>>78
>ロリコンたちが作ってきた文化
いや、彼らはそんな大それたクリエイターなんぞではなく、単なる消費者に過ぎないと思う。
俺は全てが全てとは言わないが、そうは思わない。
文化というのは、クリエイターだけで成立するわけではなく、需要する消費者たちがいるから成立するんじゃないのか?
だから、ある意味ではロリコンの消費者たちもまた、ロリ文化を創ってきたんじゃないのか?
ロリコンの文化から若干それるが、たしかに、70年代以降、日本の経済は勤労経済から消費経済となっていって、人々の欲求も社会に適応的な欲求から、
ドゥルーズ・ガタリ的な社会不適合な、分裂症的な欲求を持つようになって、「需要を気にしない」異彩な商品をバンバン出して、世界に売れるようになった文化産業もある。オタクのサブカルチャーとか。
だから、サビぬき氏の言う、大それたクリエイターではなく、単なる消費者がたまたま、あるクリエイターが作って売ったものを好んで買うようになった、クリエイターだけが作品を創った、という事例はあるということになるが、90年代中頃以降は、本格的に、想定される需要を考えないと売れなくなってくる。
そこから思うのが、作品・文化というものは、クリエイター個体で作られるものではなく、需要を意識的にか無意識的に考えて、クリエイターと需要の関係性の中で、生まれてくるものなんじゃないのか?
それからクリエイターもまた、需要側の立場になったりもするし、
ロリコンというロリを需要する存在があったからこそ、その作品もまた、その当時の彼らの嗜好、こだわり、価値観、平均的な金銭状況、時代的な気分などに影響されて作られていくわけであって。
さらに彼らが、あーだこーだと評価を下す評価経済の中で考えられていくことから、
クリエイターと需要側との間で、ロリ文化は次第にアップデートされていって、ロリ文化の基礎のようなもの(例えばイラストの形態)も段々と、形成されていったんじゃないのか。
つまり、ロリコンと呼ばれる気持ち悪い存在がいなければ、今の具体的なロリ文化は生まれていないのだから、その文化は、ロリを含む作品を創るクリエイターと、それを買って評価する消費者との間で生まれてくるものだと言える。
したがって、ロリコンたちが作ってきた文化であることには違いないと俺は思う。