>>14
俺子供だからよくわかんねぇな
逆にいじめられる奴は何一つ悪くないのかい?
ああ論理的云々以前に賛同されなくてムキになった子供か
人が人をいじめる理由なんて千差万別なんだよ
例えば会社組織で起こるいじめは、皆集まる学校のクラスで起こるいじめと性質が違うしね
一つの職場に性格の悪い人間が集まってたとする。
新入りに底抜けに快活で人当たりのいい人間が来たら、元いた暗い奴らは疎ましく思うかもしれないね?
人が人を迷惑と思うケースは、そんなふうな偶然や相性の問題もあって、一概に被害者が問題抱えてるとは言い切れないんやで
>「いじめられないような努力」って努力努力言うけど、友達作って集団をつくる事に努力なんているのか?学校は近くに人が絶対いるんだから、自然と話してりゃ友達なんて自然とできる。
それが不得意なひとには必要であると思います。「自然に」話すこととを根拠として、コミュニケーション能力に努力が必要ないことが、循環定義(南とは北の反対である)の状態になっていて、相変わらず「努力が必要ない」とは思えません。たとえば吃音症を抱える人があなたの仰る自然に到達する事は努力なしには不可能であると思います。
>コミュニケーション能力が低い奴って言うのは人が近くにいるのにも関わらずずっと自分の世界に入ってるから、いつしか他人とのコミュニケーションが困難になるんだろ?じゃあ根本的にいじめられる奴が悪いじゃん
「じゃあ」前後の文の論理的なつながりがなく、意味不明です。いじめられる人の中には努力で改善できない問題を抱えた方もいらっしゃいます。これはあなたに限らず、いじめられる側も悪いのかという議論に往々にしてつきまとう問題ですが、あなたは「原因」と「悪いこと」を履き違えていると思います。いじめられる側に原因があったとしても、それが即ち「悪」たりえるワケではありません。
>デブだな」→これこそ自分のせい
あなたの根底には、「人は生まれ持った能力は同じである」というような思考見え隠れしますが、間違っています。仮に自己管理がなっていないからといって、それがいじめられる側に悪質さをなすりつけて、いじめを正当化できる根拠には成りえませんし、生まれ持った体質で太ったり、それから薬の副作用などで食べすぎてしまう場合もあるので、一概に本人に原因のみを求めることは出来ません。個性を受け入れる多様性を持ちましょう。繰り返しますが、原因が主体(いじめられる側)あるからと言って、すぐさま、いじめられる側が悪いということには成りえません。
>まぁミニスカートとか?そんなん着るのって一般的だし、着てて別におかしい訳でもない。いじめられる奴っていうのは必ず欠点、周りとは違う外れたものがあるからいじめられるわけであって、その一般的に着るミニスカートの露出を言い訳にして肌の見える服装が悪いなんて言うやつは、逆にいじめられそう
そもそも何を以て「一般的/特殊」と定めているのか不明です。一般的でないから何なのでしょうか。それによっていじめっ子はなにか被害を被りましたか。もしそうだとして、いじめることがことを改善する策として正しいのでしょうか。
あの比喩で、私が言いたいのは、痴漢にせよ、いじめにせよ、「原因と悪い事は必ずしも結びつかない」←ただこれのみです。一般的でないから、いじめられる側に欠点などがあるからといって、それが即ち「いじめられる側が悪い」とはなりません。なぜなら、同じ集団の中に置かれても、「いじめる人」と「そうでない人」がいる以上、いじめは積極的な加害行為と定義できるため、原因から離れた故意の行為として見なされるからです。
この記述からも原因と悪さを混同しているさまが窺えます。悪いか悪くないかは、ケースバイケースです。しかし少なくともあなたの挙げた例に於いては(あなたは本人の意思によって改善できるモノを悪いとしているようですが)、少なくとも「いじめられる側が悪い」ケースはありません。改善できるモノは改善すべきとしつつ、あくまでそれは前提として「いじめる側が悪い」ということに基づいています。いじめは何ら正当化できない悪しき行為です。原因が主体に求められても、即ち主体が悪いとし、いじめを正当化することはできません。