!
そもそも私じゃ分不相応だしそんなこと考えるのもおこがましいよ!

と自分に言い聞かせ、うっかりときめかないように自制した。
でもステージを見上げると……。

「それじゃー最初は一問一答、熾央君! 僕に質問があったらどんどん手上げてねー!」

全てを魅了するような笑顔の湯崎君。
ファンに対して明るくいたいという想いはたぶん嘘じゃないんだろうな。


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