こうなったのは全て計算通りだったんだろう。
ただ歩くだけに矯正すれば、社会は満足するに違いない。
私はロボトミーを受けたかのように感情を失ってしまった。
冠の被り方を知った一本道の王様は、今日も蜃気楼のような迫害を続けて、私は咀嚼され溶けていく飴のように消え去っていくだろう。
私自身の肉体的な存在は、精神的な私を犠牲にすることによって成立するのか。
そんなことあってはならないだろう。
私自身は生き続けなければいけない。
愚かであろうと、他者の歩幅に合わせていてもつまらないではないか。
ゴミ箱に入っていた丸められた紙の中に、紙が抉れるくらいの筆圧で刻まれていたその文字列は、悲鳴のようであれば、卒業証書のような気もした。
きっと誰かも同じ道を通って来たんだろうな、と交差点を左に曲がった。
その先には、
計画停電の夜に、30分前にお湯をためた浴槽で、蝋燭の灯りを頼りに湯船に体を埋めた。
他意などなく、ただ蝋燭が綺麗だった。
それだけでよかった。
その灯火のゆらめきに、何万人もの魂の影と、人の形をした欲求の塊が見えるようになってから、世の中はつまらないと感じた。
餌をばら撒いた釣り堀で苦しそうに口をパクパクしている人たちに、じゃがいもの芽を投げつけるような人こそ、世の中では偉人と呼ばれている。
先駆者がウイスキーを飲みながら決めた一枚の紙切れを頼りに、人の在り方を定義されることに疑問を覚えれば、反対方向に飛び出すくらい金槌で叩かれる。
人々は出る杭を均すことをするのではなく、出る杭を切り離すことで世の中を歩きやすくしている。
ただ、生きて目の前の灯りと母親の顔にお湯をかけて笑っていられる時代はとうの昔に終わってしまった。
私の知っている世界は狭かった。
当然ながら、年数と経験量は比例していくし、キャパシティだって凡人なら狭くて当然だろう。
だからこそ、家族と飯を食いながら、ニュースを流したり、巨人対阪神の伝統の一戦に、罵詈雑言を吐きながらケラケラ笑っていられる時間は至福の時間だった。
それだけあればよかったし、物心ついた時からそれしかなかった。
ピアノを弾く時間以外は家族は優しいし、楽しい。と感じていた。
濁りない精製水のような日々に、墨汁が一滴。
母親が再婚した。
ピアノはやめた。
一般的という言葉は大嫌いだが、おそらく元の私の家庭は一般的ではなかった。
子供1匹を養うために、母親は時間を捨てて働いていた。
家族の時間は祖父と祖母が、代わりに受け持っていた。
前述の通り、飯だけは皆顔を合わせ、今日という1日の意味を噛み締めるかのように、楽しんでいた。
祖父と祖母は激怒した。
何のためにだ。と
本当に子供のことを考えているのか。と
子供とはもちろん私のことだ。
私は、喧嘩しないで。と言った
母親は子供のように拗ねた。
その日から夕飯は2人になった。
そしてたまに3人になった。
楽しくなかった。
楽しくなかった。
そうだ、その時から私には楽しいか楽しくないか。その2つしかなかったのだ。腑に落ちた。
テレビはニュースを流さなくなった。
野球はあまり好きじゃないと言われた
人それぞれであるべきだと思う。
だから、人それぞれであるべきと思い込んだ。
好きなものを好きということは人であることの最低条件だ。
だからせめて、楽しいを覚えている私の中にだけは踏み込んできて欲しくなかった。
土足で足跡をつけながら、時に煙草の吸い殻を捨てたりもしていた。
この土地を均す権利だけはない、そう思って門を閉め鍵をかけた。
特殊メイクをしていれば、閉じ込めた内側の私は、当時のまま保存される。本物はここにいるのだから。
そんな関係に、光は差すわけはなかった。
本気で門を打ち破ろうとしてきたのは、本気で門の中の1人になろうとしてくれていたからなのだろう。
前述で凡人と言ったところがあったかもしれない。
正直なことを言えば、世の中に凡人などという存在はない。
私自身は特出すべきことはほとんどないが、この門の硬さだけは誰にも負けなかった。
至福の時間は、低気圧になり、偏頭痛でいるだけで倒れそうだった。
もう何年も経つ、ずっと低気圧だ。
雨が降ってばかり。
リセットしたい。と何度も、何度も、何度も、思った。
逃げるのか、と言われた。何度も。
繰り返すくらいなら、繰り返さないように。
そう思った。