第一話・彼の“良い人”が崩れた瞬間
声が聞こえた。
時刻は午前八時を少し過ぎた頃。
大学へ向かう電車の中。
ガタンゴトンと言う電車特有の擬音を耳が拾っていると。
「……っ、」
……微かにだが、声の様な物が聞こえた。
電車の中と言う物は案外静かな物だ。ガタンゴトンに紛れさえしなければ、少しの音は耳に届く。
俺は手元のスマホから視線を上げた。
座席に座りながら見る電車内の景色は、お世辞にも“見応えがある”とは言えない。
だって、人しか見えねえもん。
先程も言ったがただ今の時刻は八時だ。
つまり、通勤やら通学の時間に重なる訳だ。
まあ俺も通学の時間帯な為、こうして公共交通機関を利用している訳だが……。
「……」
目の前に立つ人達の隙間を縫って向こう側の座席一体を見ていた時、俺はそれに気付いた。
女と男だ。
女の方はたぶん若い。
背を向けられている為、正確な年齢までは特定出来ない。
だが、身につけているバッグやアクセサリから見て二十代全般だろう。
男の方は随分とフケている。
こちらも背を向けられている為、正確な年齢までは特定出来ない。
だが、小太りな体型と頭の毛の少なさから見るに四十代後半から五十代前半と言ったところか。
女の方が荷物置き場から垂れ下がる取っ手を強く握るのが見えた。
微妙にだが震えている様に見える。
俺は見れる限り女達の前にある座席に座る者達を見た。
端に座る若い男。駄目だ。下にばっか目向けてる。大方スマホでもいじってんだろ。
その隣の女……。駄目だ。顔の近くにある本から全然視線そらさねえ。ありゃ気付いてねえな。
更に隣のサラリーマン……。駄目だ。大口開けて寝てらっしゃる。いつもいつもお疲れ様です。夜はちゃんと寝て、朝は起きてて下さい。
そしてその隣……。駄目だ。化粧が濃いババア……ごほん。化粧が濃いおば様が更に化粧を濃くしている。妖怪に変身しそうな勢いだ。
俺はため息を吐いてから出入り口の上に設置されている電工掲示板を見た。
俺が普段下車する駅が次の停車駅だ。
『まもなく甲塚(こうつか)、甲塚』
まるで見計らったかの様に無機質なアナウンスが車内にとどろく。
「はあ……」
俺は意を決すると座席を立ち上がった。