第一章 小学6年 夏
「中学の野球部に、女子が一人いるんでしょ」
試合を終え、蛇口の水をバシャバシャと顔にかけていた時だった。同じ学年の安部凛太が顔に付いた泥を手で拭きながら、こちらに歩いてきた。
「ああ、そうらしいな」
そうらしいなとは言いながら、頭では全く別のことを考えていた。7回表にセンター前ヒットを打たれた場面、自分の目の前に白い蝶が横切り、一瞬集中を切らせた。相手は同じチームの5年生で、通常であればヒット1本すら打たせない自信はあったのだ。
「凛太、俺のクーラーボックスどこにある?」
「ベンチの裏にお前の母ちゃんがさっき置いてったよ」
クーラーボックスを開け、アイシングサポーターを肩に巻いていると、凛太がクーラーボックス内の保冷剤を手に取り、俺の頬に当ててきた。
「冷てえな、やめろよ」
「経験者なんかな? 俺あんまり上手くないと思うんだよなぁ〜」
「どうでもいいだろ、そんなこと」
凛太の手から保冷剤を奪い取り、クーラーボックスにしまう。右肩がひんやりと冷たくなってきて、少し気分は良かった。先程の白い蝶だろうか、物置の傍の木の葉の上で、羽を休ませていた。
「なぁ、お前さぁ」
振り返らずになんだよと答えた。
「中学でも野球やんの?」
「さあな。気が向けばね」
もちろん続けるよ、とは言えないのが俺の性格だ。小学校から自宅の帰路にある中学校のグラウンドは、もう何回も目にしている。中学生と言われても、今はまだイメージが全くつかなかったのだ。