【あらすじ】
︎︎今や国民的アイドルグループである“Devils”を生み出した中型事務所、ラピスプロモーションが五年ぶりに新人ガールズグループをデビューさせる。
︎︎そのグループの名前は“Story”。デビュー当時からクールなコンセプトを貫くDevilsと差をつけるために、おとぎ話のような可愛らしい世界観をテーマとしたグループである。
︎︎これは、そんなStoryがアイドルならでは苦難を経験し、成長していく物語。
1.デマ事件
︎︎使用中の紙が貼られた練習室の扉。しかし中からはステップの音が聞こえるわけでもなく、曲がかかっているわけでもなく、不思議なくらいにしんとしている。
︎︎この時Storyはちょっとしたトラブルに見舞われていた。
「まだ全員揃わないの?」
︎︎沈黙の中、苛立ちの含んだ声を上げるのは工藤竜奈(くどう りゅな)。ぱっちりとしたつり目を更につり上がらせて、あぐらをかいた足をもどかしそうに震わせている。
︎︎Storyのメンバーは六人だが、この場にいるのは五人。竜奈の言う通り、メンバーが全員揃っていないのだからレッスンを始めることは出来ない上、実はこの日が初めて全員揃って振り付けを合わせる時だった。
︎︎ここで遅れてくるのが付き合いの長い友人とかならであれば多少は許せるが、未だ姿を見せていない立花菫(たちばな すみれ)はラピスプロモーションで練習してきた期間がわずか三ヶ月であり、二年、三年、ある一人に至っては六年、と長く練習してきた他のメンバー達にとっては、顔も知らない存在。
「……あの子、正直厄介そうだよね」
︎︎ 猫のような目を伏せて、若宮ジン(わかみや じん)がため息混じりに呟く。彼女がすみれのことを厄介そうと言うのは今回の遅刻の件についてもそうだが、それとはまた別に悪い噂も流れていた。
「ね。いじめ疑惑はちょっと勘弁してほしいよね」
︎︎ジンに賛同の声を上げた竜奈は、苦虫を噛み潰したような表情をしていてこの件を心底面倒に思っているようだった。
︎︎世間では、数日前に拡散力のとても高いSNSサイトである「ココロノコエ」にて投稿された菫に関する情報が話題だ。本文は以下の通り。
「ラピスプロモーションの新人ガールズグループでデビューすることが決まっている立花菫は性格が悪い。小学生、中学生の時に陰湿な仲間外れや物隠しを繰り返していて、小中と同級生だった私も被害に遭った。ターゲットはランダムだった。このままあの人がデビューしてしまったら、曲を聞く度に当時のトラウマを思い出して苦しくなりそう」
︎︎デビューメンバーの顔と名前が公開されていない状況に加え、よくある卒アルの提示などもなく、具体的な証拠が不十分だった。信ぴょう性が高いものではないが、まだ菫側の声明が出ていない事もあり、現在の世論は微妙な所だ。
︎︎菫に対するもどかしさや苛立ちであまり良くない空気が流れていたところに、グループのリーダーを任された青海希衣(あおみ けい)の冷静な意見が飛んでくる。
「デマもありえるから決めつけない方が良いよ。私たちの顔が公開された段階でいじめ疑惑が出たなら怪しいけど、このタイミングならほぼ確実に事務所の練習生の仕業だと思う。あの子短い練習期間でデビュー決まってるから、嫉妬とかあるでしょ」
︎︎この状況では希衣の意見がもっともだ。
︎︎しかし、それがデマかもしれないとも考えない過激派が、「そんなメンバーをデビューさせるなんて」と事務所に文句を言って騒ぎ立てたり、先輩であるDevilsのSNS公式アカウントを荒らしたり、Storyのアンチ宣言をする人物まで現れたりと、無関係な立場への被害もそれなりに大きい。竜奈やジンが苦言を呈すのも仕方がないと言える。
「私の考えもケイ寄りかな」
「私も。もしデマだったらかわいそう……」
︎︎希衣の意見に同意し、菫を庇うような態度を見せる瀬田しいな(さた しいな)と日南桜(ひなみ さくら)。ズバズバと自分の意見を言うメンバーが多いStoryの中では穏やかな方で、グループの良心的存在な二人は、真偽の分からない噂を流され、グループ内はおろか事務所での立場も悪くした菫のことを気の毒に思っていた。
「まぁ確かに、デマの可能性も考えなくちゃいけないけど、せめてレッスンには」
―――バタン!
