>>274
こんにちは。
幼いときのトラウマはかなり根深い物であり、274さんも相当苦悩していらっしゃることと思います。
そのご友人に告白するべきか、についてですが、僕はするべきだと思います。今の274さんは日々苦しい思いを抱えているとのことですが、もし想いを打ち明けないまま我慢し続けても、その想いには終わりが来ないからです。いっそ打ち明けて、例え思わしくない結果だとしても、そこで一つの終止符が打たれますのでズルズル引きずり続けることはありません。あきらめきれてくとも、断られた理由を考えてまた別方向から攻めることができます。でも告白しないままでは、現地で足踏みを続けていることとなんら変わりないのです。
将来何年先にもなって「あの時告白すればよかった」と思い返しては後悔するよりも、「そういえばこんなことあったなあ」と一つの思い出にするのか、選ぶのは今のあなたです。どうぞ後悔の無いよう生きてくださいね(^q^)
僕は同性に恋をしたことはありませんが、もしそうなったら、多分迷わずその相手と生きる道を選ぶと思います。結婚しようとしまいと関係なしに、です。世間体や秩序や常識はその後考えます(^q^)
>>275
275さんは合唱祭があまり乗り気ではないということですかね。
僕は合唱祭は委員を務めるほど真面目に取り組む、いわば275さんとは反対の人でした。なので275さんの気持ちを考えようにも、価値観が違うためよくわかりません(^q^)<メンゴただ、自分の名前を歌われ、歌わされることが複雑に感じるのはわかります。何とも言えない嫌悪感があるのでしょう。それは多感な思春期の方によくある感情なので、全然気にしなくて大丈夫ですよ。
合唱祭は文化祭などと同じように、求めることは「団結」です。性別も趣味も思考も異なる生徒たちが、ひとつの目標のために力を合わせることを要求しています。この「団結」をなぜ求めるのかというと、将来社会に出たときに必要不可欠なコミュニケーションスキルの一つだからです。
例えば、274さんは合唱祭が嫌だと考えています。でもこれが大人になったとき、仕事でもし合唱祭と同じようにみんなで歌うことを要求された場合、274さんは従わざるを得ません。なぜなら、そこでも嫌だと断ると会社からクビにされてしまうからです。そうなっては社会で生きることはとても難しくなります。いわゆる「協調性がない人間」として、社会から拒まれてしまいます。そうならないためにも、あえて学校では合唱祭や文化祭のような行事を行うことで、生徒たちの協調性を培っているのです。遊びではありません、これも立派な授業の一環です。
274さんに無理に練習しろ!とは言いません。ただほんの少しでもいいので「今こうして我慢しているのは将来のため」という考えを持って、少しずつ練習に参加してもいいと思います。社会はとても厳しいものです。合唱の練習どころか、誤字の一つ、軽いジョークのひとつでリストラされてしまった方もみました。将来仕事に就いたときのための予行練習だとして受け入れてみてはいかがでしょうか。優勝はどうでもよく、大事なのは「協力した」という事実ですからね(^q^)<ファイト!
>>276
いつもより少し早めに登校してみてください。そして朝のHRが始まる前の自由時間でこっそりゲームをしたり、マンガを読んだり、なんなら黒板に落書きしたりしてみてください。いつもやらないことをやる秘密の時間があると、登校はむしろ遊びになります(^q^)
ようは自分で「登校」という行為を楽しくすることです。学校についてしまえばもう簡単に帰ることはありませんからね(^q^)
本当にありがとうございます。あまりに親身な回答に泣き出してしまいそうです。今の関係を壊したく無いとずっと逃げていましたが決めました、告白してきます。小学生のときの告白は辛かったけど、思い返してみるとスレ主の言う通りひとつの思い出として完結してくれています。引きずり続けることはしたく無いです。もし断られても友達のままでいて良いか聞いてみようと思います。ありがとうございました。
最後に一つ、スレ主のことを他の方のようにしゅしゅたんと呼んでも大丈夫でしようか…?