税金ドロボーと言いたくなるもの

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54:sizuoka:2021/03/22(月) 16:32 ID:eeE

どれだけ社会に負担を掛けようが殺処分が許されないなら
死刑制度そのものの否定と同義だね。


白い悪魔:2021/03/22(月) 17:20 ID:yYM [返信]


同義だ、と断言する根拠がない限り、その主張には何ら意味はない。
ただし、その主張は個人的には面白い議論を呼ぶと思う。

その議論をする場合には前提として、結果的に社会に負担をかけてしまっているという事態と、意図的に他人の人権を侵害する事態に、どれだけの差があるのか、その対比関係を明らかにする必要がある。
同義だと確定する場合においては、対比関係上、違いが何もないことになるため、その違いないということも論証しなければならない。

また、社会負担層と死刑囚が同じだと言うのならば、まず社会負担行為とは何かを明らかにしつつ、刑罰法に当てはまる行為と、社会的負担行為が同義である法理論を用意しなければならないが、その際の材料が揃っているのかという疑問もある。

まだある。高齢者などの存在が社会的負担で、死刑と同様に殺処分すべきだと言うのならば、生きている事そのものが過失的な意味での刑罰法に包括されうることになるため(それも死刑に値するゆえ)、その根拠を明示しなければならない。

社会的負担の責任は、障害者、生活保護受給者、高齢者など社会負担層一人一人になぜ向けられるのか、という理由も話すべきだろう。社会構造や社会現象について意図的に改善することのできる対象は、彼らではなく、制度や教育を作り、運用し、廃止することのできる実際的な政府機構なのではないかという点もある。

以上の点で、社会負担層を殺処分すべきでないと言う場合、どうして死刑制度そのものが否定されると言えるのか、その主張を具体的に論証していただきたい。


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