《第一滴目》
狩野隆平 38歳。 彼は思い悩んでいた。
24歳の時様々な美しい作品達を世の中に送り出し、一世を風靡した天才画家。
そんな彼は、時が経つと共に自分の感性の衰えを感じていた。
昔は筆も持つとすらすらと様々な曲線を描き、たちまち美しくもどこか儚さを感じる作品が出来上がった物だが…
今は筆を持ってもイメージが湧かない。昔は沸々と沸き上がっていたイメージが…
きっと私の中の物は全て出尽くしてしまったんだと悟った彼は
後、一つだけ描いた後、画家を辞めようと思い至った。
どうせ子供も無く、老後の金はたんまりある…
浪費癖の無い彼は画家として稼いだ金は全て貯金していたのだ。
彼はふと絵の具だらけのエプロンを脱ぎ捨て、アトリエを見渡した。
所狭しと置かれている画材の数々、部屋に香る絵の具の匂い…
ここで仕事をするのも、もう後少しか…と感傷に浸っていると
突然、机の上の携帯電話が鳴り響いた。画面には「吾月 礼司」の文字。
また、掃除の手伝いでもやらされるのか…と溜め息を付きながら
手早く着替えを済まし、顔に付いた絵の具を拭いながら
彼はアトリエを後にした。
きっとここから回り始めたのだ。彼を取り巻く、この物語の歯車は。