>>60
我々は主観的にしか世界を見ていないのではないでしょうか。説明は難しいのですが、私が太陽系10番惑星があると言っても、誰もが嘘だと言うでしょう。実際に存在していても、皆が存在しないと言ったら存在しないのです。
昔、燃素は存在していました。存在するものとされていました。認知していなくても存在があると言えると思ってしまうのは、我々が現在認知しているものしか情報に入ってこないからです。
落ち着いて考えてみてください。あなたならきっとわかります。
どこあたりがソースらしくありませんでしたか?
つまりコギトエルゴスムだと思うんですが、存在は我々の観測に関わらず相変わらずそこにある性質のことを指すわけですから、
観測から存在が出発すると置くと我々の命が絶対でない以上あらゆる物質の存在が絶対たりえないと完結してしまいませんか?存在が何物にも依らずそこにあることを指さなければ、つまり主観に相対によって存在を定義してしまうとこの議論は出発しないと思うのですが
ソースにマサチューセッツ工科大の教授のインタビューがありましたが、この議論には権威があまり役に立たないと思ったので。遊びがないじゃないですか。