︎︎竜奈の声を遮るように、勢いよく開かれた扉の音が響く。ああようやく来たのか、と振り返るメンバー達だったが、入り口に立ち尽くす菫の只事ではない様子を見て目を疑った。
︎︎菫の格好はレッスンをするのに適したジャージや体操着などではなく、私服と思われる丈の短いワンピース。靴も到底運動には適さないサンダルだったが、上下共にどこかで転んだかのような土埃の汚れがついていて、衣服の隙間からは大きな痣が複数のぞき、更に決定的なのが目元。ひどく泣いたのか、真っ赤に腫れてしまっている。
「……何があったの?」
︎︎この場で唯一冷静さを保っていた希衣は、状況を素早く把握するために率直な言い方で、そして威圧的になり過ぎないように普段より柔らかな声の調子を使って菫に尋ねた。
︎︎菫はこの状況をどう話すべきかと暫く言いあぐねていたが、意を決して口を開く。
「実は……荷物を盗まれたか、隠されたかみたいで」
︎︎どこ? どこ? あっち? 違う!
︎︎ああだこうだと騒ぎながら、菫の所持品が全て入っていたというリュックを探すメンバーたち。これはレッスンどころの話じゃない! という竜奈の一声で始まった荷物探索は一時間にも及んでいた。
︎︎そんな竜奈たちの様子伺う菫の表情は、罪悪感に満ちた暗いものだった。菫にとっては、故意に自分のものを盗んだ、もしくは隠した誰かの悪意に対する悲しみより、どうして荷物の管理をしっかりせずにメンバーに迷惑をかけてしまったのだろうという後悔心の方が強かったから。
「すみません、荷物の管理が甘くて……」
︎︎いたたまれなさそうに謝る菫に、しいなは苦笑い混じりでフォローを入れる。
「そんなの、盗った人とうちの制度が悪いんだよ。誰が決めたの? 練習生始めたばっかりの子はロッカーが使えないって」
︎︎しいなの言う通り、この事務所の練習生の間では、ロッカーの数が限られているためか、ロッカーを使用出来る人間は練習期間の長さで決められるという暗黙の了解が存在する。その暗黙の了解により、菫は誰かの目につく場所に荷物を置いておくしかなく、お手洗いに行っていた間に失くなってしまったというのが今回の件の経緯だ。
「……ねえ、スミレちゃん。その身体は誰かにやられたんじゃないよね?」
︎︎ぼそぼそとしたか細い声で尋ねるのは桜。リュックを探しながらも、菫のボロボロな姿をずっと気にかけていた。
「これは……荷物が失くなったことの焦りで。早く探さなきゃって急いでたら、階段から転げ落ちちゃったんです。打ったところに痣はできたけど他に痛む所はないから大丈夫だと思います」
︎︎それを聞いて、暴力とかじゃないなら良かったと安堵した表情を浮かべる桜。
︎︎ここまでは、比較的平和な雰囲気でのやりとりだったが。
「それよりさ、あの件はどうなの?」
︎︎ジンが特大な爆弾を落としたことにより、場が一気に静まり返る。
︎︎竜奈やしいな、桜はもちろん、あの希衣でさえ、今それを言うのかと言いたげに顔を強ばらせていたが、話題の張本人である菫には少しの動揺も見られなかった。
︎︎そして、堂々とした口調で答える。
「信じてくれるか分からないけど、いじめは絶対にしてないって言えます。釈明するために事務所と話し合いながら出来るだけの証拠を集めました。あとは声明文を書きあげるだけです」
︎︎Storyのメンバーの顔と名前が公開される頃に声明文も出そうとのこと。
「どういう証拠を提示しようと思ってるの?」
