5億年ボタンを押しますか?

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15:1:2014/11/18(火) 00:23 ID:2yA

>13番目さん

『空間に立ちいった瞬間から記憶を消されるまでの自分』は自分である。

↑この主張は分かります。
記憶を消されたときに別人になりますけど、確かに途中時点では自分なのかもしれません。


ただ、

『自分ではない別人が100万円を受け取る』

↑これには納得できないんですよね。
【ボタンを押した時の自分】は母の腹から出てきて育ってきた、誰が何と言おうと紛れもない自分ですし、その自分と連続した記憶と時間を共有した【100万円を手にした自分】は明らかに【ボタンを押した時の自分】の続きです。
五億年空間を過ごした人間は所詮、消滅することを前提とした人物です。
記憶を【100万円手にした自分】に繋げることができない時点で、別人になります。
本当の自分とすり変わることは無いかと。


日記帳:2014/11/18(火) 03:06 ID:Na2 [返信]

「時間を共有した」と仰っていますが、記憶が消去されてるだけで
100万円を手にした自分は実際に五億年過ごしてますから、事実上の時間的な連結はないのでは。

ボタンを押す直前までの自分a(100万円を受け取る自分)にとって
5億年を過ごす自分bが他人だとするなら
『空間に立ちいった瞬間から記憶を消されるまでの自分』
の視点だと、一度自己として形作られたという前提がある以上疑う余地なくaにとってbは他人ですよね?
貴方の言い分に基づけば、二者はどちらも独立した自己であり二重基準が取れます。

記憶の連続性がない時点で別人となるとも述べていますが、
まず記憶が消去される事は消滅すると同義なんでしょうかね。
例えば僕らは赤ん坊の頃の記憶はないですけど、その時の自分は本当の自分ではないのです?
2ヶ月前に自分が何をしていたか記憶に残っていないなら、今の自分の記憶に繋がっていない二ヶ月前の自分も他人なんですか?







もし貴方が昨日の1時に何をしていたか思い出せないのなら
昨日の1時の貴方に「明日以降になれば記憶の共有を図れなくなりますよ」とささやけば


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