ポストモダンの時代における友達とは
記号同士の友情だ
父親にとっての友情とスレ主にとっての友情が
ずれているのかもしれない
確かにずれてるところがある。
私が思う友達ってシンプルに「話して気があって、また会いたい」って思えるならもうそれは友達だと思ってる。
けど父が思う友達って言うのは「仲良くなって、その相手の住んでる場所や住所を知っていて、休みの日にはいつも遊びに来たり行ったりの仲」の人のことを友達って言うのであって、私のはただのクラスメイトと言うらしい。
いや、もちろん正しいとは思うんだ。ちょっと徹底してたり、固いなってところはあるんだけど、住んでる場所や住所を知っていなきゃいけない理由も「そいつの家が火事になったり、そいつが大変な時になった時に、住んでる場所を知らなければ真っ先にそばに行ってあげられないから」ってちゃんとした理由があるからなんだよね。