>>31
貴方はボタンを押そうとする立ち位置から話しているようです。
僕の意見もその位置から言わせて貰えば、
そもそも、ボタンを押した時に、五億年間という時間を『自分』へ科せられるリスクだと思っていない…ということです。
これについて【自分が体験する時間は0時間だ】と前述しましたね。
記憶が消えるという絶対前提がある時点で、五億年間を過ごす人物Bは最終的に別人へと成り果てます。
その時自分となるのは、ボタンを押した自分A、100万円を手にしたCが繋がるので、【ポチッ→100万円ゲッツ】ということになるとゆーことです。
「忘れたとしても五億年経験してるじゃないか」
と言いたいところだと思うんですが、それは違います。
何が違うかというと経験している人がそもそも自分ではないです。
自分、別人云々についてイメージしやすい例を上げると、それは眠ると必ず見ると言われる、『夢』です。
明晰夢とか例外もあるのですが除いて考えると、夢の中の主人公は自分と同じ身体ではありますが、意思疎通不可なため本質的に自分であるとは言えず、別人です。
時間を飛ばすことなんてできませんから、その別人は、自分が眠っている間、確かに8時間を過ごしているわけです。
しかし、考えてみてください。
朝起きた時の自分は『8時間』という時間の中の100分の1程度での時間すら体感していませんよね、
寝ればすぐに朝が来るんです。
それは何故か?
答えは【記憶が消えているから】
つまり、その間の記憶が消えることで8時間を8時間として認識せず、一瞬であると認識するのです
僕はこれが例え5億年でも同じ風になると思っているというわけです。
記憶が消えるならば、その過程にある時間は事実上どんなに長かろうと自分が体験するのは【0時間】。
五億年間体験しているのはあくまで別人で、100万円を自分にくれる功労者なのです。
これ即ち、『五億年ボタンを押すと100万円手に入る』ということは『寝たら100万円手に入る』と、自分への体感的には同義であるのです。
だからこそ、この五億年間は『ノーリスクで100万円が手に入る』という解釈が適切なのだと思います。
>>32:Souceくん
>意見交換も何も最初から押す派の論理も押さない派の論理も分かりきってるから。
そーかなぁ‥?!
少なくとも俺はそのどっちでもない価値観で過去レス(>>8)を入れてたんだけどなw(笑)
その意味、分かるかな?
>この五億年間は『ノーリスクで100万円が手に入る』という解釈が適切
いや、それじゃあまりにも浅過ぎてツマンナイと思う。
※‥ちなみに俺も原作は知らないし、その作者がどの程度の認識で
この作品をこさえたのかは分からないんだけどねww