「あーあ……どうせ退学するなら、ガラスの一枚でも割っときゃ良かった」
行き交う人の群れの中、ぼつねんと取り残されたように立っている。
みんな自分の行くべき場所へ――目的地へと迷いなく歩いている。
まるで俺のとこだけ、時間が止まったみたいに。
――1月の寒気は息を可視化させる。
少しため息をつけば、白い煙となって目に見えるのだ。
あの後の騒ぎと言ったら、地獄絵図が絵図じゃなくなったみたいな空間だった。
それってただの地獄。
「ふん、馬鹿が。子供一人で生きていけるわけないだろ!」
「……父さんに育てられてこの先生きてくらいなら、真冬の街で野たれ死ぬ」
俺は本気だった。
従順な犬として躾された俺が、初めて親父に本気で噛み付いてみせた。
「そうか分かった。好きにしたらいいさ」
でもその覚悟は届かなかったのか、俺を見てくれなかったのか、彼の反応は薄いもので。
俺が本気で家出しない、もしくはすぐに帰ると思ったのだろう。
一応親父は俺の挑発を受け入れ、その勢いで退学手続きをした。
先生方もさすがに焦ったのか止めに入るも、あぁなった親父は誰の手にも負えない。
親父は、一度痛い目見ればいい、と怒鳴りつけ、あっさりと退学手続きを済ませた。
家に帰っても親父とは口も聞かず、素早く荷物をボストンバッグにまとめた。
そしてハンガーにかかった黒いスカジャン一枚で真冬の夜へと足を踏み入れた。
父は何の躊躇もなく俺を追い出した。
背後から聞こえるガチャッと鍵をかける音が、俺を後戻りできなくさせた。
もともと、学校も親父も好きじゃなかった。
学校は、首席を独占する俺への嫌がらせを相談しても見て見ぬふり。
親父は俺を自分と同じ弁護士にすることしか考えていない。
俺の夢は、本当の夢は違うのに。
毎日予鈴に急かされて勉強し、やりたいことをやれない日々に詰まって、生きる意味を失ってしまった。
俺は脆弱な人間だ。
衣食住恵まれた環境にも文句を言い、耐えきれずに家出するような、生きる意味を失くすような弱い人間。
でも、そんな人間が一人で生きていけるなんて思い上がるほど馬鹿じゃない。
弱い人間は弱い人間らしく、溺れて死ぬ。
凍死が先か、餓死が先か。
援交を疑われるくらいの容姿なら、夜の繁華街で本当に援交して稼ぐのも手だが――それは癪だからやめておくか。
未練は無い、と思う。
5歳から始めた剣道も最近飽きてきたから辞めたかったし、執着してる趣味も、勉強以外視野に入れるなという両親のせいで特に無い。
唯一心残りがあるとするなら……毎週観てた特撮ヒーロー"仮面ファイター"の最終回だが……それは幽霊になってからでも遅くはないか。
本当に、執着するものが無いような薄っぺらい人生。
手放しても惜しくないと思ってしまうような人生。
あげられるものなら、この命くれてやるさ。
神に返すさ。
「……何日まで耐えられるんだろ」
持ち物といえば、は所持金3万、着替えのみ。
ちびちび節約しながら生き永らえるのも悪くは無いが、どうせ死ぬならパーッと豪勢に使ってしまうのもアリ。
「さーて、死に場所でも決めておくか――」
「なぁ、お前さん」
しわがれた老人の声が、喧騒の中はっきりと俺の耳に届いた。
振り向けば、白髪を蓄えた老人が杖を付きながら立っていた。
深緑色の和服は、都会の繁華街だというのに、微塵も時代錯誤を覚えさせないほど彼に似合っていた。
人の交錯する繁華街、俺と彼の間だけ時が止まった。
「随分と賢そうじゃないか。どうだ、君に良い仕事がある」
「……なに、援交?」
夜の繁華街をうろつく餓鬼に声をかけるような人だ、どうせロクなことが無い。
訝しげな視線を送って睨みつければ、老人は高らかに笑って杖を三回地面に突いた。
「はははっ、そうきたか。いやなに、決して汚れた仕事じゃない。人助けだと思って話だけでも聞いてくれんかね」
「へぇ、人助けね……」
「人通りの多い繁華街のど真ん中じゃなんだ、場所を変えようか」
どうせ目的地の定まらない不確かな人生、人助けして終わるのも悪くないかもしれない。
気まぐれに身を任せて、俺は老人にのこのことついていった。