>あなたの文章もいわゆる印象論に留まっていているので、別にいいじゃないですか。
根拠ありきで言ってるから感情的なものではないと思うけどね。
>それともあなたの中では、辞書を持ち出してコトバの枝葉末節について定義をすることが、たんなる印象論から議論へと昇華させるために必要なアプローチということなのでしょうか。
論拠さえあればいいと思うよ。論拠の一つとして辞書は存在する
>ファンダメンタリズムにおける聖書の如く辞書原理主義といった向きのあなたと、これ以上何を話し合うのでしょう。
辞書原理主義ならなぜ喧嘩≒議論と言うのでしょうか。
>二つの明確な違いは形式として勝ち負けが存在するかだと思うんだ
こんな辞書に書かれていない、読み取れもしないことを主張するのでしょうか。少なくとも辞書至上主義でないことはご理解頂きたいです。
>辞書もわれわれと同じ人間が編集したものです。間違いだってあるかもしれません
でも作っているのは私たちよりも遥かに詳しい人たち。調べた限りでは最近の単語の意味やスポーツの専門用語は間違えることがあっても、そう言った古くからあるものの間違いやそれが間違いと言われたことはありませんでした。
>場所や時代でコトバは変遷する性格を持ちますから、辞書に載っている意味と異なる場合だってある。
その通り。人間や確信犯などは意味が付け足されている。調査によって誤った意味で使っている人が多かったからでしょう。ただ未だに一般的に使われる意味と辞書の意味の整合性が取れていないものはおそらくほとんどないと思います。
https://www.nttcom.co.jp/comzine/no042/long_seller/index.html
辞書は壮絶な作業で作られているのです。間違いは比較的少ないでしょう。
>辞書を持ち出してところで、それが印象という域を脱し、根拠としてじゅうぶんかと言われれば、まったくそんなことはありません。
根拠の意味は理由です。理由として辞書を出しているから根拠です。辞書は感情的なものでしょうか?
>このスレでは広辞苑や大辞林に代わって、新しい辞書を作ろうと、つまりネット上で行われてる喧嘩と議論は果たして性質が違うのか検討しましょうと試んでいるんです。少なくとも私はそう解釈しました。
こちらはネット上で行われているなんて前提なしに全般だと思っていたが。単純に議論と喧嘩は違うのか議論するだけだと取れるが。
>このスレでは広辞苑や大辞林に代わって、新しい辞書を作ろうと、
ここに関しては同意できない。素人が作れるような生易しいものではないです。
>ことさら辞書を持ち出して従来からあるおおまかな意味を再確認したところで、私は何の意義も感じません。これでは興がさめてしまう。
新しい辞書を作るにあたって古くからある意味が使われることも多いです。古くからの意味を片端から退けるのが新しいというわけではありませんよ。
>どこからサイトポリシーや暴言というワードが出てきたのかわかりませんが、
このサイトで議論しているんだからここのルールに従うべきだからでしょ。彼のやり方が暴言と言えると思ったから暴言と言いました。
>むしろ議論よりも喧嘩にカテゴライズされると思っていますが、(多くの人の同意が得られると思うので、辞書は引かなくても結構ですよ)
辞書は引きませんが議論でも煽りは可能でしょう。煽りは罵倒だけではありません。
>かつ、これはあなたの発言で、議論と喧嘩の区別をつけることは大切ではない(>>43)とすると
「(冨)ゑ∀ゑ」さんのように、議論において文章に顔文字をつけて「煽り(と、言えるのか...?)」を行うこと、つまり議論の場において喧嘩のような振る舞いをすることも、とくだん問題とは言えないのではないか、ということです。
もうみんな分かり切ってることだから今更区別しなくていいという意図で言いました。誤解を招いてしまって申し訳ない。