古代ヨーロッパでは、王様は本来人間の身でありながら、宇宙の秩序を司る存在だと考えられていたため、大規模な飢饉や疫病など国を揺るがすような大事件は、王様がその能力を失ったため、つまり王様の過失とされ、殺されていた。要は飢饉や疫病といった不可抗力には敵わないから、国の中でシンボルとして具体的な悪者を作ってみんなで制裁していたのだ。
江戸においても非道な犯罪者は磔、鋸挽き、獄門、火罪、死罪、斬罪、下手人、切腹など惨たらしい方法で処刑され、民衆の見世物にされていた。
当然現代においても尚、snsや芸能界で「みんなで決めたルール」に逆らう人間は炎上する。
長くなってゴメンネ
いつの時代でも、人間は群れの中でルールを守らない人間を全員で制裁しており、それは人間の性質にとって不可分だ。人間は悪者を制裁している時、脳内で報酬系ドーパミンが分泌されている。人類は遺伝子レベルで、正義を盾に悪者を攻撃することに快楽を見出している。それはつまり本能なのだから、自分にそんな権利があるかとか、本当の公平はどうなのかよりずっと、人間の内側からくる衝動であり、この際あらがいようがないんだ。
スレの流れにそぐわない命題かもだけど、
だから、たとえ私刑が否定されたところで人類がそれをパタリと辞めてしまうなんてことはない。言い方悪いけど、しかたない。っていうのが僕の意見でした。
>人間は悪者を制裁している時、脳内で報酬系ドーパミンが分泌されている。
人類は遺伝子レベルで、正義を盾に悪者を攻撃することに快楽を見出している。つまり本能
確かに、そんな感じがしますね。
>>10
自分の不満や劣等感を癒すための憂さ晴らしがしたくなるんでしょうね。
そして人は悪者を制裁しているとき、自分を正当化しながら、脳内で報酬系ドーパミンが分泌されて悦に入る。
人間って醜い部分ありますよね…
闘うことも好きだし叩いたり裏切ったり、
ときどき人間が嫌にならないですか?