学校行かないってことが幸せかどうかって聞かれたら、そんなことないっていうのが一番最初に出てくる。
不登校の子どもというのは、あくまでも「学校に行きたいのにそれを邪魔するものがあるから行けない」というのが多く、不登校になりたくて自主的になってる子どもはまず居ない。更に言えば、「団体行動がロボットみたい」とか「宿題やりたくない」っていうだけで不登校になってるやつが、真剣に悩んで不登校になった子どもの心の傷を癒せるかといえばそんなことはない。仮病でのずる休みレベルの理由の不登校など、無意味でしかないのだ。
そもそも学校云々語るに当たっては、まず学校がどのような場であるか把握しなければ元も子もないわけで、学校に行かないくせに学校教育が云々なんて言えない。そもそも何を革命したいのかもよくわからないし、その点においては教育を受けなかった負の面という部分が滲み出ているように思える。
学校で教えられることは、単に教科の内容だけではなく、論理的な思考、客観的な視線、人間関係、社会の仕組みなどをトータルで教えられる。当然、何かを意見するときには、その意見に基づく考察やその後どうなるかの想像、そしてなにより、ある程度の基礎知識をプロットとして持っておかなければならない。社会で活躍するなら最もである。それは単に勉強するだけでは得られず、やはり、同じ年のクラスメートとディベートなり意見の出し合いなどをして身に付けられるのである。
さて、小学校に行かず、卒業証書も破り捨て、更には中学校にも行かない宣言を出したゆたぼん氏の明日はどこにあるのだろうか?
学校に行くことで得られるものは>>952で挙げたもの以外にも色々ある。社会で生きていく上で必要不可欠なものを教育する場を否定して蔑ろにした地点で、結果は決まったようなものといえる。
さて、ろくに授業をまともに受けてないような中学生が、自分の実力以上の高校に行けるだろうか?
無理だよね?
そゆこと。