>>131
論理的な可能性は現実的な可能性とは違うので、「可能性がある」と連呼するだけで成り立ちます
「全ての自演は悪である」という積極的な主張をする側は、この論理的な可能性を潰してはじめて正当化されたと言えるわけです
これは議論するまでもない、単に論理的な話にすぎません
しかし、「全ての自演は悪である」を完全に否定(反証)するためには、現実的な可能性(現実的に起こりそうなこと)を一つでも挙げる必要がある
私は「慰めが逆効果になるようなデリケートなケース」をその例として挙げていますが
総督氏には「起こりえないこと」として否定された
そこで「起こりえないと言い切れる根拠は?」と訪ねているわけです
ここでも「起こりえないと言い切るのは無理があるんじゃないか?」という「論理的な可能性」についての疑問が私の反論を導き出したわけです
これに対して、「じゃあ起こりえるという(現実的な可能性の)根拠は?」と逆質問で返して堂々巡りに返す、というのは、負けないことを目的とする喧嘩では常套手段なのかもしれませんが、合意を目指す議論としてはどうなんですかね
お互いに例を挙げ合って「落としどころ」を探る方が賢明だと思いますが…
しかし、その例すらも「起こりえない」と否定することは可能なわけで、頭から例を否定するつもりで例を挙げさせることは、「社会通念」のようなものを盾にすればいくらでも可能ですね
まあしかし、その「社会通念」でいっても広く意見を集めれば、だいたい>>112に行き着くような気がするんですがね
これは個人的な観測にすぎませんが、否定する根拠もないでしょう?
ということは、やはり「論理的な可能性」はあるわけです
連呼するだけでは論理にかなっていると言えないでしょ。
>まあしかし、その「社会通念」でいっても広く意見を集めれば、だいたい>>112に行き着くような気がする
ならば基本的には「自演は好ましくない」という結論に至るはずであるにも関わらず、アナタは反対の根拠としてこれを使用している。
おかしいですよね?