不運にまみれた人生。
小さいころは誰か生きてるんだなと思ってた。
それが、私だった。
幸福なんてない。笑顔なんて出来やしない。
ただ人を睨みつけ、地味に生きていく。
どうすればいいんだ?
思春期なんだね。
私も小6とか中1の時、ノエルさんみたいだったよ。
自分を悲観するの。
私が5歳位の時、親は毎晩つかみ合って言い争いしてた。
私はこっそりそれを見ていたけど、親は私に気付かずに言い争いばかりして。
保育園にいた時も、職員達が帰る時間になっても親は迎えに来ない。
私だって寂しいのに、職員には『ちゃんと迎えにきてもらうように言ってね』とか言われて。
やっと両親が離婚したかと思ったら、すぐに再婚。
そういえば保育園の砂場で遊んでた時、元父親が近づいてきて
『たまには遊びにおいでね』って言われたら時、すごく怖かったなぁ。
なんか元父親は、怖い人ってインプットされてたのかも。
『行かない』って言いたいのに、『行かない』って言ったら連れていかれそうな気がして、怖くて頷いたのを覚えてる。
再婚して少しは幸せだった。
でも弟が生まれたとき、急に自分はこの家の子じゃないって思っちゃって。
血の繋がりが気になって仕方がなくて、弟が羨ましい、ずるいって私だけ1人ぼっちだって思った。
ある時祖母に『再婚したら、あんたは最初は家にあずけるはずだった』って言われた時、『あぁ、新しい家族に自分はいらないんだ』って悲しかった。
私は反抗ばかりしてた。『素直に人に心を開くなんて馬鹿みたい』って思ってた。
たまに、怒った親に『死ね』とか『どっか行け』とか言われたら、売り言葉に買い言葉で言ったって分かってるけど傷ついた。
中1になって学校で健康診断を受けたとき『甲状腺機能亢進症』いわゆるバセドウ病っていうのが分かって、2週間入院した。
児童バセドウ病は、結構起こりやすい病気だけど、一種の難病指定されてる病気。
入院費用は20万位って分かって、申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、素直じゃないから、素知らぬ顔をしてて。
ただでさえ、私立で、学費は月8・9万。しかも入学金とか制服代で苦しかったはずなのに。
通院もしなくちゃいけなくて、中3のいまでも3週間にに1度くらいで通ってる。
通院費も、難病指定だから国から援助がされるけど、結構な額で。
たまに親に『あんたにいくらかけてると思ってんの』って言われると、その通りだから苦しかった。
続きます(汗)
*続き*
それから少したって中2の冬。
なんか、最近寝てる間に唇に何かあたってる気がしてた。
私って不思議で、ぐっすり寝てるはずなのに、身体に何かあたると意識がすぐ戻るの。
目を開けると、かすんでよく見えないけど、誰かがドアから逃げるように出ていく。
意識と視界がはっきりして、よく見ると、絶対閉めたはずのドア(横開き)が開いてる。
−−−もしかして、私は誰かに寝てる間にキスされたの?って1人で夜中に悩んだ。時間は深夜の2時位だった。
そして、そんなことをするのは、この家に1人しかいない。
だけど、もしそうだとしたら、家族が大変なことになる。
だから母親にも言えなかった。
そして、3日に一度位、私は寝てる間に唇に何かがあたるのを感じて、その度に部屋から誰かが逃げていき、閉めたはずのドアが開いていた。
−−−−そして、4度目に、それは決定的になった。日付も覚えてる。1月13日だった。
唇に何かを感じて、私はパッと目を開けた。誰かが逃げていく。
私は『ふざけんじゃねえよ、お前』って叫んだのかな。
はっきり確信した。そんなことをしてたのは、今の父親だって。
そしたら、少ししてから父親が来て、『何言ってるの?なんかカン違いしてるんじゃなない?』ってノコノコほざきやがって。
本当、馬鹿でゲス。人間のグズ。
私が『とぼけんなよ!前からしてたこと知ってるんだよ!死ね!』って言ったら、何も言えなくなってる。
母親も『何なの?』って来て。
−−−−この後のことは、大体分かると思うから、省略するね。
離婚はしてないです。
今離婚したら、私も弟もちゃんとした学校に行けなくなる。
まぁ、その日から約1年以上、父親とは対面してない。
当たり前だけど。
長くなっちゃったけど、私が悩んでたことを書いてみました。
全て本当の事。事実だよ。
自己チューだったから、中2の時は『なんでこんなに不幸なんだろう?』とか思ってた。
でも、世界中には私より不幸な人がたくさんいるんだよね。
【itと呼ばれた子】っていう小説があるんだけど、図書館で探してみて(笑)
泣けますよ(TT)
あーあ、でもキスはショックだったなぁ。
初は好きな人としたかった。
ま、それはカウントにいれないことにします。
忘れる。
怒りは絶対に死んでも忘れないけど。
えーと何の話だったっけ?
………と、とにかく!
人生は1度きり!
悲観的になりすぎず、生きていきましょうね!