1.〈時は流れ、本のページはめくられる〉
桜が散り、薄い桃色の花に包まれる。そして桃色の花の甘い香り。瞳を閉じてすーっとその香りを吸い込む。とても気持ちがいいものだ。春は気持ちがよくってふわふわなるから気をつけて学校に行きなさいよ。いってらっしゃい…花。母の声がふと頭をよぎった。あぁ、なんて懐かしいんだろう。春という季節はこんなにも懐かしく、落ち着く気分にさせてくれるものだったのか。今なら母との記憶が落ち着いたまま思い出せる。ブランコからはしゃいで落ちた事、母の作る母特製ドーナツの味、そして母から香るコーヒーの渋みのある香り。…母は5年前に亡くなったのだ。私はまだ3年生だった。『死』という恐怖を知らなかった私は何が起きたのかわからなかった。身内の誰かが死んでしまう、いきなり目の前から消えてしまうのは3年生の私には大きく影響を与えた。人と関わる事が怖くなった、というのが正しい述べ方なのだろうか。もうあんな思いをしたくないと心から思た結果が人との関わり、つながりを持たない事。そしてもしも親しい人ができる日が来た時のために自分の表情を消した。その分の消えた表情は本にぶつけた。本の主人公などと自分を重ね合わせる事で表情を心の中で作るようにした。本を読んでいる間は表情を作る事をしようとしなかったから。
…私は死んだ。正確には人間として、だ。この世に自分から表情を消そうとする者はそう多くいるはずない。それと同時に私からは友達が消えた。本当は寂しかったはずなんだ。ずっと自分に「花、寂しくないの?悲しくないの?」と問いかけ続けている私が今でもいる。5年が過ぎた今でも。「うん。寂しくて悲しくて、たまらないよ。でも私はあんな思いを二度としたくないから。」それが私が選んだ答えだから。だから寂しくも悲しくもないんだよ。母がいなくなったのは「がん」にかかったからだ。そして母が亡くなる時に一瞬時が止まったような気がした。そして私と母の物語は止まったんだ。それでも母がいなくなった私の物語は今日も進んでいくんだ。
…今日も、つまらない1日が始まる。もう今日なんか来なければいいのに!叫んでも嘆いても今日は私のもとへやって来る、何があっても。