「しんどう、くろの.....?」
たどたどしく呼ばれた自分の名に、クロノは小さく笑いを溢した。
「そう。俺の名前だ。.....んでもっておまえの名前は東海林カズマ」
「へぇ」
他人事かのようにさらりと、相槌が打たれる。
いいや、実際【他人事】なのである。なにせカズマは、もう。
「お前は、俺の.....東海林カズマの友達だったのか?」
淡い空色の、なんの曇りもない瞳が、クロノを見つめた。
ほんとうに、覚えてないんだな。
胸の辺りがぎりぎりと痛むので、思わず胸を押さえる。服の胸元がくしゃりと歪んだ。
忘れたんだな。全部。始めっから。
「.....そんな感じ」
ぽつり、と自分の口から呟かれたのは、酷く素っ気ない返事だった。
そんな、数文字で表せるような関係ではないだろうに。
泣きたいような、いっそ全てを笑い飛ばしてやりたいような、相反したどろどろとしたものが、自分のなかで降り積もっていく。
そんな気持ちを吐き出すように、小さく息をついて、そっと項垂れた。
こんな、弱々しいところを彼に見せたくなかったのだ。なにせ、自分は今ひどい顔をしている。今にも泣き出しそうな顔。それでも、しっかりと残っているプライドが、必死にクロノの外面を保とうとしている。
「でも、お前は泣いてた」
はっとして、クロノは顔をあげた。痛いほどに、真っ直ぐな視線に貫かれる。
カズマは、会話を始めてから、一度も目をそらさしていなかった。ちょうど、カズマと出会った当初の自分のように。
皮肉なものだ、と口の端をぎこちなくつり上げ、言い訳をしようとクロノは口を開いた。
...しかし、なにも言葉は生み出されなかった。
「俺が目を覚まして、お前に何も覚えてないことを伝えたときのことだ。お前は、泣きながら笑ってた。」
「.....カズマは、そんな俺の事どう思った?」
「やべーやつだと思った」
相変わらずの毒舌に、クロノは吹き出した。
「記憶なくなっても、かわんねーな、お前は。」
.....あのとき、クロノは目を覚ましたカズマに単純に安堵したのだ。
そして、「何も思い出せない」と絶望の入り交じった、からっぽの顔をした彼を、安心させようとした。俺が笑いかけることによって。
しかしうまくはいかなかった。俺は泣いてしまった。俺と、カズマの思い出が全て消えてしまったみたいで。酷く虚しくなったのだ。
その結果が、あの奇妙な泣き笑いの真実である。
空を見上げるとすでに夜が始まりかけていた。今日は天気が良かったせいか、星がいくつか瞬いている。
「でも、この空は見たことあるような気がするんだよ、お前と。.....クロノと」
初めてまともに吐かれた彼の【クロノ】という言葉に、心臓がどくりと鳴った。
「なんで言い直したんだよ」
「.....【俺】は、おまえの事を名前で呼んでなかったのか?」
「【新導】って呼んでた」
カズマは顎に手をあて、何やら思いを巡らせた後、やがてぼんやりと呟いた。
「.....ずっと、名前で呼びたかったのかもな」
名前で、呼びたかった。
じわり、と熱いものが込み上げてくる。
「お前の中には、確かに【東海林カズマ】が残ってるんだよ。.....だから、」
クロノは、そこで言葉を切ってカズマの瞳をじっと見つめた。
知らぬ間に、頬を熱いものが伝っていた。
それを拭うこともしないで、クロノは顔を綻ばせた。
「もう一度お前と。」
冷たい彼の手をそっと取る。
彼は、その手を握り返した。
澄んだアイスブルーの瞳は、確かにクロノを映していた。
「最初から始めよう」
ちなみに>>707