太平洋戦争

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39:匿名希望:2016/09/06(火) 22:21

要はなぜ昭和期の政党内閣があんなに優柔不断で移り変わりだったかというと、民意がそっぽ向いてたから。
じゃあその民意が醸成された遠因にはなにがあるかと考えると、やはり日露の経済的・精神的負債を無視できない一面もあるのよ。

たとえば昭和に続く大正時代には「日比谷焼き討ち事件」なんてものがあった。
当時の下層民、日雇いや職人たちは日露戦争の負担にいちばん苦しめられた階層であったのだけど、
政府はロシアにあしらわれて、ポーツマス条約では賠償金を獲得できなかったわけだ。
御国のために堪えた結果がこれかとなって、下層民はあちこちで暴動を起こしていった。
そしてこの勢力は大正デモクラシーを形成した一翼であったと言われている。

昭和期は軍部の独走も勿論だけど、それ以前として国民が“招いた”戦争でもある。
そして昭和の前時代に発生した大正デモクラシーという現象が、民衆と政治の歩み寄りであった以上、昭和期の世論はこれを無視することはできない。
なぜなら大正デモクラシーの一翼を担った下層民たちは、間違いなく骨身に染みていたはずだからだ。
耐えに耐えぬいて、祖国が勝利したはずの日露戦争で、自分たちはなんの利益も得られなかったこと(国益=下層民の利益にはならない)。
戦勝国であるにも関わらず、あのような屈辱は二度と味わってはならないこと。
ゆえにそうした人たちが強硬な満州固持を訴え、軍部の暴走を賛美する世論を生んでいたと結論付けることは、決して間違ってはいないと思う。


苑:2016/09/06(火) 22:26 [返信]


世論が形成されてく中でマスコミもそれに便乗し始めたのも悔やまれますよね。


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