>20番目
五億年空間での時間は現実世界とは異なった時間の流れなので、現実世界に存在する一本の自分を形成する連続した時間とは、また違うという解釈をしてほしいです。
そもそも『五億年空間』自体、ボタンを押した人のためだけに作られる空間です。
その人の五億年空間の記憶が消えるとなれば、誰からも認識されていないという観点からでは『存在しなかった』空間になります。
二重基準について。
ボタンを押す人をAとして、五億年間過ごす人をBとして、100万円ゲットする人をCとします。
僕はこの場合『B』は単独で別人。
AとCが連続した記憶であるとしています。
理由は至って単純で、記憶の消去(存在の消去と同義)の対象がBのみであるからです。
生まれるーAーCー死ぬ
このようなラインができます。
Bにも自分であるという意識はあるでしょうが、AもCも【Bを自分だと認識していない】んです。
この生まれてきて死ぬまでの大筋のラインが自分なわけですから、BをAとCと対等にして自分と呼ぶことはできません
また、『連続した記憶の集合が自分であり、消去されたものは自分ではない』という僕の持論への指摘についてですが、
赤ん坊の時の記憶は別に『消去』されたわけではなく『忘れた』だけです。
僕は脳とかに詳しくないのでよく分かりませんが、赤ん坊の時に母親を認識したりするのですから、少なからず赤ん坊時代から今まで残っている情報はあるはずです。
五億年空間は全てがリセットされるという、オカルト的な記憶の消去ですから、『記憶にない』という意味でも本質的に違います。