>>177
>観測者がいなくても連続性はありますし、そもそも瞬間という静止画にする必要はあるのですか?
観測者がいないとしよう。そこで、赤い林檎があるとする。放っておいた林檎は腐る。『赤い林檎→腐った林檎』になったわけだけど、それを『変化』と捉えるのは私達でしょ?私達が林檎が腐っていく過程を観測するか、林檎から目を離していたとしても『前赤い林檎があった場所に、腐った林檎があるので、これはあの赤い林檎だろう』と関連付けて推察することで、初めて変化という概念が生まれる。もしも観測者がいないのなら、『赤い林檎』『腐った林檎』の二つの瞬間があるに過ぎない。
>それと一瞬という限定した静止画の中で時間は無いとしても、光が到達して記録されているのだから、時間は存在すると言えますよ。光と時間は関係するからです。
相対性理論の話しとります?だとすると観測者と時間概念の存在の上で光のズレが指摘されてるのでこれもお門違いな気が。あと『光が到達して記録』って部分がちんぷんかんぷんなので比喩的に表現しているなら直接的にお願いしますだ。