>>159
「魔法少女mirai✡7」論
1
今書かれて入るところまで、面白く読んだ。
印象に残ったのは、
*episode.1 2番目の光 act.3
の、
靡いた髪の幾数が持っていかれ、ばらばらと地面に落ちた。
「ええええ、今の何!?」
私の髪の毛がぁあ!
というシーン。魔法少女としての最初の戦いが始まると同時に、髪の毛が若干きられることは、
象徴的なことだと感じた。
というのも、
*episode.1 2番目の光 act.1
で、この物語が
長い紅茶色のツインテールが特徴的で、もう何年も切ってないから腰まで伸びてる。
という文章で始まる時、僕はここに桃音の「甘え」を感じた。
日本には古くから、「断髪式」という風習がある。髪を切ることは、甘えを切ることだった。
(まだこの物語の中では、桃音は魔法少女としてちゃんとやっていけるのか、迷っている段階である。
この迷いが吹っ切れた時、桃音は髪型をショート・カットにする気がしてならない。僕は一人で勝手に、そのシーンのことを思って、
面白がっているのである。)
彼女は魔法少女になった瞬間から、実は「心の髪」を切り続けている。
中学生に上がったばかりの少女が、本当に中学生になること。ただそれだけがこの物語のテーマである。
そしてそれは永遠のテーマでもある。
2
小学4年生の頃からずっと憧れてきた私立青空学園に入学出来ることになったんだ。小学校生活最後の2年半を全部受験勉強に費やしたおか
げか、勉強が大の苦手な私でも合格することが出来たんだよ。超絶ガンバった。
よく通学路で見掛けていた、綺麗で素敵なお姉さん達。その姿を見るたびに、憧れの気持ちはどんどん膨らんでいった。
友達に訊いて青空学園の生徒だって分かった時から、ずっと勉強漬けの毎日だった。
大好きだったお稽古は全部止めて塾オンリー、高学年は勉強の思い出しかないくらい。
(*episode.1 2番目の光 act.1)より
このように小学校6年生を過ごした人も実際多いのではないか。そして、その時代で友達を失ったりしたのではないか。
失わないでも、楽しさが半減されたのではないか。実際、
「何でもなんてことはないよ。お前の記憶に、一部だけ見えない部分があるしな…」
「見えない部分?そんなところあるの?」
「あぁ。小学6年生……去年の記憶が全く見えない」
(*episode.2 光の戦士 act.3)より
というように、妖精さんにも桃音の「小学校6年生」が見えない。
これは桃音自身が、この記憶を「抑圧」しているからだ。
この抑圧による心の歪みのせいで、
*episode.2.5
で、桃音は悪夢をみる。
この「抑圧された記憶」を解放する作業が、実は彼女の魔法少女としての仕事なのだ。
そうして初めて彼女は(彼女たちは)、憧れの「中学生」になれる。
「夢の中の少女」と和解したい。
その瞬間への切実な期待が、読者を読ませ続ける推進力になっている。