家族がいる。
友達がいる。
そして、守るべき大切な人がいる。
普段と何の変わりもなく扉を開けた僕を迎えたのは、4.5畳の狭い部屋。僕は、そこら辺に荷物を置くと、彼女が横たわるベッドの傍に腰をおろす。
しんと静まり返る中で唯一聞こえる音は、彼女の規則的に繰り返される呼吸音だけだった。
コンコンコンと、ドアを手の甲でたたく硬い音がすると、すぐに扉が開いた。彼女のお母さんだ。持っている木のトレーにはマグカップとシュークリームが1つづのせられている。
ずうずうしくも、それは僕へのものだと言われる前に察してしまい、何だかいたたまれなくなる。
「たしか、ミルクティーが好きだったわよね、どうぞ。シュークリームはもらったものなんだけど、よかったら食べてね」
小さな丸テーブルに、トレーごと置くと、ミルクティーとシュークリームをそれぞれ出して置いていた。
「そんな、気を遣わなくてもいいんですよ」
「いいから、遠慮しないで。早くしないと紅茶が冷めちゃうわよ」
「すみません、ありがとうございます」
僕はその言葉甘えて、ありがたくミルクティーとシュークリームを頂くことにした。彼女のお母さんは僕の隣へと腰掛けると、すぐそこにあった扇風機のスイッチを押した。するとあの独特の羽が回る音がすると同時に生ぬるい風がこちらにくる。幼い頃はよく「ワレワレハ宇宙人ダ」とか言って宇宙人の様な声になるのをいいことに面白がって遊んだものだ。
「だって、いつもこうしてお見舞いに来てくれるじゃない、本当にいろいろと、あなたには感謝してるの。優愛美もきっと喜んでるはずよ」
そう、彼女とは、優愛美(ゆめみ)のことだ。
彼女のお母さんは、今だ静かに目を閉じている優愛美の頬にそっとふれた。優愛美を見つめる母親の目はどこか憂いを帯びているようだった。
「もしも、優愛美が喜んでくれてるなら、それだけで十分嬉しいです。僕は、ただ優愛美に会いたいだけなんです。これは僕の勝手なワガママであって何も感謝されるような事はしてませんよ」
会いたいのなんて当たり前だ。
優愛美は、ちょっとおてんばで、誰よりも元気な、まるで太陽みたいな人。周りをよく見ていて、誰よりも友達思いな人。実は、誰よりも傷つきやすくて繊細な人。そして、彼女は誰よりも大切な人だから。
また、優愛美の笑った顔が見たい。
その一心で、僕は彼女の家に足繁く通っている。
優愛美が笑ってくれるなら、渋谷のど真ん中で1発芸をやって新たな黒歴史をつくろうが、無人島で一生サバイバル生活を送ろうが苦しくはない。あくまで例えばの話だけど。
「ごめんね、この部屋エアコン無いし、扇風機だけじゃ暑いでしょう。換気でもしようか」
「あ、じゃあ僕が窓開けますよ」
気づけば、頬に熱がこもっているし、額からは汗が吹き出していた。さすがは真夏の東京。なかなか侮れないな。
そう思いながら、僕は優愛美のベッドに近い方の窓に近づくと、そこから熱気がジリジリと伝わってきてヤケドしてしまいそうなぐらい暑い。なんなく窓を開けると、その瞬間にぶわっと風が入ってくる。そのせいで大きな波のようにカーテンが揺れた。
そのカーテンを無意識に目で追っていたら、たまたま視界に優愛美の寝顔が入ってくる。
暴れるのカーテンが影になって彼女の顔に映っていて、その間からは眩しい光が降り注いでいた。
僕は、優愛美の風になびいた絹糸のように艶のある黒髪にそっと触れる。そして優しく頭を撫でた。
こうして深い眠りについている彼女を見る度、このまま目を覚まさないんじゃないかと妙な不安に襲われる。でも、大丈夫だ。彼女はまた目を覚ます。
それは、本当に何の根拠もないことだけど、僕は彼女を信じている。何事もなかったかのように「おはよう」っていつもの変わらない笑顔で言ってくれるはず。君の「おやすみ」だなんて、もう聞きたくない。
だから、もう一度きかせてよ。
君が「おはよう」と言ってくれるその時まで、僕はずっと待っているから。