世帯間格差の広がるこの国で

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8:おかゆ:2016/09/02(金) 07:59

結局は子供の努力次第ってことじゃね。


十六夜◆iBwmlT1/YU:2016/09/02(金) 18:27 [返信]

金銭的な理由から進学を断念したり(たとえ不利な戦いに挑み辛くも勝っても諦めざるを得ないケースを知っています)、あるいは、およそ勉強などという文化的な行為ができそうにもない劣悪な環境下に置かれていたとしても、それは「当人の努力の不足である」となるのでしょうか?

いかなる事柄に置いても「努力」は影響をしてきますし、それ自体は素晴らしいことですから、とくだん否定はしないのですが、すべての原因を努力に求めては、努力家曰く「成功したのは努力をしたからだ」と、しかし、裏を返して「成功しないのは努力が足りなかった」と早計に結論づけてしまうのは、「人間の出発点は皆、平等で生まれながらの能力に差異はない」「この世に才能(※)はなくすべてにおいて後天的な努力次第である」のような考えに基づいています。
(※ここでは才能とは、努力を後天的なモノと定義した際の、あらゆる生得的な事柄すべてを才能と呼ぶことにする)

しかし、残念ながら統計的には才能は学力や学歴と重大な因果があるため、自分とは異なる環境下に置かれた子どもが成績が振るわない原因を、すぐさま努力に求めてしまうのは他人への不利な環境へ思いを馳せたりすることのない、思いやりのなく冷徹で、かつ危険な考えであると思います。

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世帯年収まではいかに子供の尽力してもどうにも、ままならぬことである。将費用はかかるものの、教育設備が整ったところで勉強をするのと、完全な独学では、定着率に確実に違いがあると肌で感じるし(独学派はたいへん不利な戦いである)、なによりわからないことを聞くことの出来る環境下というでは、教育の面からも、強制力という意味でやる気の面からも能率が上がる事は経験則から間違いない。

成績や学歴と関係して「ピアノなど楽器をさせると頭が良くなる」という説があるが、私はアレはたんに「世帯年収が高い家庭が教育にも芸術にも十分に投資できる」あるいは、「ピアノを教育などに取り入れる親のことだから、学習塾に行かせたり教育熱心である」そんな風に相関のみだと思っている。たとえピアノと学力に直接的な因果があったとしても、それは些細なことだと思うし、そのお金を教育に回した方が、費用対効果は高いだろうと踏んでいる。(とくに根拠もなく、学術的には相手にもされない意見だろうけど)


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