兄の翼は私と二歳違いで、建築会社に入って4年目になる。
転勤の多い会社だと聞いていたから、家族で鍋を囲んでいる時に「大阪支社への異動が決まった」と兄が言っても、誰も驚かなかった。
「あ、じゃあ、七海さんも連れてくんでしょ?ねぇ、お兄ちゃん、エンゲージリングとマリッジリングは絶対にうちの店で買ってよね」と私は勢い込んだ。
「七海さんの誕生日は七月だったよね。石はルビーで――」と喋り続ける私を兄は遮った。
「いや、結婚はまだだな。当分は遠距離だよ」その言葉に、私は顔をしかめた。
七海さんと兄は高校2年の時から付き合っている。付き合って9年。長すぎるぐらいの春だから、てっきり転勤を機に結婚すると思ったのに――。
「普通はこういうのが結婚のきっかけになるって言うじゃない。プロポーズしちゃえば?」とけしかけても、兄は首を振る。
「あいつ、今フラワーアレジメントの教室を2つも担当してるんだ。他にも資格を取るために勉強してるみたいだしさ。転勤になったから結婚しよう、大阪からは通えないから会社は辞めろなんて、こっちの都合で言えるわけないだろ」
「遠距離なんて、不安じゃないの?今までみたいに会えなくなっちゃうんだよ?」と脅しても、兄は苦笑しながら、鍋から摘み上げた肉を頬張るだけだ。
大きな花屋さんに務めている七海さんは、高校時代から美人で目立つ人だった。
ピンと伸びた背筋に、まっすぐの髪はツヤツヤ。言い寄る男なんていくらでもいるはずだ。
笑顔が特に素敵で、高校の新入生ガイダンスで華道部の勧誘をする彼女に、女の私ですら惹きつけられた。
あんな女性になりたい! そう思った私が、「華道部に入る」と言ったら、同じ高校に通っていた兄は反対した。
「がさつな望には向いてないぞ」とか「顧問の先生が意外と厳しいらしい」と珍しくネガティブなことを言われたけれど、私は引かなかった。
兄が反対した理由が、妹がカノジョと同じ華道部に入るというのが気恥ずかしかったからだ、と知ったのはずっと後のことだ。