伝道者さん、こんにちは。
私は自分が生きていることが空虚でたまりません。
よく、母親が生んでくれたんだからとか、
神様がよくしてくれているからとか、
そういう話を聞きますが、
正直、そんなことを自分に言い聞かせても、
数分後にはむなしくなります。
(たしかに周囲に助けられているのは確かですが、
どうしてもそれだけでは生きていく気力が沸かないんです)
余談ですが、前に誰かに相談した際に、
「愛を知ればむなしくない」なんて答えをもらいましたが、
たしかに私は愛がよく分かりません。
当然な話ですが、人間は他人と完全に分かり合うことはできません。
お互いの心の中は全く不明で、作り話や作り笑顔をできるのに、
なぜ平然と「信じあっている」「愛し合っている」と考えられるのか、
困ったことに、私は全く分からないんです。
話が逸れましたが、
生きることに意味は無いとしても意義はあるのでしょうか。
それは愛を知れば自ずと見えてくるのでしょうか。
教えて下さい。
>>2-3
心からのメッセージをありがとうございます。生きる意味や意義、愛が分からないままに生き続けるのは、とても辛いことですよね。話して下さり、ありがとうございます。
聖書は66の小さな書で成っていますが、その中に伝道の書という箇所があります。深い知恵で知られているソロモン王が記録した書で、虚しさがテーマとなっています。
この様に始まっています。
伝道の書1:1-2
エルサレムの王ダビデの子,召集者の言葉。「何とむなしいことか!」と召集者は言った,「何とむなしいことか! すべてはむなしい」。
様々なことが語られた後、この様に結論付けられています。
伝道の書12:13-14
すべてのことが聞かれたいま,事の結論はこうである。まことの神を恐れ,そのおきてを守れ。それが人の務めのすべてだからである。まことの神はあらゆる業をすべての隠された事柄に関連して,それが善いか悪いかを裁かれるからである。
神を信仰し、その掟に従うことが全てである、と結論されています。
神は存在するのか、それはどの様な方か、どの様な意図で世界や人間を、そして依紗さんを造ったのか、神は何を求められているのか、なぜ今の世界は良い状態にないのか、なぜ信じ合えない様な人達が多いのか、どの様に生きるべきか、今後の世界はどうなるのか、どの様な希望があるのか、その為には何をすべきか等々、聖書の体系的な「正確な知識」を取り入れ、じっくりと個人的に黙想する事で、確信や実感、つまり信仰が得られます。そして自発的に神に従いたいという想いが湧いてきます。そうすると虚しさは無くなります。
ところで、或る家電の正しい使い方は、メーカーの説明書に書かれています。正しい使い方はメーカーが最もよく知っているからですよね。間違った使い方をすれば、家電は異常を起こしたり、壊れたりします。人間も同じです。メーカーである神、その神が準備して下さった人生のトリセツである聖書の教えを当てはめる時、全てが上手くいきます。それを確信、実感出来る様になる時、神の掟、つまり聖書の教えに従いたくなります。
それがソロモン王の結論に込められた意味です。
或るクリスチャンから、この様な言葉を聞いたことがあります。
「創造物にとっての最大の悲劇は創造者を知らないことである」
全くその通りだと私も感じています。神が私達を愛をもって造られたこと、それを知らないことは迷子のままで生きる様なものだからです。
長文となり、すみません。参考になれば嬉しいです。