われわれ日本人が同じ日本人について語る時、しばしばその例として出されるのは(比べる人の意図にもよるだろうけど)、「身近にいるありふれたよく知る日本人」であり、ゆえに汚かったりだらしなかったり俗であったりするわけだが、
対してわれわれが欧米人について語る時、そのたいていは、「テレビや物語の中にいる選ばれた欧米人」であったりするために、汚い部分は抜け落ちて綺麗な部分だけがクローズアップされる(反対も然り)から、あたかもわれわれまで届くものを欧米そのものであるようにして、部外者がしばしば行う「日本はこうだけどそれに比べて外国はこう」式の比較には、あまり意味をなさない。(海外在住なら申し訳ない)
>>103
ひとが人間社会の中で軋轢なく円滑に過ごすためには建前も欠かせないと思うけど。(本音)
>ひとが人間社会の中で軋轢なく円滑に過ごすためには建前も欠かせないと思うけど。
うん、同感だ。
いわゆる「建前」ってヤツは、社会的な弱者を守るためにこそ設けられた
セーフティネット的な部分も担っていたりして、多少の瑕疵や齟齬はあれども
それなりに機能はしているとオレも思うよ。
少し前までは、やたら「建前」を偽善視して、ムダに「本音」にばかり共感したがる
世間の風潮があったけれど、今もまだそんなモノを有難がる奴は単なるアホウ。
己の感情にのみ忠実で、社会道徳やらコンプライアンス等を軽視しがちな「本音」になんぞ、
それを主張する当人以外には何の価値も無い。