えがはん
無条件に自分を愛する事とか、
無条件に自分に自信持ついうのは
確かに難しい気がします。私事ですが、
僕は、赤ちゃんの時から幼稚園ぐらいに
かけ、半ば母親から引き離され、祖父母
に色々教えてもらい育ちました。(後に母と合流)
祖母は、僕を極端に甘やかしたり、
時には極端に叱りました
いい子でいなければ、叱られてしまう
そのまんまの自分が悪であれば、
その存在を否定され、無条件というか
そのまんまでは叱られてしまう訳ですね。
自分が弱いいうのが、えがさんの
そのまんまの自分な訳じゃないですか今の所。
(失礼な言い方ですみません)
その状態で、自分を愛する事が
できるのは、やはり自分しかいない
最近僕もその事に気づきました
例え強くなったとしても、結局自分より
上のレベルはなんぼでもおる
自分のそのまんまを認めてくれるんは、
僕しかおらんと気付きました
自信てなんやろ?と、高校生ぐらいかな?
考えた事ありました。
身長、筋肉、勉強の偏差値、顔面、
きりがないけど、そんな事を
考えるいう事は、やはり僕も当時
あなたと同じで自分に自信が
なかったわけです
でも、今の僕は、高校生当時よりは
自信を持っている。なぜかというと、
人間一人生まれてきたというのが、
相当高い価値やと気付いたからなんですが、
やはり、人間に生まれるという事は、
全ての生き物のトップに立つ。人間に
生まれてきてできる事はいっぱいあるし
誰かが、えがさんを求めてるのかも知れない
探してないだけかも知れない
そんな人に巡り合い、お互いの求めてる事を
満たせば、自分が弱いとか、自信ないとか、
考える事いらん訳ですわ。
僕は、美空ひばりさんの人生一路いう
歌を聴いて、感銘を受けた事がありました
「花は苦労の風に咲け」「明日に賭けよう」
とかの歌詞があり、弱いから苦労して
強くなるんやと。努力する事は難しいなら、
今ある苦しみを受けいれるだけ受け入れる、
つまり、苦労すればいいのではないか。
苦労に苦労を重ね自信がつくのじゃないか
と、
歌に教わったり、しました
無条件に自分に自信を持たせられる
のはやはり自分しかいない
無条件に自信なんか持てへんわ、
思ってたんが、僕が高校の時
でしたがそこから僕は、精神と
肉体の苦労を受け入れました
僕はその時を修業と呼んでます
その苦労が、僕に自信を持たせて
くれました。苦労のすすめみたいに
偉そうに説教したみたいになって
すみませんえがさん。
遅くなり申し訳ない
確かに自分の味方は自分しかないですし自分の苦しみも修行と思えます そう考えると
私は、苦しみの発散が下手だと思いますね
誰かといるとこの世に対する怒りだとか劣等感を束ねた縄で相手を絞め殺そうとしたのですから
おかげで今一人ですよ、一人じゃないといけない人間だと知りました。
修行の果てに何があるのかわかりませんが、憎悪はすべて自分に向けられ滝のように落ちてくるそれを
ひたすら受け止めてる毎日です