2 天傷星
「気が済んだか」
背後で砂利を踏む音がする。武松は座り込み、胡座をかいたままだ。振り返らなかった。
「うるさい」
声の主を避けるように俯くと、嫌でも虎の死骸が視界に入ってくる。
「極限状態になると、人間でも虎と渡り合えるものなのだな」
背後の男が言った。武松はもう答えなかった。
この虎は、武松が倒した。だがその実感はない。虎が草むらから姿を現し、唸りながらこちらに飛びかかってきたところまでは覚えている。ところが、ふと気が付くと虎は動かなくなっていて、自分の両手は血まみれだった。
虎との戦闘の記憶は全くない。
その間は、心でひたすらあの名を叫んでいた。
名前...誰のだ。
いや、そんなものは決まっている。
「お前、潘金蓮を殺めたな。お前の兄は今朝首を括ったぞ」
男が呟くように言った。
「兄嫁、金蓮への想いを抑えきれなかったか。その気持ちが暴走し、遂にこのような大罪を犯してしまったのだな。虎まで殺せるほどに」
「兄も義姉さんも、殺めるつもりなどなかった。俺は、ただ」
金蓮を、愛したかった。
その言葉は声にはならず、代わりに涙が一筋武松の頬を流れた。