恐怖、か。あたしの口からは、乾いた笑いが出た。
「んー?」
首をかしげる夏。
夏を無視して、あたしは立ち上がった。そして、震える足を叩いて、走り出した。目指すは祖母の家。
「ちょっと〜、峰子ちゃ〜ん?」
遠くから声が聞こえるが、あたしはそれを無視。
きっと、あの子は幽霊。そう、幽霊に違いない。あたしを道連れしようとやって来たんだ。騙されるな、あたし。
あんな子、ほっておきなさい。
それに、幽霊じゃなかったとしても、どうせもう会わないんだし。
走って走って、そしてたどり着くのは祖母の家。
昔なつかし古民家。木の香りのする、涼しい家。大量の線香のにおいが、鼻を掠める。
母がやって来た。
「どうしたの、そんなに焦って。汗もこんなにかいてるし」
こんな涼しい家の中にいた母は、きっと外がとても暑いことに気づいていない。だから、こうも汗をかいていることに不思議がっているのだ。
あたしは「外は暑いから」と言った。
「そうね。そうよね。夏だもの」
___夏。
短い間だけど、夏と呼んだ、あの女の子は、今___
後ろを見た。
開け放たれた玄関の引き戸からは、大量の木しか見えない。鮮やかな緑、たまに青。
女の子は見えない。人は見えない。
「峰子、どうしたの?」
「う、ううん。なんでもないの。ああ、あたしお腹空いちゃったんだけど。お客さんもう帰った?なら、今すぐファミレスにでも……」
はやく、ここから立ち去りたかった。
一日じゃない。あと一時間。そう、せめてあと一時間で、立ち去りたかった。
気味が悪い。ただでさえ、こんな山の中のこんな古民家の祖母のお葬式の日だというのに。
「ええ、いいけど。お父さん、呼んでくるわね」
「うん……」
お母さんが家の奥に小走りで入っていった。
あたしは、玄関に置いてある祖母のものであろう椅子に座る。目を瞑り、息を大きくはきだす。
……疲れた。
もう、何も考えたくない。走りたくない。
そう思っていると、のんきな声が聞こえてきた。しかも間近で。
「わざわざ遠回りして行くなんて。近道あ___」
「うわああ!うわああああ!なに、なに、なに!?なんでいるの!!」
玄関に入ってきた夏の肩を押す。
夏はよろめいた。この子、案外弱い?
あたしは椅子から立ち上がって、武器になりそうなものを探した。
幽霊を倒さなきゃ、幽霊を倒さなきゃ、幽霊を倒さなきゃ、幽霊を、幽霊を、今すぐ、この手で!
「峰子ー!?」
「どうしたッ!?」
両親が走ってやって来る。
それに怯みもせず、夏は「ごきげんよう」と言った。
「私は、夏といいます。峰子ちゃんの友達でして」
ニコリと笑う顔に邪気は感じられないが、そういう見せかけだ。
さあ、この子を退治しなきゃ___
あいさつをされ、どうしていいか分からない両親に向かって、夏は続けて言う。
「今日はフク子さんのお葬式なので、お線香をあげにと、お伺いしました」
フク子……祖母の名前だ。
夏は「入ってもいいですか?」と尋ねた。
父はそれを許し、簡単に家の中へと夏を入れてしまった。
「私、フク子さんには本当に良くしてもらいまして……峰子ちゃんのことは、フク子さんに教えてもらったんですよ」
「……えっ」
あたしの名前は、祖母に……?
あの、祖母が他人にあたしの名前を……?
そもそも、この子と交流を……?
三重の驚き。あたしはピシッと固まってしまった。
母は、「あらまあ」と驚いたように手で口を覆った。
「母……いえ、祖母が?」
「ええ」
あたしは祖母の眠る棺桶を見た。
30分後には、火葬をしなければならない棺桶。
その棺桶に眠る祖母は、いったいどんな顔をしているのだろう。