︎︎いじめをしていないという証拠なんてあるのだろうか、という疑問が希衣の心に浮かぶ。まさか、何年も前の学校での過ごし方を見せる方法は無いだろうし。
︎︎しかし、菫はデマには負けないと徹底的な作戦を立てていた。
「顔が公開される前に投稿されてるので、確実に練習生の誰かじゃないですか。だから事務所に徹底的に練習生の出身小学校、中学校を調べてもらったんです。そしたら、出身の小学校と中学校が同じ人はおろか、私と同い年の練習生さえいなかったんですよ。あの投稿と矛盾してるじゃないですか」
「確かに。小学校、中学校どっちも一緒って言ってたのにね」
︎︎相手がバカで良かったね。と言いかけた希衣だったが、その言葉はのみ込んでおいた。
︎︎この頃にはもう、菫の主張があまりにも筋の通ったものだったので、メンバーの中の疑心はほとんど消え去っていた。
「女子の嫉妬って怖。私もよく“女って感じの性格”って言われるけど、ここまではしないって」
︎︎あれほど菫の問題を面倒だと思っていた竜奈でさえ今は菫の肩を持つような発言をしているし、あの質問をしたジンも得心がいった様子だった。
「……あっ!」
︎︎興奮で上擦った声が響く。
「これじゃない!?」
︎︎しいなの声を聞きつけて走ってくるメンバー達。ゴミ箱の中という喜ばしくない場所ではあるが、確かに菫の言った特徴によく当てはまっている見た目のリュックが入っていた。
「それです! 中身は……」
︎︎リュックが見つかっても中身が抜かれていたり、荒らされていたりすれば元も子もない。急いで拾って中身を確認しようとした菫だが、その手を希衣が遮った。
「待って。このまま写真撮らせて。嫉妬してる人がいるかもしれないって証拠になるでしょ」
「……さすがケイ」
︎︎こんな時でも抜かりない希衣の行動を見て、若干引いた顔をするジン。
︎︎希衣はゴミ箱の中に入れられたリュックをそのままの状態で写真に取り、中から引き出して、菫に渡した。慌てて中身を確認する菫。
「良かった。大丈夫みたいです」
︎︎その言葉を聞いて、メンバー達は安堵する。ようやく落ち着いた雰囲気の中、レッスン室へ戻りながら菫は身の上話を始めた。
「小学生の頃からアイドルが好きで、本当はもっと前から練習生になりたかったんです。でも私の家、あまり経済的に余裕がなくて。家から交通機関を使わずに通える距離にある事務所がなかったから、交通費がいるじゃないですか。だからどこにも所属せず、五、六年くらい独学で歌とダンスを練習してました。ある程度技術をつけた後、ラピスプロモーションが暫くアイドルをデビューさせてないことは知っていたので、ここですぐにデビュー出来ればという可能性にかけてオーディションを受けたんです」
「……現実にしたってことね」
︎︎感心したように呟くジン。ジンはこの事務所で四年練習していたのもあり、練習歴三ヶ月の菫が同じグループになると聞いて、自分たちと実力が釣り合うのかと内心心配していたが、菫の話を聞いて杞憂だったと感じた。むしろ、それだけの熱意でアイドルを目指してきたのならば期待が出来るとも。
「じゃあ、声明文とは別にその事も伝えたら?」
「……え?」
︎︎希衣からの意外な提案に、目を丸くする菫。希衣は慎重な声で続ける。
「みんなスミレのこと見直すんじゃない? 意外と世間は単純で、そういう苦労話が好きなんだよ」
「ああ……そうですね」
︎︎言い方は少し素っ気ないものだったが、菫はその意見を取り入れようと決めた。いじめをしていないという声明文と、それとは別に、自分の個人的な思いを届けるために、もう一枚。